幸恵
学校が終わると豊は、コンビニでプリンいくつか買って、マンションに帰った。
幸恵は、待ってましたとばかりに音子を招き入れた。
音子が学校に通い始めてからは、毎日こんな感じだ。
学校での事を、音子から聞くのが楽しみらしい。
なんとなく豊は、幸恵の雰囲気が明るく変わってきているように感じた。
別の言い方をすれば、音子に少し似てきていた。
動物は飼い主に似ると言うが、その逆もあり得るのだなと豊は思った。
豊は、とりあえずプリンを冷蔵庫に入れようと、キッチンへと向かった。
するとそこには、電話している明子がいた。
明子は豊がキッチンに来た事に気がつかず、そのまま電話を続けていた。
豊は邪魔をしないように、プリンを冷蔵庫にいれたら、すぐにキッチンを出る予定だった。
だけど、聞こえてくる明子の声に、歩みを止めざるを得なかった。
「最近はちゃんと学校にも通えるようになりました。手術はもう少し待ってください。」
明子は、凄く切羽詰まった様子だった。
ほんの少し聞いてしまったその言葉で、豊は状況をある程度理解していた。
幸恵の記憶障害を直す為に、手術をする予定がある事。
そしてその手術に、明子は反対している事。
更には、なんのために音子に、学校に行くように勧めたのかも分かった。
大丈夫である事を主張する為だ。
そんな事を考え立ち止まる豊に気がついた明子は「また電話します」と言って、そそくさと電話を切った。
電話を切るとすぐに「そういう事なんですよ。」と、明子は無理に笑顔を作って、豊に言った。
その後、豊は明子から、色々と事情を説明される事になった。
幸恵は、ある企業グループを束ねる会長の孫であり、父親はそのグループの中軸企業の社長だった。
だけど、幸恵は望まれて生まれた子供ではなかった。
父親は結婚が決まった後に、愛人から妊娠を告げられたのだ。
そうやって愛人との間に生まれた私生児が、幸恵である。
父親には、一応社会的立場もあり、公にならないように、母親が幸恵を育てる事になった。
だけど愛人であった母親としては、納得できなかった。
自分が結婚できるものだと思って、付き合っていたのだから。
だから、なんとか見返してやろうと、幸恵を厳しく教育した。
暴力こそ振るわなかったが、幼児虐待と言われても差支えないほどだった。
でもそれは母親の、本心からの愛がなせるものだった。
間違った愛でも、愛は愛だ。
だが、それがきっかけだったのか、気がつくと幸恵には、記憶障害が起こるようになった。
記憶障害の原因はハッキリしなかったが、それはすぐに父親の知るところとなった。
父親は、結婚前に浮気をしていた事がばれるのを恐れ、幸恵の行動を規制した。
普通の子なら、別に規制する必要はない。
だけど、障害があると、やはり目立ってしまう。
それでも、多少なりとも落ち着いて、普通に小中学校の義務教育は終える事ができた。
高校は地元の高校に進んだ。
しかしそこで待っていたのは、更なる競争や新しくなる人間関係。
イジメもあったのかもしれない。
幸恵は再び、記憶障害を起こすようになった。
そこで、田舎の高校である、桜花高校に転校してきたというわけだ。
だけど、此処にきても変わらなかった。
登校初日、帰ってくると、記憶障害がおきていた。
学校であった事を聞いても、何も覚えていなかった。
再び、学校へは通えなくなった。
そんな時に浮上した話が、手術である。
だが、原因もわからない障害、治る可能性は限りなくゼロに近い。
それでも父親は、手術を勧めてきた。
明子は思った。
手術を失敗させ、幸恵を殺そうとしているのではないかと。
そんな時に、音子と出会った。
音子がちゃんと学校に行って、ちゃんと普通の人のようにできれば、父親も治ったと思って、手術をやめてくれるかもしれないと。
ザックリ話すとこんな感じだった。
そうは言っても、豊にはずしりと重い話であった。
最後に豊が「母親は何処にいるんですか?」と聞くと「おそらく死んだ」との事だった。
あまりに無慈悲な話に、豊は少し涙がでた。
できるものなら、なんとかしてあげたいと思った。




