第二十三話:選別
空が、物理的な限界を超えて割れていた。
「――排除開始。領域内の不確定要素を抹消する」
正しい九条廉 の、抑揚のない声が戦場のすべてを支配する。
次の瞬間。世界そのものが、上位の権限によって強引に書き換えられた。
「――っ!!」
ジャンヌが、耐えきれずに膝をつく。
「……重い……空気が、鉄の塊になったみたいだ……!」
それは単なる圧力ではない。
存在そのものを、因果の根底から押し潰そうとする絶対的な権能。
「……これが、上位存在の……本気かよ……」
廉が奥歯を噛み締め、立ち上がる。
右目で未来を視ようとする。だが――。
(……見えねえ。真っ白だ……。そもそも、未来が成立してねえ!)
選択肢も、分岐も存在しない。ただ一つの 結末 へと強制的に収束させられている。
「……ふざけんな。ただの クソゲー じゃねえか」
吐き捨てるように言ったその時。
「――対象捕捉。不純物の処理を優先」
無機質な視線。 正しい九条廉 が、明確にこちらを捉えた。
終わる。
抗う術のない死が、目の前にまで迫っていることを本能が告げる。
「ジャンヌ!! 動け、逃げるぞ!」
「はい!!」
だが、肉体が意志に従わない。
あまりにも、上位との 格 の差が大きすぎた。
「――排除」
神の如き冷淡さで、その手が上がる。
絶望が場を支配した、その一瞬だった。
「――そこです。私の計算からは、まだ逃げられませんよ」
アルトの声。
空間が物理法則を無視して歪んだ。上位存在の放った不可視の断罪が、アルトの介入によって強制的にその軌道を逸らされる。
「……っ!」
背後を、致死の衝撃が通り抜けていく。
「……助かった、のか……?」
ジャンヌが荒い呼吸を整えながら顔を上げる。
だが。
アルトは退避することなく、その場に棒立ちのまま動かない。
「……アルト? 何をしてる、早くこっちへ!」
ジャンヌが叫ぶが、返事はない。
男はただ、背を向けたまま小さく呟いた。
「……これで、ようやく」
冷徹な響き。
「 最適化 、完了です」
廉の目が鋭く細まる。
(……今の挙動。まさか、あいつ……)
直後、 正しい九条廉 の視線が、廉とジャンヌから外れた。
その標的は、完全に一人の男へと固定される。
「――優先排除対象、更新。予測不能なノイズを検知。アルトを抹消」
冷たい声で、ロックオンの宣告が下される。
「……は?」
ジャンヌが息を呑んだ。
「……アルトさん、どうして……!」
アルトが、ゆっくりと首だけで振り返った。
その表情は、出会った頃と何も変わらない、薄ら寒いほど落ち着いた微笑。
「……何をした。あいつの興味を、どうやって自分だけに向けさせた」
廉が低く問うと、アルトは事務的な報告書を読み上げるように淡々と答えた。
「ターゲットの分散ですよ。非効率な複数同時排除ではなく、単体排除へとリソースを割かせました」
ジャンヌの顔が、恐怖と理解で強張る。
「……それって……わざと……」
「ええ。私という個体に対する ヘイト を、最大効率で集中させました」
沈黙。
それが何を意味するか、理解したくない現実が突きつけられる。
「……お前……。自分を囮にしたのか」
廉が、わずかに目を見開く。
「……俺たちが生き残るための、時間を稼ぐためにかよ」
「 最適解 ですよ。常にね」
即答。だが、その声はいつになく低く、どこか重い。
「これで、あなたたちがこの領域から離脱できる確率は、飛躍的に上昇した」
ジャンヌが、叫ぶように声を上げた。
「そんなの、納得できるはずありません! あなただって生き残るために……!」
アルトが、静かに首を振った。
「感情は不要です。私の計算に、個人の幸福という変数は含まれていない」
だが――。
眼鏡の奥の瞳が、ほんの一瞬だけ。
これまでの合理性では説明できない色に揺れた。
「……行ってください」
短く、拒絶するように告げる。
「ここは、私が持ちます」
「……ふざけんな。てめえ、さっきまで俺たちを殺そうとしてた裏切り者だろうが」
廉が吐き捨てるように言った。
「ええ。裏切り者ですよ、私は」
アルトが、わずかに口角を上げた。
「だからこそ、ここで貸しを作っておく。合理的でしょう?」
矛盾した言葉。
だが、その不器用な自己犠牲に、廉はそれ以上の追求を止めた。
「……行くぞ、ジャンヌ」
廉が、震えるジャンヌの肩を強く引く。
「おい、九条さん……!」
「行くんだよ! ここで止まったら……こいつの計算も、全部無駄死にになるんだよ!」
沈黙。
廉が、一度だけ舌打ちをして、アルトに背を向けた。
「……死ぬんじゃねえぞ、クソ野郎」
それだけを、背後へ投げかける。
アルトが、満足げに小さく笑った。
「善処します。私の辞書に、無駄死にという言葉はありませんから」
その瞬間。
「――排除対象、確定。消去プロセスを開始」
正しい九条廉 の手が、非情に振り下ろされた。
全リソースが、アルトという一つの点へ注がれる。
「……来ましたね。神様の理不尽な審判が」
静かに構え、自らの因果を紡ぐ。
未来を掴もうとする。だが、掌から溢れ落ちる。
圧倒的な力の差。
「……なるほど。これは流石に、私の手に負える範疇を超えていますね」
自嘲気味に呟く。
だが、その足は一歩も引かなかった。
「……それでも。私の 最適化 は、これですべて完了している」
刹那。
白光が、すべてを飲み込んだ。
圧倒的な力が、アルトの存在を座標ごと消し去ろうと降り注ぐ。
「――排除」
アルトの細い身体が、因果の奔流の中に消えていく。
「……っ!!」
走りながら、ジャンヌが一度だけ振り返った。
「……アルトさん!!」
光の渦の中。
最後に見えたのは、いつもの不敵な笑みを湛えた、一人の男の横顔だった。
そして。
彼は消えた。気配も、音も、存在の残滓さえも。
後に残されたのは、凍りつくような沈黙だけ。
重い。あまりにも重い犠牲。
「……行くぞ。止まるな、ジャンヌ」
廉の声が、低く響く。
ジャンヌは溢れそうになる涙を、奥歯を噛み締めて堪えた。
「……はい……。行きましょう」
前を向く。止まらない。止まれない。
背後では、無慈悲な 選別 の嵐が吹き荒れ続けている。
「……最後まで残るのは、誰だ」
廉が呟く。
その答えを知る者は、まだいない。
だが、確実に近づいている。
物語の、残酷な終止符が。




