第10話 記録官の反撃
兵士たちが部屋へ入ってくる。先頭に立つ男は、王宮警備隊の隊長だった。
「リリア=アストリア皇女。」
冷たい声が響く。
「あなたには皇帝暗殺未遂の容疑がかかっている。」
リリアは一歩前へ出る。
「証拠は?」
隊長は表情を変えない。
「証拠はこれから確認する。」
「つまり、ないのですね。」
その言葉に、兵士たちがざわついた。
皇女とはいえ、今のリリアは追われる身。だが、彼女の言葉には皇族としての威厳があった。
「命令がある。」
隊長は続ける。
「抵抗するなら――」
「待ってください。」
俺が声を上げた。
隊長がこちらを見る。
「……誰だ?」
「エイル。」
リリアが答える。
「私が任命した、戸籍管理改革室の責任者です。」
兵士たちは笑った。
「戸籍係?労民出身の?」
「そんな奴に発言権があるのか?」
予想通りの反応だった。俺は慣れている。生まれた時から、そういう目で見られてきた。
でも。今は違う。
俺には役職がある。
そして。記録がある。
「隊長。」
俺は一枚の紙を取り出した。
「こちらをご確認ください。」
「何だ?」
「王宮内で保管されている、正式な記録です。」
隊長が受け取る。
そこには、先ほど老人から渡された証拠ではなく、別の情報を書いていた。
『第一皇女リリア=アストリアの身分記録』
隊長の顔が変わる。
「これは……」
「皇女殿下の戸籍記録です。」
俺は続ける。
「この記録によれば、皇女殿下には反逆罪の履歴はありません。」
「当然だ。」
隊長が言う。
「だから何だ?」
「問題はここです。」
俺は別の部分を指した。
「皇帝暗殺容疑が発生した日。この日以降、皇女殿下の戸籍情報が変更されています。」
沈黙。
「身分情報の変更には、皇帝または正式な許可が必要です。しかし、この変更には承認者の名前がない。」
隊長は紙を見る。
「つまり……誰かが勝手に皇女殿下の記録を書き換えた可能性があります。」
兵士たちがざわめく。
戸籍。この国で最も信用されているもの。
その記録に不備がある。それは大きな問題だった。
「くだらない。」
突然、別の声が響いた。
部屋の入口。そこにいたのは。
侯爵グレイヴだった。
「そんな細かな記録で何を証明したつもりだ?」
グレイヴはゆっくり歩いてくる。
「戸籍は所詮、役人が管理する紙切れだ。」
俺を見る。
「労民のお前には分からないだろう。国を動かすのは、紙ではない。権力だ。」
俺は彼を見る。
確かに。この男の言うことも一理ある。
権力者は、紙より強い。
だから今まで誰も逆らえなかった。
でも。俺は知っている。
権力者が一番恐れるものを。
「侯爵様。」
俺は尋ねる。
「では、なぜ戸籍を変更された記録が残っていることを気にするのですか?」
一瞬。グレイヴの表情が止まる。
「……何?」
「本当に紙切れなら、気にする必要はないはずです。しかし、あなたはここへ来た。なぜですか?」
部屋の空気が変わった。
リリアが小さく笑う。俺の意図を理解したようだった。
「エイル。」
「はい。」
「あなた、貴族を挑発しているのね。」
「少しだけ。」
グレイヴは目を細める。
「面白い。身分もない少年が、私に口答えするとは。」
彼は近づいてくる。
「だが覚えておけ。この国は変わらない。何百年も続いた制度だ。一人の少年が騒いだところで――」
「変わります。」
俺は遮った。
自分でも驚くほど、迷いがなかった。
「なぜなら。」
俺は大量の戸籍台帳を見る。
「この国には、変わりたいと思っている人間が何万人もいるからです。」
グレイヴは黙った。
初めて。
貴族の顔から余裕が消えた。
その夜。俺は正式に王宮へ報告書を提出した。
『戸籍制度に重大な不正の可能性あり』
小さな一枚の書類。
しかし、それは三百年間続いた制度へ向けた、最初の一撃だった。




