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朝の雑用を終えてリリアーナが地下室に戻ると、扉が開いていた。
おかしいと思いながら入ると、イザベラが寝台に腰かけていた。
脚を組んで、背もたれに寄りかかって、手にパンを一つ持っていた。
丸いパンだった。昨日の残りだろうか、少し固そうだったが、それでもパンだった。
リリアーナの胃が、音もなく反応した。
今日は朝から何も食べていなかった。雑用の間中、ずっとそのことを考えないようにしていた。
「昨日はおかしかったから」
イザベラは言った。
「特別にパンを持ってきてあげたわ」
リリアーナは黙っていた。
「感謝しなさいよ」
「……ありがとうございます」
イザベラは少し笑って、パンを持ったまま立ち上がった。
そのまま床に、ぽとりと落とした。
リリアーナは目で追った。パンが石造りの床に落ちて、ころりと転がった。
イザベラの足が、その上に乗った。
ぐり、と踏んだ。
靴の底がパンに沈む音がした。
「みててあげるから、食べなさい」
リリアーナは踏まれたパンを見た。
イザベラの靴の跡がついていた。石床の汚れが、白いパンの表面についていた。
お腹が空いていた。
朝から何も食べていなかった。
リリアーナはしゃがんだ。
踏まれたパンを拾い上げた。外套のポケットに手を入れて、昨夜作った小さな陶器の器を取り出した。蓋を開けると、飴色のメープルシロップが光った。
「……それ持ち歩いてるの」
イザベラの声が、少し変わった。
リリアーナは答えなかった。
指先でシロップをすくって、踏まれたパンの上に伸ばした。靴跡のついた面に、薄く、丁寧に。
それから、食べた。
甘かった。
パンは固くて、石床の汚れの味が少しした。でもメープルシロップの甘さが、それをどこかへ押しやってくれた。
濃くて、丸くて、木の香りのする甘さが、口の中に広がった。
もう一口食べた。
また甘かった。
イザベラが何も言わなかった。
リリアーナは構わずに食べた。お腹が空いていたから。踏まれていても、パンはパンだった。メープルシロップがあれば、少しだけ、食べられた。
食べ終わって、器の蓋を閉めて、ポケットにしまった。
立ち上がったイザベラが、高らかに笑った。
「あははは! 踏んだパンを! 木の樹液をつけて! ありがたそうに食べて!」
笑い声が、石造りの地下室に響いた。
リリアーナは笑い声を聞きながら、口の中に残ったメープルシロップの甘さを確かめた。
まだ甘かった。
「みじめすぎて笑えるわ」
イザベラは笑いながら言った。
「昨日は台所で木べらをぺろぺろして、今日は踏んだパンに木の樹液をつけて食べて。あなたって本当に、何なの」
リリアーナは「ありがとうございました」と言った。
イザベラの笑いが、一瞬だけ止まった。
「……何が」
「パンを、いただきましたので」
イザベラはしばらくリリアーナを見ていた。それからまた笑った。今度は少し、力の抜けた笑いだった。
「……どうかしてるわ、あなた」
踵を返して、出ていった。
扉が閉まった。
笑い声が廊下を遠ざかって、消えた。
リリアーナは一人になって、ポケットの器に触れた。
まだ少し残っている。
今夜また、楓の木に仕掛けを確認しに行こうと思った。
お腹は、まだ少し空いていた。




