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最低階級の戸籍係 ~皇女に拾われた俺は、身分を管理する役人になった~  作者: 大豆


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第3話 皇女の名前

皇室の紋章。

それは、この国で最も重い意味を持つ印だった。


王宮の門。

公式文書。

重要な命令書。


あらゆる場所で目にするもの。


そして、それを持つ者はごく一部。

皇族。


「……冗談だろ。」


俺の口から、思わず声が漏れた。

少女は悲しそうに笑う。


「そう思うよね。」


「俺みたいな人間が、皇族と話しているなんて。」


「違う。」


俺は首を振った。


「そうじゃない。」


少女を見る。泥だらけの服。疲れ切った表情。震える手。

普通なら、こんな姿の皇族など想像できない。


でも、目だけは違った。

命令する人間の目ではない。

助けを求める人間の目だった。


「名前は?」


俺が聞くと、少女は少し迷った。

そして、小さな声で答えた。


「……リリア。」


一瞬だけ間が空く。


「本当の名前?」


少女は答えなかった。

代わりに、窓の外を見る。


「今の私には、その名前すら危険なの。」


俺は黙った。

皇族が命を狙われている。そんな話、聞いたことがない。だが、考えてみれば不思議ではなかった。


この国では、身分がすべてだ。皇位を巡る争いなら、どんなことが起きてもおかしくない。


「皇帝には、何人も子どもがいる。」


リリアは静かに話し始めた。


「でも、次の皇帝になれる人間は一人だけ。」


「だから……」


「だから、邪魔な人間は消される。」


淡々とした言葉だった。

まるで、自分が殺されることを受け入れているようだった。


俺は拳を握る。

昔の父の言葉を思い出した。


『考えた奴から消える』


この国では、疑問を持つことすら許されない。

でも。

目の前で一人の少女が殺されようとしている。

それを見て見ぬふりをすることが、本当に正しいのか。


「……戸籍を作ることはできない。」


俺は言った。

リリアの表情が曇る。


「でも。」


続ける。


「逃げるための記録なら作れる。」


「え?」


「戸籍そのものを書き換えるんじゃない。」


俺は棚から古い用紙を取り出した。


「一時滞在者の記録。」


役所には、旅人や商人が短期間滞在するときに使う書類がある。

正式な戸籍ではない。

でも、数日なら身分確認として使える。


「名前はリリア。出身は……、北部の小さな村。職業は薬師見習い」


ペンを動かす。手が震えていた。

これは犯罪だ。

もし見つかれば、俺の人生は終わる。


それでも書いた。

初めて、自分の意思で。

決められた人生から外れるための一文字を。


「どうして?」


リリアが聞いた。


「どうして、そこまでしてくれるの?」


俺は答えられなかった。

正義感があったわけじゃない。

世界を変えたいと思ったわけでもない。


ただ。


「……俺も、同じだから。」


「同じ?」


「この国では、生まれた場所で全部決められる。」


自分の戸籍を見る。

そこには、労民という二文字。


「俺も、生まれた瞬間から価値が決められていた。」


リリアは黙って俺を見る。


「だから、一人くらい違う人生を選んでもいいと思った。」


しばらく沈黙が続いた。

やがて。

リリアは初めて少しだけ笑った。


「あなた、不思議な人ね。最低階級なのに。皇族を助けるなんて。」


その言葉に、俺は苦笑する。


「俺もそう思う。」


しかし、その瞬間だった。

遠くで鐘の音が鳴った。王都全体に響き渡る警報。緊急事態を知らせる鐘。


リリアの顔から、血の気が引く。


「……始まった。」


「何が?」


彼女は窓の外を見る。

王宮の方向。黒い煙が上がっていた。


「私を消すための準備が。」


そして彼女は、初めて本当の名前を口にした。


「私はリリア=アストリア。この国の第一皇女。


そして……次の皇帝になるはずだった人間よ。」

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