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魔法劣等生による神式攻略 ――攻略不能レイドは、やる気なしの劣等生に託された――  作者: 龍虎


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第11話 仕方なく始まる攻略

 逃げ続けていた少年は、仕方なく現実の盤面へ戻った。


 その瞬間、神代カイの目から眠たげな色が消えた。別人になったわけではない。導杖を握ったわけでもない。高出力の術式を展開したわけでもない。相変わらず、彼は戦場の中心で何も構えていない劣等生のままだった。


 けれど、その視線だけが変わっていた。


 螺旋状にねじれた書架。床を這う黒い文字列。拘束された教師。炎の名残が残る焦げた本棚。足場を見失いかけている白羊院ユイカ。導杖を握り締める久我ハルト。情報量で眉間を押さえる早見ナツメ。震えながら符式端末を握っている瀬尾リクト。


 それら全てを、カイは一度に見ていた。


『管理フェーズへの移行準備』

『暫定指揮者:神代カイ』

『応答を要求』


 ATの端に、白い文字が浮かぶ。カイは舌打ちした。


「応答を要求、じゃねえよ。勝手に指揮者にしておいて、要求だけは一人前か」

「カイさん、現在の状態を簡潔にまとめますね!」


 肩口に浮かぶ小型ホログラムの少女、ナビィ・オルタが、場違いなほど明るい声で言った。


「敵性管理機構、司書官グリモアは、閲覧者の行動傾向を学習中です! 沈黙ペナルティにより偽装支援ログが増殖。放置すると、皆さん仲良く別々の正解に向かって全滅します!」

「仲良く全滅って表現やめろ。縁起でもない」

「では、個別最適化された破滅ルートへ移行します!」

「もっと悪いわ」


 軽口を返しながらも、カイの声は冷えていた。その温度に、リクトが息を呑む。


「カイ……?」

「リクト、喋るな。いや、違う。必要なことだけ喋れ。ここは図書館だ。音もログに拾われる」

「え、声も?」

「多分な。さっきからグリモアの顔の文字、俺たちの発言に反応してる」


 リクトが慌てて口を押さえる。カイはすぐに視線をナツメへ移した。


「早見」

「……はい」

「正しい情報を探すな」


 ナツメの手が止まった。


 彼女のATには、すでに数え切れないほどのログが重なっている。司書官の位置、拘束解除手順、出口候補、足場の安定度、熱量術式の推奨出力、加速経路、通信復旧ルート。それらは彼女の視界に何層も重なり、現実の景色を塗り潰そうとしていた。


「正しい情報を探さない……?」

「ああ。真偽判定をしようとするな。今の量を全部読むと、お前が先に潰れる」

「でも、読まないと判断材料が――」

「違う」


 カイは即座に切った。


「ログの内容を見るな。ログの向きだけ見ろ。誰を、どこへ、どう動かそうとしているか。それだけ抜け」


 ナツメの瞳がわずかに揺れた。


 普通なら、支援ログは情報として扱う。位置情報。危険表示。推奨経路。術式補正。だから解析担当は、その情報の真偽を調べる。だが、カイは違った。ログそのものを、敵の攻撃として見ている。


「分類しろ。久我用、白羊院用、お前用、瀬尾用、俺用。誘導対象ごとに分ける」

「……個別ログの意図別分類」

「そうだ。一致、矛盾、保留に分けろ。保留は捨てるな。あとで罠の意図が見える」

「了解」


 ナツメの指がATの空中画面を走る。青白い解析窓が展開され、乱雑に流れていたログが細い束へと分かれ始めた。


『白羊院ユイカ:高速救助経路』

『久我ハルト:熱量解放推奨』

『早見ナツメ:全ログ完全読解』

『瀬尾リクト:非戦闘員退避』

『神代カイ:指揮権限応答要求』


 ナツメは息を止めた。


「本当に……分かれた」

「だろうな。こいつは全員に同じ嘘をついてるんじゃない。全員に違う命令を書いてる」


 カイは次に、導杖を構えたまま固まっているハルトを見た。


「久我」

「……なんだよ」

「火力は撃つな」


 ハルトの顔が露骨に歪む。


「またそれかよ」

「お前は照明役だ」

「は?」

「熱を出すな。影を作れ」


 沈黙が落ちた。それは、ハルトにとって侮辱に近い命令だった。


 Bクラスで上位に食い込むまで、彼は熱量系術式だけを磨いてきた。名門ではない。星紋家門でもない。血筋で選ばれたわけでもない。だからこそ、努力で届く場所まで火力を伸ばした。それを、戦場の真ん中で、Eクラスの劣等生が「撃つな」と言った。


