第4話 消された皇女
「第一皇女……?」
その言葉が、頭の中で何度も響いた。
リリア。いや、リリア=アストリア。
この国の次期皇帝候補。
俺が助けた少女は、俺とは住む世界が違う存在だった。
「待ってくれ。」
俺は混乱したまま尋ねる。
「第一皇女なら、なぜ追われている?」
皇位継承者なら、最も守られる立場のはずだ。
しかしリリアは首を横に振った。
「この国では、力を持つ者ほど狙われる。」
彼女は窓の外を見る。
王宮から上がる煙は、まだ消えていない。
「父である皇帝が倒れた。」
「倒れた?」
「病気だと発表されている。」
リリアの声が少し低くなる。
「でも違う。」
「誰かに毒を盛られた。」
背筋が冷たくなる。
皇帝暗殺。それは国を揺るがす大事件だ。
「犯人は?」
聞くと、リリアは少し迷った。
「……私の弟。」
「弟?」
「第二皇子。」
その名前を聞いたことはなかった。
当然だ。俺のような労民に、皇族の事情など知らされることはない。
「彼は父が倒れた直後、こう宣言した。」
リリアは拳を握る。
「第一皇女リリアは、皇帝暗殺を企てた反逆者である。」
言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。
「……逆にされた?」
「そう。」
彼女は笑った。悲しい笑いだった。
「私が父を殺したことになった。」
ありえない。そう思った。
しかし、この国ではありえる。
身分の高い者の言葉は、低い者の真実より重い。
証拠がなくても。目撃者がいなくても。
皇族の命令なら、それが事実になる。
「だから逃げた。」
「捕まれば?」
「公開処刑。」
リリアは淡々と言う。
「そして歴史には残る。」
「皇帝を殺そうとした極悪皇女として。」
俺は何も言えなかった。
この国の仕組みを、俺は知っていたつもりだった。
でも違った。
底辺にいる人間だけが苦しんでいると思っていた。
違う。
権力者ですら、この制度に縛られている。
「……どうするつもりなんだ?」
俺が聞く。
リリアは少し考えてから答えた。
「証拠を探す。父が殺された証拠。そして、本当の犯人を暴く。」
簡単な話ではない。
皇帝暗殺の証拠など、すでに消されているだろう。相手は皇宮を支配している。
「無理じゃないか。」
思わず口に出た。
リリアは否定しなかった。
「そうね。」
「一人なら無理。」
彼女は俺を見る。
「だから、あなたに頼みたい。」
「俺に?」
思わず笑いそうになった。
「俺はただの戸籍係だ。剣も使えない。貴族との交渉なんてしたこともない。」
しかし、リリアは真剣な目で言った。
「だからあなたなの。」
「理由になっていない。」
「なるわ。」
彼女は役所の棚を見る。
何千冊もの戸籍台帳。
「あなたは、この国で誰よりも多くの人間を見ている。
身分。出身。家族。仕事。
全部知っている。」
俺は黙る。
「貴族は、人を数字として見る。でもあなたは違う。一人一人の人生を見ている。」
そんなことを言われたのは初めてだった。
俺はずっと、自分には何もないと思っていた。
最低階級。
雑用係。
誰からも必要とされない存在。
でも。
もし、この仕事で得た知識が誰かを救えるなら。
意味があるのかもしれない。
その時だった。
倉庫の外から声が響いた。
「ここだ!」
兵士の声。
「皇女がこの近くにいる!」
リリアの表情が変わる。
逃げ道はない。
俺は周囲を見る。
そして、壁際に置かれた一冊の帳簿に目が止まった。
古い記録。
数十年前の戸籍台帳。
そこには、この役所にしかない情報が書かれている。
俺は一つの作戦を思いついた。
「リリア。」
「何?」
「今から、あなたの人生を一度消す。」
彼女が驚く。
「できるの?」
俺はペンを握った。
「本物の戸籍は消せない。でも……
この国は、記録で人間を判断する。」
扉の向こうで兵士が叫ぶ。
「開けろ!」
俺は静かに答えた。
「なら、記録を変えればいい。」
その瞬間。
俺は初めて、身分制度そのものに逆らった。




