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姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています  作者: もちもちほっぺ


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5

朝、使用人のマルタが地下室に来た。


「お嬢様、身支度をなさってください。応接室にいらしていただきます」


それだけ言って、マルタは出ていった。


理由も、誰が来るのかも、教えてもらえなかった。

リリアーナは古いドレスに袖を通した。

二年前のもので、今のリリアーナには少し大きい。

腰のあたりがゆるく、袖も余る。


もともとがそれほど上等な生地でもなかったが、今となってはくたびれた感じが隠せなかった。


髪を梳かした。

くすんだ色は変わらない。

ぱさついた毛先は、どれだけ梳かしても艶が出なかった。結い方を工夫しようとしたが、髪が細くて量も少ないから、うまくまとまらなかった。


鏡を見た。

ぱさついた髪。血の気のない顔。目の下に薄い翳り。頬のそげた輪郭。

どうにもならなかった。


どうにもならないとわかっていても、少しだけ、もう少しだけと思って、また梳かした。でもやっぱり変わらなかった。


リリアーナは梳かす手を止めて、鏡から目を逸らした。


首輪の革紐を確認した。石がそこにある。

それだけ確かめて、地下室を出た。





応接室へ向かう廊下で、母親とすれ違った。

母親も応接室へ向かうところらしく、侍女を連れていた。

珍しく、正装に近い格好をしていた。今日が特別な日なのだと、リリアーナはそこで初めて察した。


「お母様、おはようございます」


母親の足が止まった。

いつもと同じように、視線がリリアーナの首元へ向かった。革紐を確認した。石を確認した。


でも今日は、そこで終わらなかった。

母親の視線が、ゆっくりとリリアーナの全身を動いた。ドレスを見た。髪を見た。顔を見た。


その目が、かすかに曇った。

何かを言いかけて、やめた。


「……首輪はついているわね」


「はい」


「外してはだめよ」


「はい」


母親は踵を返して歩き出した。

リリアーナの隣を通り過ぎる時、視線が一瞬だけ、また全身を流れた。


何も言わなかった。

リリアーナは母親の背中を見送って、また歩き出した。

今日は何があるのだろうと思った。正装の母親。応接室への呼び出し。


腹が、鳴った。

今朝も、朝食は来ていなかった。





応接室の扉の前で、リリアーナは少し立ち止まった。

扉の向こうから、低い男の声がした。父の声と、それからもう一つ、聞いたことのない声だ。落ち着いた、低い声だった。


リリアーナは背筋を伸ばして、扉を開けた。


父がいた。母がいた。イザベラがいた。

そして、見知らぬ男がいた。


二十代半ばほどだろうか。軍服に似た意匠の濃紺の上着を着て、背筋をまっすぐに伸ばして椅子に座っている。

整った顔立ちをしていたが、それよりも目が印象的だった。切れ長の、静かな目だ。


感情を読ませない、石のように平らかな目。

その目が、扉を開けたリリアーナをひと目見た。


そして、すっと逸れた。


逸れた先は、隣に立つ侍従だった。

男は侍従に向かって、声を潜めた。潜めた、つもりなのだろう。

しかし応接室は静かで、厚いカーテンが風を遮り、暖炉の火が音もなく燃えているだけの部屋だった。


「……姉と間違えているのではないか」


聞こえた。

はっきりと、聞こえた。


父が小さく咳払いをした。母が視線を窓の外に向けた。イザベラが口元を扇で隠して、くすりと笑った。

侍従が困ったような顔で男に何かを耳打ちした。


リリアーナは扉を閉めて、部屋の中央まで歩いた。

頭を下げた。


「リリアーナ・ベルテと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


顔を上げると、男はリリアーナを見ていなかった。

侍従のささやきを聞いていた。

こくりと頷いて、それから改めてリリアーナを見た。

今度はまっすぐに。


値踏みするような目だった。

隠す気のない、率直な査定の目だった。リリアーナの髪を見た。顔を見た。ドレスを見た。首元を見た。体の線を見た。それぞれを、確認するように、一つ一つ。


その視線がどこへ向かうたびに、リリアーナは自分のどこかが査定されていることがわかった。

そしてその査定が、高い点をつけていないこともわかった。

男は父に向き直った。


「アルスター公爵家嫡男、クライド・アルスターと申します」


低い、静かな声だった。


「本日は婚約のご挨拶に伺いました」


婚約。

その言葉が、リリアーナの耳の中で静かに落ちた。

婚約者。この人が。


クライドは父と向かい合って、しばらく当たり障りのない挨拶を交わした。

リリアーナはその間、部屋の隅に近い位置に立ったまま、静かにしていた。イザベラは父の隣のソファに腰かけて、扇を揺らしていた。

今日のイザベラは特別に美しく見えた。髪を高く結い上げて、薄紅色のドレスを着て、頬に自然な血色があって。


同じ親から生まれたとは、自分でも思えなかった。


しばらくして、クライドが再び口を開いた。

声を、少し低くした。

また侍従に向けた声だった。


「……本来であれば、姉の方を所望していた」


静かな部屋に、その言葉は驚くほどよく通った。

父の顔が、かすかに引きつった。母は窓の外を見たまま動かなかった。イザベラの扇が、ぴたりと止まった。


リリアーナは俯いた。

俯いて、床を見た。絨毯の模様を見た。赤と金の唐草模様が、視界の中でじっとしていた。


クライドはまだ侍従に話しかけていた。

声を潜めているつもりなのだろう、少し顔を侍従の方へ向けて。でも部屋は静かで、暖炉しか音を立てていなくて。


「……あれが本当に侯爵家の令嬢か。遠目に見ると、老婆のようだ」


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