第8話 最初の証拠
侯爵グレイヴが去った後。改革室には重い沈黙が残った。
リリアは閉じられた扉を見つめている。
「……気づいていたのね。」
俺は台帳から目を離さなかった。
「何に?」
「彼が、あなたを警戒していること。」
リリアは小さく頷く。
「普通なら、あんな態度は取らない。
労民出身の人間なんて、貴族にとっては相手にする価値すらない。」
その言葉に、少し胸が痛んだ。
でも否定できない。それが、この国の現実だった。
「つまり。」
俺は言う。
「俺が何を調べているか、知られると困る人間がいる。」
「そういうこと。」
リリアは険しい表情になる。
「問題は、どこまで情報が漏れているか。」
俺は机の上を見る。
戸籍台帳。この部屋にあるもの。そして、俺たちの調査。
「まだ知られていないこともある。」
「何?」
「証拠がないことです。」
リリアは首を傾げる。
「証拠?」
「はい。」
俺は台帳を指で叩いた。
「この記録だけでは、財務大臣が不正をしたとは言えません。誰かが勝手に名前を使った可能性もある。だから必要なのは、記録が変えられた瞬間を示すものです。」
戸籍には必ず変更履歴がある。
誰が。いつ。どんな理由で修正したのか。
しかし、それは別の場所で管理されている。
「中央保管庫。」
リリアが呟いた。
「王宮地下にある、最重要記録庫。そこなら、改ざん前の記録が残っている可能性がある。」
俺は頷いた。
「行きましょう。」
「危険よ。」
即答だった。
「そこは皇帝直属の管理区域。今の私たちが入れる場所ではない。」
俺は少し考える。以前の俺なら、ここで諦めていた。
危険だから。身分が違うから。無理だから。
でも。今は違う。
「なら、入れる理由を作ります。」
リリアが驚いた顔をする。
「理由?」
「役所の仕事として。」
俺は一枚の書類を取り出した。
「戸籍制度の監査。現在、制度上の不備が発生している。だから確認が必要。」
リリアは目を丸くする。
「あなた……書類で入るつもり?」
「はい。」
俺は答える。
「この国では、人間より書類のほうが信用されますから。」
リリアはしばらく黙った。
そして。
「あなた、本当に変わったわね。」
「そうですか?」
「昨日まで、ただの戸籍係だったのに。」
俺は少し笑う。
「今も戸籍係ですよ。ただ、扱うものが変わっただけです。」
その日の午後。
俺たちは中央保管庫への申請書を提出した。
結果は予想通りだった。
「却下。」
返ってきた書類には、短い一文だけ。
『不要』
理由すらない。
俺はその紙を見る。
「やっぱり。」
リリアが聞く。
「何が?」
「ここを調べられると困る人間がいる。」
しかし、その夜。予想外の人物が改革室を訪れた。
老人だった。王宮で長年働く記録官。
「エイル様。」
俺は驚く。
「様はやめてください。」
老人は首を振った。
「いいえ。あなたは、もうただの労民ではありません。」
老人は小さな箱を差し出した。
「これは……?」
「先代皇帝が残したものです。」
リリアの表情が変わる。
「父が?」
老人は頷く。
「陛下は亡くなる前、こう言われました。
もし娘が戻ってきたなら、これを渡せ。そして……」
老人は俺を見る。
「戸籍係の少年にも見せろ、と。」
なぜ。俺のことを知っている?
疑問が浮かぶ。
老人は箱を開けた。中に入っていたのは、一枚の古い紙。そこには、信じられない文字が書かれていた。
『この国の身分制度は、最初から偽りである』
そして、その下には。
先代皇帝の署名。
俺は息を止めた。
ついに。
この国を変えるための最初の証拠が現れた。




