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姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています  作者: もちもちほっぺ


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ベルテ侯爵夫人マリアンヌは、その日のことを今でも夢に見る。

十数年前のことだ。


それなのに、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。

あの日の光の色。部屋の空気の匂い。そして、あの光景。


リリアーナが生まれた時、マリアンヌは確かに愛していた。


イザベラを産んだ時と同じように、この小さな命を愛おしいと思った。柔らかい頬に触れて、小さな手を握って、この子も大切に育てようと思った。


でも、イザベラはよく笑った。よく泣いた。気に入らないことがあれば声を上げて主張した。抱き上げれば全身で喜んで、離れれば泣いて引き止めた。


リリアーナは、静かだった。

泣きはするが、すぐに止まった。抱き上げれば大人しくなって、離れても泣かなかった。主張しなかった。要求しなかった。

手がかからない子だった。


手がかからない子は、つい後回しになる。


イザベラが笑えば笑い返して、イザベラが泣けば抱き上げて、イザベラが何かを欲しがれば与えた。それを繰り返しているうちに、気づけばマリアンヌの一日はイザベラを中心に回っていた。


リリアーナの世話は、使用人に任せるようになった。

最初は少しの間だけのつもりだった。

でも少しの間が、少しずつ長くなっていった。


あの日も、マリアンヌはイザベラと過ごしていた。

リリアーナは乳母に任せていた。


昼過ぎに乳母が青い顔で飛んできた。


「奥様、大変です、リリアーナお嬢様が」


マリアンヌが乳母の後について部屋に入った瞬間、足が止まった。

リリアーナが床に座っていた。


笑っていた。


声を上げて、全身で笑っていた。それまで見たことのない顔で。

そしてリリアーナの周りに、虫がいた。


無数の虫が。

床を這うアリが、リリアーナの周りに円を描くように集まっていた。ハチが数匹、ゆっくりと空中を漂っていた。カナブンがリリアーナの小さな手の上に乗っていた。


蝶々が羽をひらひらさせながら、まるであやすように、リリアーナの周りを舞っていた。


リリアーナはそれが嬉しくて仕方ないという顔で、笑い続けていた。


マリアンヌは悲鳴を上げた。


乳母が「どこから入ったのか」と部屋中を確認した。でも窓も扉も閉まっていた。虫が入れる隙間はどこにもなかった。


なのに虫がいた。

リリアーナの周りだけに。


それから、始まった。

マリアンヌの化粧台の引き出しを開けると、中にアリが群れていた。


浴槽に湯を張ると、どこからともなく多量の虫が浮いていた。


朝のティーポットを持ち上げると、取っ手の裏に小さな虫がついていた。


寝室の窓を開けると、大きな蛾が一匹、ひらひらと入ってきた。


屋敷内は、常に清掃されている。


なのにいた。


いつも、リリアーナの近くに。

マリアンヌは怖かった。


この子は何かがおかしい。普通の子供じゃない。自分の娘なのに、この子が何なのかわからない。


夫に相談した。夫も怖がった。

神殿に相談した。神官が「これは精霊の加護かもしれない」と言った。


「精霊の愛し子は、稀に生まれることがある。自然の恵みを媒介する特別な存在だ」と。


でもマリアンヌには、特別な存在という言葉より、自分の引き出しの中の虫の群れの方が現実だった。

怖かった。

ただ、怖かった。


封印の首輪を作ったのは、神殿の術師だった。


「これをつけていれば、力を抑えることができます。完全には消せませんが、日常の生活に支障が出ない程度には」


マリアンヌはリリアーナの首に、その首輪をつけた。

リリアーナは不思議そうな顔で、首輪を触った。


「外してはだめよ」


マリアンヌは言った。


「絶対に、外してはだめ」


首輪をつけてから、虫が減った。

引き出しの中にアリが群れることもなくなった。浴槽に虫が浮くこともなくなった。ティーポットの取っ手に虫がつくこともなくなった。


マリアンヌは安堵した。

これでいい、と思った。


でも。

安堵した後から、少しずつ、別の何かが積み上がっていった。

リリアーナを見るたびに、あの光景を思い出した。虫に囲まれて笑っていた顔を。


その顔を見るのが、怖かった。

だから見なくなった。


顔を見なければ、大丈夫だった。首輪さえついていれば、大丈夫だった。

使用人に世話を任せた。食事を任せた。教育を任せた。


リリアーナが何をしているか、どこにいるか、何を食べているか、考えないようにした。考えると、あの光景を思い出すから。


首輪だけを確認した。

毎日、廊下ですれ違うたびに、首輪を確認した。


ついているわね。外してはだめよ。

それだけ言えば、大丈夫だった。


自分に言い聞かせるように。

毎日、毎日。




十数年が経った。

リリアーナが公爵邸に連れて行かれた。


マリアンヌはその話を聞いた時、一番最初に思ったことがあった。


首輪は、ついているだろうか。

娘が連れて行かれたのに、娘のことより、首輪のことを考えた。


その夜、マリアンヌは一人で寝室に座って、長い間、暗い窓の外を見ていた。


窓の外に、蝶々はいなかった。

リリアーナがいなくなってから、蝶々も来なくなった。

マリアンヌはそのことに気づいて、しばらく動けなかった。


愛していたはずだった。


最初は、確かに。

でもあの光景が怖くて、怖くて、遠ざけているうちに、いつの間にか十数年が経っていた。


蝶々が来なくなった窓を見ながら、マリアンヌは膝の上に手を置いた。


首輪は、ついているだろうか。

また、そのことを考えていた。

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