第五話:選ばれなかった未来
世界の歪みを潜り抜けた瞬間 肌を刺す空気が一変した。
「……ここは……」
ジャンヌが短く息を呑む。
視界に広がっていたのは 耳が痛くなるほどの 静寂 であった。
石畳の道があり 立ち並ぶ家屋があり 広場には井戸もある。
紛れもなく街の形を成している。
だが。
「……誰も、いないのですか?」
人の気配が 塵一つ分も感じられない。
「いや……いるな」
廉は目を細め 陽炎のように揺らぐ遠景を見据えた。
「 いた というのが正しい。ここはそういう場所だ」
その言葉の真意を問う暇さえ 世界は与えてくれない。
背筋を這い上がるような 凍てつく戦慄が走った。
「九条さん……何か、来ます……」
ジャンヌが怯えたように声を絞り出す。
「ああ、分かっている」
廉の右目に 膨大な未来の奔流が流れ込む。
だが。
(……表示されない? ログが 空白 だと?)
異変に気付き 廉の表情が険しくなる。
未来視が機能していない。
決定的な予兆も 確定した結末も 何一つとして網膜に浮かんでこないのだ。
「――あなたたちも 来てしまったのですね」
背後から響いた透き通るような声に 二人は弾かれたように振り返った。
そこにいたのは 一人の少女であった。
汚れのない白い修道服。
背に流れる長い金髪。
そして。
「……え……?」
絶句するジャンヌの前に立っていたのは 彼女と全く同じ顔をした少女であった。
「……私、なのですか?」
少女は 悲しげに しかし慈しむように微笑んだ。
「はい。私は あなた です。正確に言うのなら――」
少女が一歩 静かに歩み寄る。
「 選ばれなかった未来のジャンヌ・ダルク 」
その言葉が 冷え切った空気をさらに凍りつかせた。
「……どういう意味だ。説明しろ」
廉が低く問い詰める。
少女は どこか諦念の混じった瞳で笑った。
「簡単ですよ。ここは 可能性の墓場 なのですから」
「墓場……?」
「ええ。世界が選ばなかった未来。存在しなかったことにされた歴史。ここには それらが掃き溜めのように集まるのです」
少女の視線に合わせ 廉は改めて街並みを一瞥した。
違和感が形となって迫りくる。
建物の細部が 時代背景が それぞれ微妙に食い違っている。
同じはずの街並みが 継ぎ接ぎだらけの怪物のようであった。
「……全部 ありえたかもしれない世界 の残骸か」
「その通りです。そして――」
少女の射抜くような視線が 廉を捉える。
「あなたのような 観測されない存在 は ここでは例外中の例外。ここでは未来は固定されていません。だから 視えない のです」
廉の思考が 一瞬だけ凪いだ。
未来がない。
それゆえに 予知も予兆も成立しない。
「では……どうやって戦えばよいのですか」
ジャンヌの震える問いに 少女はどこか壊れたような笑みを浮かべて答えた。
「簡単ですよ。奪い合うのです。 未来 を」
ドクンと 廉の心臓が警鐘を鳴らす。
その言葉と同時に 世界が悍ましい胎動を始めた。
石畳がひび割れ 空間の四隅から無数の 影 が這い出してくる。
人の形をしている。だが 顔のないのっぺりとしたナニカ。
『……未来……』
『……欲しい……』
『……生きたい……』
重なり合う無機質な声。
「……あれは、何……?」
「選ばれなかった人間たちです。存在を抹消された命の残り滓」
影たちが一斉に 飢えた獣のような視線を向けてきた。
「九条さん……未来が見えないのなら……」
廉は 溜まっていた肺の空気をゆっくりと吐き出した。
「関係ねえよ。視えないのなら――」
迷いを振り払い 一歩踏み出す。
「自分で作るまでだ」
拳を固く握りしめる。
ジャンヌが その熱に応えるように隣に並んだ。
「……はい。私 壊します」
少女は その光景を静かに見つめ 小さく呟いた。
「……やっぱり あなたは違う」
影たちが殺到する。
未来は視えず 結果も不透明。
完全なる未知の暗闘。
だが。
「行くぞ!」
「はい!」
二人は迷わず 死の淵へと踏み込んだ。
その瞬間 ジャンヌの身体が淡い燐光に包まれる。
まるで 未来そのものを手繰り寄せるかのように。
「――これは……!」
廉の目が見開かれた。
視えないはずの未来が 一瞬だけ 感覚 として脳裏に閃く。
予知ではない。ジャンヌが 引き寄せている のだ。
選ばれるはずのなかった可能性を 強引に。
「九条さん、今 来ます!」
「了解だ!」
影の駆動が 掌に伝わるように 分かる 。
確定していなかった混沌が 一気に収束していく。
「――そこだ!」
ジャンヌの拳が 空気を叩き割った。
バキン と響く硬質な音。
砕け散ったのは影ではない。 可能性そのもの だ。
『……未来を……奪われた……』
一体の影が 呪詛のような声を残して消滅した。
廉は 荒くなる息を整えながら理解した。
「……なるほどな。ここでは未来は 壊す だけじゃない」
ジャンヌが 力強く頷く。
「…… 選ぶ ことができるのですね」
「ああ。そして 奪える 」
廉が不敵に笑った瞬間 周囲の影たちが一斉に膨れ上がり さらに数を増した。
少女が 淡々とその過酷な摂理を告げる。
「それがこの世界の理。奪われるか 奪うか」
ジャンヌが拳を握り 廉が前を見据える。
「いいじゃねえか。分かりやすくて上等だ」
殺到する 存在しなかった命たち。
その全てが 明日という光を求めて牙を剥く。
「ジャンヌ」
「はい!」
「全部 奪うぞ」
ジャンヌの瞳が かつてないほど強く輝いた。
「――はい!」
未来なき世界で 未来を奪い合うための戦いが 今始まった。




