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リリアーナは令嬢を見た。
何か言おうとして、口を開きかけた。
その瞬間。
クライドが、静かに一歩前に出た。
会場が、しんと静まった。
クライドはリリアーナの前に立った。令嬢を見た。切れ長の目で、静かに、でも真っ直ぐに。
「確かに私が言った」
低い、静かな声だった。
会場中に、その声が届いた。
「姉君の方を所望だった、と。老婆のようだ、と。全て事実だ」
令嬢が少し目を丸くした。
否定しなかった。認めた。
「だが」
クライドは続けた。
「姉君を所望したのは、リリアーナを知る前の話だ。老婆のようだと言ったのは、飢えさせられ、虐げられ、地下室に閉じ込められていた少女に向けた言葉だった。私はその事実を何も知らずに侮辱した」
会場が、静まり返っていた。
楽団の音が、いつの間にか止まっていた。
「それは私の恥だ」
クライドはリリアーナを振り返った。
リリアーナを見た。
それからリリアーナの手を取り会場に向き直った。
「今のリリアーナを見ろ」
静かだったが、会場全体に届く声だった。
「これが正しく扱われた彼女だ。私が生涯をかけて守る」
会場が、しばらく沈黙した。
それからざわめきが広がった。
驚きの声、感嘆の声、ひそひそ声が混ざり合って、会場に満ちた。
令嬢は扇を持ったまま、何も言えなかった。
リリアーナはクライドの横顔を見た。
まっすぐに前を向いていた。
耳が、真っ赤だった。
「……クライド様」
「なんだ」
「お顔が、真っ赤ですよ」
「黙っていてくれ」
「でも」
「今それどころではない」
「真っ赤ですよ、とても」
「黙っていてくれと言っている」
会場のざわめきの中で、クライドはリリアーナの手を握ったまま、前を向き続けていた。
リリアーナは握られた手を見た。
それから、また笑った。
さっきとは違う、もっと温かい笑いだった。
帰りの馬車の中、クライドはずっと窓の外を見ていた。
リリアーナは膝の上に手を置いて、静かにしていた。
馬車が石畳を進む音が続いた。
「……クライド様」
「なんだ」
「今夜のこと、ありがとうございました」
「礼を言うな」
「でも」
「礼を言うな」
クライドは窓の外を見たまま言った。
「当然のことをしただけだ」
リリアーナはクライドを見た。
窓の外を向いた横顔が、燭台の灯りの中にあった。
「私……根に持っていましたか」
リリアーナは聞いた。
「老婆発言」
クライドは少し間を置いた。
「私が根に持っている」
リリアーナは少し笑った。
「そうですか」
「ああ」
「ずっと?」
「ずっとだ」
馬車が進む音が続いた。
しばらくして、クライドがリリアーナを見た。
窓の外から視線を戻して、リリアーナを見た。
「リリアーナ」
「はい」
「お前のことが」
クライドは少し間を置いた。
「大切だ」
リリアーナは、クライドを見た。
真っ直ぐに、こちらを見ていた。
「……虫グルメの話がおもしろいからですか」
クライドが少し目を細めた。
「そこじゃない」
「では」
「そこじゃない」
クライドは繰り返した。
「全部だ」
リリアーナは少しの間、クライドを見ていた。
それから、窓の外に視線を移した。
夜の街並みが流れていった。
「……私も」
リリアーナは静かに言った。
「クライド様のことが、大切です」
「そうか」
「虫グルメの話を聞いてくれるから、というのもありますが」
「……そこじゃないと言っている」
「でも、それも大切なんです」
クライドは少しの間、リリアーナを見た。
それから、また窓の外に視線を戻した。
口の端が、かすかに上がっていた。
馬車が石畳を進む音が続いた。
春の夜が、流れていった。




