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キツネの恩返し  作者: 7氏。


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6/10

深きにおいて血は呼ばれる③

5/18 一部セリフや言い回しを変更しています。

 古書店を後にした私は、駅前で電車を待ちながらバッグの中の桐の箱を一度だけ確かめた。

 あの人は、狐目の男はこの櫛から一体何を読み取ったのだろうか――。


 その夜、私は文化庁時代の元上司に電話をかけた。

 特殊文物課に私が在籍していた頃、課長代理をされていた久世さんという方だ。今は文化庁を離れて、文部科学省の外郭団体に出向していると聞いている。

 私が探査士になると決めた時、最後まで引き止めてくれた人だ。

 

 「白瀬です。お久しぶりです」

 「ああ、白瀬さん。元気にしてた」

 

 電話越しでも変わっていない、落ち着いた低めの声。

 

 「はい。あの……少し、ご相談がありまして」

 

 私は事情を問題ない部分だけ話した。地下書庫で読んだ老人の手記のこと。

 ダンジョン内における人ならざる血脈・気配の発現に関する調査を、個人的に行いたいと考えていること。

 一名同行させたいので文化庁との合同調査の体裁を取らせて欲しいこと。

 

 「あの手記、白瀬さんずっと気にしてたもんね」

 

 元上司の声は、電話越しでも変わっていなかった。相手を気遣う優しい声。

 「久世さん、お力をお借りできますか」

 「いいよ、書類は私のほうで整える。委託調査って形にしておく」

 「ありがとうございます」

 「同行者は」

 私は息を吸った。

 「白川という人を、民俗学顧問として登録していただきたいんです」

 「白川……どこの大学」

 「無所属です。民間の研究者で、私が個人的に――」

 「白瀬さん……」

 

 元上司の声が、少しだけ止まった。

 

 「白川さんっていうのは、もしかして……」

 

 私は息を呑んだ。

 

 「ご存じなんですか」

 

 短い沈黙があった。

 

 「……いえ、気のせいね」

 

 元上司は、それから、こう言った。

 

 「書類、明日には送る。白川さんの分もこっちで処理しておくね」

 「すみませんがお願いします」

 「白瀬さん」

 

 電話を切る前に、もう一度、元上司は言った。

 

 「気をつけるのよ」

 「はい」

 「無理は絶対にしないように」

 「分かりました、単独で行ける階層しか行く予定はないので大丈夫ですよ」

 「それでもよ、絶対に無理はしないこと。いいわね」

 「分かりました。くれぐれも用心します」

 「約束ね、それじゃ」

 

 電話が切れる。

 私はスマホをしばらく見つめる。

 久世さんは白川という名前に明らかに心当たりがあった。

 あの狐目の男を知っている?

 

 こうして離れると疑問ばかり浮かぶ。

 得体の知れない人間なはずなのに。

 なのに対面していると、不思議と安心感を抱いてしまう。

 一体あの人は何者なのだろうか――。

 そう思わざるを得なかった。

 

 ◆

 

 翌週の月曜日、ダンジョン管理局三階。

 潜行申請の窓口に、私は文化庁から送られてきた委託書類一式を提出した。

 窓口の女性は、書類を一枚ずつ確認していった。

 目的欄。「ダンジョンにおける異能に関する民俗学的調査」。

 潜行予定階層欄。「十四階層以下、現地判断」。

 同行者欄。「白川(文化庁委託・民俗学顧問)」。

 彼女の視線が、同行者欄で止まった。

 

 「白瀬さん、同行者の方の身分証明書の写しなんですが」

 「文化庁から、原本確認済みの証明書が同封されているはずです」

 

 彼女は書類を捲った。確かに、文化庁の角印が押された一枚があった。

 彼女はそれを見て、しばらく動かなかった。

 窓口の蛍光灯が瞬く。

 彼女は息を、一度、吐いた。

 判子を取り出した。

 ぱん、と乾いた音が机に響いた。

 白川の欄に判子が押されていた。

 

 「許可します。潜行日が決まりましたらご連絡ください」

 

 普段よりもやけに長く感じた――が、怪しまれた様子は無かった。

 彼女は書類を整えて、奥のラックに入れようとした。

 ラックの前で、彼女は一度、手を止めた。

 書類を奥のラックの一番下の棚に静かに収めた。

 他の書類とは少しだけ離れた場所だった。

 

 「お気をつけて」

 

 彼女は、こちらを見ずに、そう言った。

 私は窓口を離れた。

 エレベーターのほうへ歩きながらふと、振り返った。

 窓口の女性は、もう次の申請者の対応を始めていた。

 

 ◆

 

 潜行予定日の前夜、私は父の病室に立ち寄った。

 父はベッドの上で起きていた。

 点滴のチューブを腕につけたまま私を見て少しだけ笑った。

 

 「来たか」

 「うん、調子はどう」

 「今日は珍しく調子がいい」

 

 そういうと父は人好きのする笑顔を見せた。

 私は椅子を引いて、ベッドの横に座る。

 

 「どうだ、仕事は」

 「今週は休み。明日からちょっと、調査で潜るの」

 「調査」

 

 父は、私の顔を見た。

 

 「どこを」

 「……下層」

 「個人で潜るのか」

 「文化庁との合同調査。私の昔の伝手で二人だよ」

 「文化庁。あの古い書庫がある」

 「うん。あそこで、前に読んだ手記があって。それを、現地で確かめるための調査なの」

 「手記」

 

 父はしばらく黙っていた。それから、こう言った。

 

 「深きにおいて本来の血の呼ばれを覚ゆ……だったか」


 私は、息を止めた。

 なぜ?どうして?

