第7話 改革室の孤独
王国戸籍管理改革室。
名前だけを聞けば、重要な部署に聞こえる。
しかし、実際に案内された場所を見て、俺は納得した。
「……ここですか?」
リリアは小さく頷いた。
「そう。」
王宮の端。人通りの少ない古い建物。扉には埃が積もり、部屋の中には大量の書類が山積みになっている。
机は三つ。椅子は二つ。
そして、働いている人間は――。
俺だけだった。
「誰もいない。」
俺が呟くと、リリアは少し困ったように笑った。
「正確には、誰もやりたがらない部署だった。」
「なぜ?」
「戸籍管理は地味だから。」
それだけではない。彼女は続ける。
「この国では、身分を変えることは許されない。つまり、戸籍制度に疑問を持つこと自体が問題視される。」
なるほど。貴族にとって、この制度は絶対的な利益を生む。自分たちが上位であり続ける仕組み。そこへ手を入れる人間など、歓迎されるはずがない。
「だからあなたをここに置いた。」
リリアは言った。
「誰にも期待されていない場所なら、逆に自由に調べられる。」
俺は机の上に置かれた書類を見る。
何年も放置された記録。未整理の戸籍。移住者名簿。出生記録。大量の情報。
以前なら、ただの紙だった。
しかし今は違う。この国の問題が、ここに詰まっている。
「まず何から始める?」
リリアが聞く。
俺は一冊の台帳を開いた。
「確認します。」
「何を?」
「この国が、本当に正しく人を管理しているのか。」
俺はページをめくる。
最初は小さな違和感だった。
同じ名前。同じ住所。
しかし、身分だけが違う。
「……おかしい。」
リリアが近づく。
「何か見つけた?」
「この人物。」
指で示す。
「出生時は労民。でも十年後の記録では、市民になっている。」
「そんなことありえるの?」
「本来はありえない。」
俺は答えた。
この国では、身分変更には皇帝の許可が必要だ。しかし記録には、その許可書がない。
さらに調べる。
一件。
二件。
三件。
次々に同じ例が見つかった。
「これは……」
リリアの表情が変わる。
「偶然じゃない。」
「はい。」
俺は頷いた。
「誰かが戸籍を書き換えている。」
問題はそこだった。身分制度は絶対だと言われている。しかし、実際には裏で操作されている。
つまり。
この国で一番重要な制度は。
一部の人間によって支配されている。
「誰が?」
リリアが尋ねる。
俺は台帳の最後を見る。
承認印。そこに押されていた紋章。
「……大臣。」
リリアの顔が険しくなる。
「財務大臣?」
「はい。」
財務大臣。国の金を管理する最高位の役職。そして現在、皇帝側についている人物。
「証拠になる?」
リリアが聞く。
俺は首を横に振る。
「まだ足りません。ただ記録がおかしいだけです。」
「でも……」
リリアは悔しそうに拳を握る。
「これが事実なら、身分制度そのものが嘘になる。」
俺は黙って台帳を見る。
昔から感じていた違和感。なぜ努力しても身分が変わらないのか。なぜ一部の人間だけが豊かな暮らしをしているのか。
その答えが、少しずつ見えてきた。
この国の制度は、最初から平等ではなかった。
その時。突然、改革室の扉が開いた。
「失礼する。」
入ってきたのは、豪華な服を着た男だった。
後ろには護衛が二人。明らかに俺たちとは違う世界の人間。
「君が噂の少年か。」
男は俺を見る。
「労民出身で、皇女殿下に取り入ったという。」
リリアが前へ出る。
「彼は私が正式に任命した役人です。」
男は笑う。
「これは失礼。」
しかし、口調には敬意がない。
「私は侯爵家当主、グレイヴ・フォン・アルデン。この王宮の秩序を守る者です。」
男は机の上の台帳を見る。
「戸籍を調べているそうだね。」
「はい。」
「忠告しておこう。」
グレイヴは静かに言った。
「知らないほうが幸せなこともある。」
俺は彼を見る。
初めてだった。貴族が俺に直接言葉を向けたのは。恐怖より先に、疑問が浮かんだ。
なぜこの男は。
俺が何を調べているのか知っている?
「侯爵様。」
俺は尋ねた。
「なぜ、私が戸籍を調べているとご存じなのですか?」
一瞬。男の笑顔が止まった。
そして。
「……なるほど。」
小さく呟いた。
「ただの雑用係ではないようだ。」
その日。俺は理解した。
敵は、俺が思っていたより近くにいる。