 しかも、照明役。


「ふざけんな。俺は懐中電灯じゃねえ」

「懐中電灯の方が今は偉い」

「あ?」

「撃てば本棚が燃える。燃えたら星素汚染が増える。星素が濁れば、全員の術式補正が狂う。お前の火力はこの盤面だと敵の餌だ」

「だから黙って光ってろって?」

「そうだ」


 あまりにも迷いのない返答だった。ハルトのこめかみに血管が浮かぶ。だが、カイはその怒りすら見ていなかった。いや、見た上で優先順位を下げていた。


「白羊院」

「……何?」


 ユイカは、今にも飛び出せる姿勢のまま答えた。足元には白い加速術式紋が薄く咲いている。彼女の身体は、抑え込まれた矢のように前へ進みたがっていた。拘束された教師の方へ。司書官グリモアの方へ。見えている危機へ。


「最速で走るな」

「この状況で速度を落とせって言うの?」

「そうだ。全員が追える速度まで落とせ」

「それでは救助が遅れるわ」

「一人だけ速く着いたら、一人だけ先に死ぬ」


 ユイカの表情が強張った。


「……言い方」

「悪いな。今、飾る余裕がない」


 カイはグリモアから目を離さない。


 黒衣の司書官は、螺旋書架の奥で巨大な本を抱えて立っていた。動きは少ない。だが、その白紙の顔には細い文字列が浮かび続けている。


『閲覧者行動記録中』

『発話傾向、保存』

『反抗的指揮者、観測』


 カイは小さく息を吐く。


「リクト」

「お、おう」

「お前の低出力タグを本棚の側面に貼れ」

「床じゃなくて?」

「床は信用するな。床面はもう何回も意味が変わってる。けど、書架はまだ管理側の基準点になってる」

「基準点?」

「この図書館は本棚を中心に回ってる。床は通路じゃない。たぶん、ページの余白みたいなもんだ」

「分かったような、分からんような……」

「分からなくていい。貼れ」

「雑!」


 リクトは文句を言いながらも、震える手で透明な符式端末を取り出した。薄いフィルム状のタグが、黒い書架の側面に貼り付く。指で端をなぞると、淡い緑の線が走った。


『低出力境界固定』

『対象:書架側面』

『安定率:二十一パーセント』


「低っ!」

「十分だ。高すぎたら逆に見つかる」

「見つかるって誰に!」

「司書」


 言った瞬間、遠くのグリモアの顔に文字が浮かんだ。


『無断固定を確認』

『閲覧姿勢、要修正』


「ほら見つかったじゃん!」

「まだ見つかっただけだ。対策される前に次を貼れ。右じゃない。左の三段目。焦げ跡のある本棚」

「なんでそんなピンポイントなんだよ!」

「影がずれてる」


 リクトは一瞬だけハルトを見た。


「久我! 光!」

「命令すんな!」

「お前じゃなくてカイの命令だよ!」

「余計腹立つわ!」


 悪態をつきながらも、ハルトは導杖を低く構えた。熱量を炎へ変換しない。爆発させない。燃やさない。熱の偏りだけを光へ変える。導杖の先に、白い光が灯った。


 それは攻撃魔法のような派手さはない。敵を吹き飛ばす熱もない。観客がいれば、失笑したかもしれない。けれど、その光が書架の間を照らした瞬間、通路の異常が露わになった。


 本来なら真っ直ぐ伸びるはずの影が、途中で折れている。床に落ちた影だけが、通路の奥へ吸い込まれるように歪んでいる。


「……なんだ、これ」


 ハルトが呟く。


「偽通路だ」


 カイは即答した。


「見えてる通路は右。でも影は左へ逃げてる。本物の空間は左の書架沿いだ」

「ATでは右が安全経路と表示されています」


 ナツメが言う。


「だから右は罠だ。白羊院、右へ踏み込むな。半歩左。速度は落としたまま」

「分かったわ」


 ユイカは唇を結び、足元の加速術式紋を絞った。


 全力なら、一瞬で数十メートルを抜けられる。けれど今は違う。彼女は自分の速度を殺し、後ろの仲間が追える範囲に抑えた。それは、白羊院ユイカにとって簡単なことではなかった。