 さまざまな疑問の言葉が頭の中を駆け巡る。


 「……どうして」

 

 父は天井を見ていた。私の顔は見ていなかった。

 

 「お母さんが、いなくなった年だったかな」

 

 壁の時計の音が、ゆっくり響いている。

 

 「文化庁の人が、家に来たんだ」

 「……うちに」

 「紗夜は、まだ小さかったから、覚えてないだろう」

 「うん」

 「最初は警察が来たり、何かの調査だったりいろいろ来たよ。正直に言うと母さんの失踪に関してお父さんも色々と疑われていたんだよ」

 

 父はそこで、少しだけ目を閉じた。

 

 「文化庁の人だけは、他とは違ったよ。明らかに事情を、何かしら知っているような顔をしていた」

 「……名前は、覚えてる?」

 「いや、もう覚えてない。ただ、年配の男の人だった」

 

 地下書庫の手記を書いた人だ、と私は思った。


「行方を聞いても答えてくれなくてな。ただその人があの一節を、私の前で読み上げたんだ。意味が分からなくてな……そしたら、子供はいるかと聞かれた。娘が居ると答えたら、この一節を書いた手記があるから、いつか娘が大きくなったら、それを読むかもしれない、と」

 「……お父さん」

 

 父は、ゆっくりと私の方に顔を向けた。

 

 「私には、最後まで意味が分からないままだった」

 

 父は、少しだけ目を細めた。


 「ただ、その人は『娘ならいつか分かる』と、そう言いたかったんじゃないかと思う」

 「だから今夜、紗夜が『手記』と口にした時──ああ、紗夜はあの一節の意味を、知ったんだな、と」

 

 私は、何も言えなかった。

 二十年以上、父はその一節を抱えていた。

 誰にも言わずに。私にも、誰にも。

 

 「お父さんはな、お母さんがどこへ行ったのかずっと考えてた」

 

 父の声は、静かだった。

 

 「考えても、考えても、答えは出なかった。それにな――」


 父はそこで少しだけ懐かしむように言葉を切った。

 

 「お前が……紗夜が、目の前にいたから」

 

 短い沈黙があった。

 

 「お父さんはな、ずっとお母さんを待ってたつもりだった」

 「うん」

 「でももうその気持ちはない。彼女はもう戻ってこない」

 

 諦観とほんの少し自分を言い聞かせているような口調。

 

 「だから俺のために潜るつもりなら」

 

 父は天井を見たまま、続けた。

 

 「やめなさい」

 

 私は、息を止めた。

 

 「お父さんはもういいんだ。母さんに会えなくてもいい、紗夜がいる」

 「お父さん……」

 「ただ……紗夜がお母さんに会いたくて行くなら、それは止めない」

 

 父はゆっくりと、私の方に顔を向けた。

 

 「でも、俺のためなら無茶なことはするな」

 

 弱った目だった。けれど、その目は確かに私を見ていた。

 

 「父親が、娘に頼むことじゃない。母さんに会わせてくれだなんて。そんなことを口に出した覚えはないが、もし俺がうわごとでそう言っていたとしても──忘れなさい」

 

 私は、何も言えなかった。

 父はもう一度、天井に視線を戻した。

 

 「お母さんはな、強い人だったよ」

 「うん」

 「お前が生まれた時、すごく喜んでた。お前のことを、すごく可愛がってた。それは、本当だ」

 「うん」

 「ただ、彼女には、彼女なりの事情があったんだろう」

 

 壁の時計の音だけが、しばらく続いた。

 

 「それでも行くというなら――自分のために行きなさい」

 父はそう言った。


 「行ってくるね」

 

 私はそう言って、父の手を握った。

 乾いて、軽い手だった。

 

 「気をつけて行ってこい」

 

 病室を出る時、もう一度振り返った。

 父はもう目を閉じていた。

 穏やかな寝息が、始まっていた。

 

 ◆

 

 翌朝、ダンジョン管理局の入口。

 集合時刻の十分前に、私はゲートの前に立っていた。

 十一月の朝の空気は、肺に入れると芯が冷えるような冷たさだった。

 白川さんは、定刻ちょうどに現れた。

 ロングコートを羽織って、店で会った時と同じ格好だった。

 肩にリュックをひとつ。装備らしい装備は、何も身につけていなかった。

 

 「おはようございます」

 「おはようございます」

 

 私は彼の格好をもう一度見た。

 聞きたいことがたくさんあった。

 けれど私は何も聞かなかった。不思議と大丈夫、そう思えたから。

 

 今日私は母に会いに行く。それだけを考えよう。

 ゲートに、私の探査士証をかざした。緑色のランプが点灯する。

 私が先にゲートをくぐった。

 その後ろから、白川さんが続いた。

 ゲートの警備員は、彼を見た。

 ちらり、と。

 警備員の口が半分開きかけた。何かを言おうとした口だった。

 それが開いたまま、静止画のように動かなくなった。

 白川さんは、ゲートを通り抜けた。

 通路を歩きながら私はふと振り返ると、彼はしばらく入口のほうを見ているようだった。

 

 「行きましょうか」

 

 白川さんは、それ以上何も言わなかった。

 私も、何も聞かなかった。


 通路を歩く靴音が二人分、響く。

 彼の足取りは軽い。ダンジョンを知らない人の歩き方ではなかった。


 ――ああ、もう。


 余計な思考は一旦排除しなければ。

 何かしら事情を知っていて、手助けしてくれる人。それだけでいいと思い直す。

 

 ダンジョン入口の扉が、目の前に見えた。

 扉の向こうに、私の血を呼ぶ場所がある。

 それだけが、私の中で確かなことだった。

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