第9話 皇帝が残した告白
古びた紙。そこに書かれた一文を、俺は何度も読み返した。
『この国の身分制度は、最初から偽りである』
意味が分からなかった。
いや。理解したくなかった。
もしこれが本当なら。俺たちが生きてきた世界そのものが、嘘の上に成り立っていることになる。
「父が……これを?」
リリアは震える声で呟いた。
老人は静かに頷く。
「はい。先代皇帝陛下は、最後の数年間、この問題を調査されていました。しかし、公開する前に倒れられた。」
俺は紙を見つめる。
「なぜ……皇帝自身が制度を壊そうとしたんですか?」
老人は少し悲しそうな顔をした。
「陛下は知ってしまったのです。」
「何を?」
「この国の身分制度が、国民を守るためのものではないことを。」
老人は続ける。
「本来、身分制度は役割を決めるための仕組みでした。農民には農民の役割。職人には職人の役割。兵士には兵士の役割。しかし、いつしかそれは支配するための道具になった。」
リリアは拳を握る。
「貴族が権力を維持するために……。」
「はい。」
老人は答える。
「さらに問題なのは、その始まりです。」
「始まり?」
俺が聞き返す。
老人は小さな声で言った。
「現在の身分制度は、約三百年前に作られました。しかし、当時の記録を調べると……身分印を持つ者と、持たない者に能力差は存在しなかった。」
俺は息を止めた。
つまり。労民だから劣っている。貴族だから優れている。そんな根拠は最初からなかった。
「では、なぜ……」
リリアが尋ねる。
「なぜ三百年も続いたのですか?」
老人は答えた。
「都合が良かったからです。」
短い言葉だった。しかし、それで十分だった。
上にいる者にとって。一度手に入れた権力を手放す理由などない。
「父は、この事実を公表しようとしていた。」
リリアは紙を握る。
「だから殺された。」
老人は否定しなかった。
「可能性は高いでしょう。」
部屋に沈黙が落ちる。
俺は思った。
昨日まで。俺はただ、自分の人生が不公平だと思っていた。でも違った。
この国には。何百年もの間、同じように苦しんできた人間がいる。
「エイル。」
リリアが俺を見る。
「あなたは、どう思う?」
俺は答えに迷った。
革命。改革。
そんな大きなことを考えたことはない。ただ、生きるために仕事をしてきただけだ。
でも。俺の頭に浮かんだのは、役所で見た大量の戸籍だった。
名前だけ残され。人生を決められ。誰にも疑問を持たれなかった人々。
「変えるべきです。」
自然と言葉が出た。
「この制度は間違っています。」
リリアが静かに頷く。
「なら、戦わないといけない。」
俺は彼女を見る。
「相手は貴族です。王宮そのものです。」
「分かっている。」
リリアは答える。
「だから、あなたが必要なの。私には皇族の力がある。でも、皇族だからこそ見えないものがある。」
彼女は戸籍台帳を見る。
「あなたは、底辺で生きてきた。だから、この国の本当の姿を知っている。」
その時。突然、外から鐘の音が響いた。
王宮警報。緊急事態を知らせる音。
老人の顔色が変わる。
「まずい。」
「何ですか?」
老人は窓の外を見る。
「この部屋へ来たことが知られた。」
直後。扉の向こうから声が響いた。
「王命である。この部屋を封鎖する。中にいる者は全員、身柄を確保せよ。」
リリアが立ち上がる。
「早すぎる。」
俺は冷静に考える。情報が漏れた。誰かが俺たちを監視していた。
つまり。敵はもう動いている。
「リリア。」
「何?」
「逃げる必要はありません。」
彼女が驚く。
「何を言っているの?」
俺は先代皇帝の書いた紙を手に取った。
「ここで逃げたら、俺たちは反逆者として扱われる。でも、正面から戦うには力が足りない。」
俺は扉を見る。
そして、一つの方法を思いついた。
「だから。敵が一番嫌がることをします。」
リリアが尋ねる。
「何を?」
俺は答えた。
「この証拠を、国全体の記録にします。」
俺は戸籍係だった。人間の存在を証明する仕事をしていた。
なら。
この国の真実も。
記録として残せばいい。
扉が開く。兵士たちが入ってくる。
その瞬間。俺は決意した。
もう隠れるだけの人生は終わりだ。
俺は。この国の記録を書き換える。




