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6、終わりに

 『合祀されなかった人々』から見る靖国神社、いかがでしたでしょうか。まあ、目論見としては見事に失敗している観も否めませんけれども……。

 ところで、これをお読みの方の中には、「靖国神社を貶めてやがるな、こいつ」とお思いの方もいらっしゃるかと思うんですが、筆者にその意図はありません。ただ単に、靖国神社とはこういう神社ですよ、と紹介しているにすぎません。戦争で死んだ兵隊さんたちを弔うための場というのは必要だと思いますし、彼らへの敬意は忘れてはならないとも思っています。彼らのおかげで今がある、心からそう思います。

 

 靖国神社とは、明治維新から敗戦までに至る輝かしい日本の影なのです。

 明治維新を経て日本は富国強兵の名の元に強勢大国を目指し、膨張政策を取ってきました。そしてその国家的目標は次々に果されていきます。日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦や満州事変、日中戦争や太平洋戦争……。そして、その代償として、多くの日本人が傷つき死んだのです。そして、当時の日本は、死にゆく兵隊さんのために、「戦場で死ねば靖国の神となる」という物語を用意したのです。その史実を否定することは誰にもできません。そして、その物語を信じる方がいらっしゃるという現実を、仮にその物語に共感することがないとしても尊重するべきでしょう。

 されど、それは各個人の信条・信仰の自由の枠内でのことです。

 これまでの西郷や赤祢の例を見てきたように、靖国神社という場所は明治維新の矛盾を抱えたままで現代に至っています。また、これまでの合祀実績(朝廷に弓を引いた人物は合祀しない)からみると、「お国のために死んだ人」を顕彰するというよりは、「天皇のために死んだ人」を顕彰するという意味合いが強いように思えます。国民主権の現在の日本において、果たして靖国神社が戦争メモリアルの場として適切かどうかは議論の余地があるように思われます。

 いずれにしても、個人の思いや国の思惑や歴史的経緯、その他諸々がこんがらがってごっちゃごちゃになっている現在、靖国神社という存在は懸案であり続けるのでしょう。

 この小稿が、皆様のよすがになればこれ幸いです。


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