 速さは彼女の武器だ。白羊院家の誇りだ。迷ったら前へ出る。誰よりも先に危険へ飛び込む。それが彼女の強さであり、正しさだった。だが今、その正しさが罠になる。


「……遅い」


 ユイカが悔しそうに呟く。


「遅くていい」


 カイは言った。


「今は、全員で進む方が速い」


 ユイカの目がわずかに見開かれた。反論はなかった。


 ハルトの光が書架の影を伸ばす。リクトのタグが本棚の位相を固定する。ナツメがログの誘導対象を分類する。ユイカが全員の歩調に合わせて進む。


 そしてカイが、それらを一つの動きに束ねる。


『白羊院ユイカ:単独突入推奨』

『久我ハルト:熱量解放推奨』

『瀬尾リクト:後方退避推奨』

『早見ナツメ:完全読解推奨』


「全部無視。早見、分類だけ続けろ」

「了解。白羊院用ログ、単独行動を誘導。久我用ログ、攻撃行動を誘導。瀬尾用ログ、離脱行動を誘導。私用ログ、処理過多を誘導。神代君用ログは……」


 ナツメの声が止まる。


「何だ」

「指揮権限の正式化を求めています。応答しない場合、補助層干渉を強化すると」

「脅迫文だな。保留に入れろ」

「保留でいいんですか?」

「今、返事したら向こうの土俵に乗る。指揮はする。契約はしない」


 ナビィがぱっと顔を明るくした。


「つまり、責任は取らずに実務だけ握る感じですね!」

「言い方」

「でも、すっごくカイさんらしいです!」

「褒めてないだろ、それ」


 リクトが少しだけ笑った。


 その笑いはすぐに引きつったが、それでも空気がわずかに変わった。誰も余裕などない。教師はまだ拘束されたまま。グリモアは奥にいる。周囲の書架はゆっくりと回転し、黒い文字列は足元を這っている。


 それでも、全員が同じ方向を見始めていた。


 カイはその変化を確認し、次の指示を出す。


「隊列を組む。白羊院が前。半歩後ろにリクト。タグを貼れる距離を維持。久我は左後方で光源。早見は中央、視界を切るな。俺は最後尾」

「最後尾?」


 ユイカが振り返る。


「あなた、戦えないんでしょう」

「だから最後尾だ。前に出ても邪魔になる」

「後ろにいたら、何かあった時に逃げ遅れるわ」

「逃げる予定はない」


 その言葉に、リクトの表情が変わった。


「カイ」

「何だよ」

「そういう言い方、やめろ」


 リクトは笑っていなかった。


「お前が逃げないって言うと、なんか……嫌な感じがする」


 カイは一瞬だけ黙った。


 脳裏に、赤い警報がよぎる。兄の手の感触。崩れる結界。ノイズだらけのAT。自分を押し出す腕。


『カイ。現実は、リトライできない』


 カイは奥歯を噛み締めた。


「……分かった。言い直す」


 リクトを見る。


「逃げ道も見ながら、最後尾に立つ」

「よし」

「お前、何様だよ」

「悪友様」


 くだらない返しに、カイはほんの少しだけ息を漏らした。


 次の瞬間、図書館全体が軋んだ。


 螺旋状の書架が、ぐるりと回転する。上も下も分からないほど高く積み上がった本棚が、巨大な歯車のように動き出し、通路の形を変えていく。黒い文字列が床から浮き上がり、空中を走る。まるで、本のページがめくられるように、空間そのものが薄く波打った。


『閲覧フェーズ、終了準備』

『暫定指揮者による干渉を確認』

『管理フェーズへ移行』


 ナツメの顔色が変わった。


「ログの密度が上がります」

「どのくらい」

「今の三倍……いえ、五倍以上」

「五倍って、もう目に悪いとかいうレベルじゃねえだろ」


 リクトが青ざめる。ハルトは導杖の光を強めた。


「来るなら来いよ。今度は燃やさねえ。照らしてやる」

「出力を上げすぎるな」

「分かってる!」

「分かってる奴は、そんな声で返事しない」

「うるせえ!」


 ユイカが前を見据える。


「神代、次は?」


 初めて、彼女は命令を求める声で言った。Aクラスの白羊院ユイカが、Eクラスの劣等生に次を問う。本来ならありえない光景だった。


 だが今、この盤面では序列など意味を持たない。必要なのは、誰が一番強いかではない。誰がルールを読めるかだ。


「前進。右の通路は無視。左書架沿いに三メートル。リクト、二枚目のタグ。久我、光を床じゃなく本棚へ当てろ。早見、白羊院用ログだけ声に出せ。白羊院はその逆を選べ」

「逆?」

「お前向けのログは、お前を走らせたい。なら、走りたくなる表示が出た方を疑え」

「……いいわ」


 ユイカの足元に、抑えられた白い術式紋が咲く。


「従う。ただし、間違えたら承知しない」

「間違えたら全員死ぬ。承知する暇もない」

「本当に言い方が最悪ね」

「知ってる」


 カイは、白紙の顔の司書官を見据えた。


 グリモアは、まだ攻撃してこない。ただ、本をめくっている。一枚。また一枚。ページがめくられるたび、全員のATに新しいログが挿入される。視界の端が歪み、足元の距離感がずれ、耳に届く音が半拍遅れる。


 管理フェーズ。


 それは、図書館が閲覧者を観察する段階から、閲覧者の行動を直接整理し始める段階だった。


『管理対象:侵入者六名』

『騒音源、熱源、加速源、解析源、固定源、指揮源』

『分類完了』

『整頓を開始します』


 司書官グリモアの白紙の顔に、冷たい文字が浮かぶ。


 カイは小さく吐き捨てた。


「上等だ」


 そして、誰にも聞こえないほど低く続ける。


「整理される前に、こっちが読み切る」

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