第二十四話:選択の前
静寂が、支配していた。
先ほどまでの絶望的な戦い、そして一人の脱落が嘘のように、空間は凪いでいる。
「……止まった……のですか……?」
ジャンヌが、呆然と立ち尽くしたまま小さく呟く。
空間の歪みは、依然としてそこにある。だが。
「……いや。止まっちゃいねえ」
廉が、重い足取りで前を見据えた。
「来てる。最高に不愉快な圧力がな」
視線の先。
正しい九条廉 。
ヤツは微動だにせず、ただ審判を下す者の瞳でこちらを凝視している。
「――観測を終了。最終段階への移行を承認」
抑揚のない声。その響きとともに、世界の密度がさらに増していく。
「……何をする気だ。アルトを消して、今度は俺たちの番かよ」
廉が問うと、答えは即座に、そして冷酷に返された。
「生存個体に対し、最終的な 選択 を提示する」
ジャンヌの瞳が、不安に揺れる。
「……選択……?」
「はい。ここまで過酷な選別を潜り抜けた個体にのみ、権利を付与する」
一拍。
「―― 統合 か、 拒絶 か。これこそが、この領域の終止符となる」
沈黙。意味が掴めない。
「……もっと分かりやすく説明しやがれ。てめえの理屈は聞き飽きた」
廉が鋭く射抜くような視線を向ける。
正しい九条廉 は、淡々と、機械的な報告を続ける。
「この世界は、壮大な 試験場 である」
ジャンヌが、息を呑んだ。
「……試験、だと……?」
「未来を奪い合い、選択を積み重ねさせることで、次代の理を担う 最適個体 を選別してきた。その最終フェーズには、二つの道が用意されている」
ヤツが、指を二本立てる。
「一つ。 統合 」
空間が、共鳴するようにわずかに震えた。
「これまでに選別され、奪われてきたすべての未来を、己の内に取り込む」
「……それは……」
ジャンヌが、震える声で問う。
「それを選べば、どうなるのですか……」
「完全なる存在への昇華だ。迷いも、予測の揺らぎも、人間的な不確定要素もすべて消失する。世界の理そのものに成り代わるのだ」
廉が、虫唾が走るというように吐き捨てた。
「……そいつは、もう人間じゃねえな。ただのシステムだ」
「その通り。個としての矮小な自我を捨て、全体へと回帰する道だ」
否定すらしない。ヤツは淡々と続ける。
「二つ。 拒絶 」
空気が、急激に重くなる。
「奪った未来を、すべて手放す」
ジャンヌの目が見開かれる。
「……え……」
「力は消失する。蓄積された可能性は霧散し、元いた平穏な、だが無力な現実へと戻ることになる。個としての尊厳は維持されるが、二度とこの権能に触れることは叶わない」
沈黙。
あまりにも重い。ここまで積み重ねてきた犠牲、アルトの意志、それらすべてを「捨てる」か、あるいは「怪物」になるか。
「……ふざけんなよ」
廉が、地を這うような低い声で言った。
「どっちを選んでも、クソみたいな結末じゃねえか」
「選択とは、常に不条理を伴うものだ。それが 九条廉 という個体の宿命でもある」
冷たい、鏡合わせの返答。
「……ジャンヌ」
廉が、隣を見る。
ジャンヌは――自らの掌にある核を、食い入るように見つめていた。
その中には、光り輝く、そして悲鳴を上げる無数の未来が詰まっている。
「……これを……すべて……。手放すか、それとも一つにするか……」
手放せば、すべては無に帰す。アルトが命を賭して守った意味すらも。
取り込めば、彼女自身が彼女でなくなってしまう。
「……私は……」
唇が震え、言葉が形にならない。その時。
「……私は、断然 統合 かな」
場違いなほど軽い声。
リリィ。
いつの間にか、彼女はすぐそばに佇んでいた。
「だって、圧倒的に強くなれるんでしょ? 最高じゃん」
迷い、微塵もなし。
「……あなた……本気で言っているのですか……」
ジャンヌが、信じられないという表情で問う。
「当たり前でしょ。ここまで来て、今更『普通の女の子に戻ります』なんて、冗談にもならないよ」
リリィが不敵に笑う。
それは、略奪の世界に適応しきった者としての、一つの正論であった。
「……九条さんは……どうするのですか?」
ジャンヌが、縋るような思いで問う。
廉は、しばしの沈黙の後。
「まだ決めねえ」
短く、断定した。
「……え?」
「まだ、戦ってねえだろ。こいつとな」
廉の視線が、上空の 正しい九条廉 を射貫く。
「……なるほど。最終試験の前に、直接的な打倒を要求するか」
「試験じゃねえ」
廉が言い切る。
「てめえとの 決着 だ。光秀の遺言を、俺自身の意志で果たすためにな」
ジャンヌの瞳に、再び光が宿る。
「……九条さん……。分かりました。私も、最後まで逃げません」
覚悟が決まる。
「私も……戦います。選択するのは、その先です」
リリィが、楽しそうに笑い声を上げた。
「いいね、最高! じゃあ、みんなで神様をぶちのめしちゃおうか」
「……勝手にしろ」
廉が吐き捨てる。
正しい九条廉 が、無機質に手を上げた。
「――最終戦闘、承認。生存個体による反逆を観測する」
空間が、完全に閉ざされた。
もはや逃げ場はない。
統合 か 拒絶 か。その選択は、血塗られた戦いの果てにしかない。
「……行くぞ、ジャンヌ。これが最後だ」
「はい、九条さん!」
リリィも、狂気的なまでの殺意を全開にする。
そして――全員が、同時に地を蹴った。
次が、最後。
すべてを奪い尽くすか、すべてを捨て去るか。
その前に。
「――そのふざけた面、ぶっ壊してやるよ」
廉の咆哮が、書き換えられた世界に響き渡った。
運命を賭けた最終決戦が、幕を開ける。




