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姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています  作者: もちもちほっぺ


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10

午後になって、マルタが来た。


「お嬢様、奥様からのご伝言です。庭へいらしてください」


庭へ。

リリアーナは少し考えた。庭へ呼ばれることは、めったにない。


「何かありましたか」


「アルスター公爵家のクライド様がいらしております。奥様が、お二人でお茶をと」


リリアーナは黙った。

今朝、踏まれたパンを食べた口で、婚約者とお茶をする。


「……わかりました」


マルタは特に何も言わずに出ていった。

リリアーナは鏡を見た。


朝と変わらない顔だった。ぱさついた髪。血の気のない顔。目の下の翳り。

どうにもならなかった。





庭には白いテーブルと椅子が二脚用意されていた。


春の日差しの中に、ティーセットが並んでいた。磁器の白が眩しかった。スコーンと、薄切りのサンドウィッチと、小さなケーキが皿に盛られていた。


リリアーナの胃が、また反応した。


朝に踏まれたパンを食べただけだった。

クライドはすでに椅子に座って待っていた。

リリアーナが近づくと、立ち上がった。形式上の礼儀として、表情は変えずに。


「リリアーナ・ベルテです」


「クライド・アルスターだ」


それだけだった。

二人は向かい合って座った。

侍女がお茶を注いだ。湯気が立ち上った。いい香りがした。


沈黙が落ちた。

テーブルの上のスコーンが、日差しの中でほんのり温かそうだった。リリアーナは視線をそこから逸らした。

クライドがティーカップを持ち上げた。一口飲んだ。また置いた。


沈黙が続いた。

庭師が遠くで土をほぐす音がした。ぱさぱさと、乾いた土がほぐれる音が。


「……天気がよろしいですね」


リリアーナが言った。


「そうだな」


クライドが答えた。

また沈黙が落ちた。


リリアーナはティーカップを持ち上げた。お茶を一口飲んだ。温かかった。体の芯に、じわりと温かさが広がった。今日初めて、温かいものを口にした気がした。

クライドがスコーンに手を伸ばした。一口食べた。

リリアーナはスコーンを見た。


視線を逸らした。


「……花が、少ないですね」


クライドが庭を見渡して言った。


「はい」


リリアーナは答えた。


「十数年、ずっとこうなんです。土が、うまく育ててくれなくて」


「国中そうだ」


「はい」


また沈黙が落ちた。

クライドがリリアーナを見た。値踏みするような目ではなかった。ただ、観察するような目だった。何かを確かめようとしているような。

リリアーナは視線を受けながら、ティーカップを両手で包んだ。温かかった。


「……礼法の教育は受けたのか」


唐突な問いだった。


「はい」


「どこで」


「家庭教師に。七歳から十二歳まで」


「今は」


「……今は、受けていません」


クライドは何も言わなかった。

リリアーナの現状を知っているのかいないのか、その顔からは読めなかった。ただ静かに、お茶を一口飲んだ。


スコーンの皿が、テーブルの中央に置いてあった。

リリアーナとクライドの、ちょうど真ん中に。


リリアーナはそれを見ないようにしていた。見ると、お腹が鳴るかもしれなかった。

今朝から踏まれたパンしか食べていないことを、この婚約者に知られたくなかった。


「食べないのか」


クライドの声がした。

顔を上げると、クライドがスコーンの皿を見ていた。


「……いただきます」


リリアーナはスコーンを一つ取った。

口に入れた。

さくりとした食感と、バターの香りが広がった。温かくはなかったが、柔らかかった。甘かった。朝に食べたメープルシロップとは違う、素直な甘さだった。


思ったより、夢中になって食べてしまった。


気づいたら、スコーンがなくなっていた。

クライドが見ていた。

リリアーナは背筋を伸ばした。みっともないところを見せた、と思った。しかし謝るのも変だった。黙って、ティーカップを持ち上げた。


クライドは何も言わなかった。

ただ、視線が少しだけ変わった気がした。査定の目ではなく、もう少し別の何かを見るような目に。

しかしリリアーナにはその違いが何なのか、読めなかった。


「侯爵家のご令嬢は」


クライドがまた口を開いた。


「庭でよく過ごされるのか」


「……以前は」


「今は」


「あまり」


「なぜ」


リリアーナは少し考えた。

地下室にいるから、とは言えなかった。

庭に出ることを許されていないわけではないが、出れば使用人に雑用を押し付けられる。だから自然と、出なくなった。


「……特に理由はありません」


クライドは答えなかった。

また沈黙が落ちた。


遠くで庭師が土をほぐす音がした。ぱさぱさと、乾いた音が続いた。


「この庭の土は」


クライドが庭を見ながら言った。


「随分と痩せているな」


「はい」


「手を入れているのか」


「庭師が毎日。でもうまくいかないようで」


「……そうか」


クライドは庭を見たまま、何かを考えているようだった。

リリアーナはその横顔を、少しだけ見た。

整った顔だと思った。昨日は値踏みされることに必死で、ちゃんと見ていなかった。

冷たそうに見えるが、庭を見る目は、冷たくはなかった。何かを、静かに案じているような目だった。


「……アルスター様は」


リリアーナは言った。


「庭がお好きなんですか」


クライドがリリアーナを見た。

少し、意外そうな顔をした。


「なぜそう思う」


「庭をずっと見ておられるので」


クライドは少しの間、リリアーナを見ていた。それから視線を庭に戻した。


「好きというわけではない」と言った。


「ただ、土地が痩せていくのは、気になる」


「……はい」


リリアーナは言った。


「私も、気になります」


クライドがまたリリアーナを見た。

今度は少し長く、見た。

リリアーナは視線を受けながら、ティーカップを両手で包んだ。温かさは、もうほとんど残っていなかった。


「……そうか」


クライドはそれだけ言って、お茶を飲んだ。

沈黙が落ちた。


でも今度の沈黙は、最初のものとは少し違った気がした。気まずいだけではない、何か別のものが混じったような。

リリアーナにはうまく言葉にできなかった。


サンドウィッチの皿が、まだテーブルの上にあった。

リリアーナはそれを見て、視線を逸らした。


お腹は、まだ空いていた。

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