第十九話:共闘の再定義
静寂。
つい先ほどまでの、狂気じみた喧騒が嘘のようだった。
「……終わった……のですか……?」
ジャンヌが、呆然と立ち尽くしたまま小さく呟く。
「ああ」
廉が、吐き捨てるように短く答えた。
「とりあえず、な。奴らの姿は見えなくなった」
とりあえず 。
その一言に、現状のすべてが詰まっていた。
完全な終結ではない。ただ、互いの利害と損耗を鑑みた一時的な中断に過ぎない。
「……はぁ……」
ジャンヌが、糸が切れたようにその場に座り込む。
「……ひとまずは、無事で良かったです……」
「ギリギリだけどな。運が良かっただけだ」
廉も、力なく壁に寄りかかった。
身体が鉛のように重い。未来を強引に引き摺り出した代償が、じわじわと神経を焼くような痛みとなって蓄積されていた。
「……さて。問題は」
廉は、ゆっくりと重い瞼を持ち上げる。
「隣にいる、この野郎だ」
視線の先。
アルト。
激戦を潜り抜けた直後だというのに、彼は髪一筋乱さぬ落ち着いた表情で佇んでいる。
「……何か? 私の顔に何か付いていますか」
平然ととぼける男。だが。
「とぼけんな、クソ野郎」
廉が、地を這うような低い声で言った。
「乱戦のどさくさに紛れて、最初に仕掛けたのはてめえだ」
沈黙。
ジャンヌも、重い身体を引きずるようにしてゆっくりと立ち上がった。
「……アルトさん」
彼女の声には、先ほどまでの共闘者に向けるものとは思えない、明確な 警戒 が宿っている。
アルトは、わずかに、観念したようにため息をついた。
「……ええ。認めましょう」
悪びれる様子もなく、あっさりと肯定する。
「やりました。あの状況、あのタイミング。私が動くのは必然でした」
その開き直りとも取れる物言いに、ジャンヌが驚愕に目を見開く。
「……どうして! 私たちは一緒に戦っていたはずです!」
「合理的だからですよ」
即答。一寸の迷いも、罪悪感もない。
「 核 を保持しているあなたが、戦場で最も価値が高く、かつ隙があった。最初にその芽を削り、私のアドバンテージを確保するのが最適解でした」
正論。あまりにも冷徹で、血の通わない論理。
「……でも、それは」
ジャンヌが、震える唇で言葉を探す。
「共闘すると、約束したのに……」
「ええ、共闘ですよ。今も継続中です」
アルトが、平然と頷く。
「ただし。私の定義する共闘に 完全協力 という甘い項目は含まれていません」
アルトの瞳が、薄暗い空間で鋭く光る。
「状況に応じて、自分にとっての最適行動を常に選択し続ける。それが私の流儀です」
廉が、肺の中の濁った空気をゆっくりと吐き出した。
「……つまり」
「いつでも、何度でも裏切る。ということです」
アルトが、薄い笑みを浮かべた。
「都合が悪くなればね。君たちもそうすべきだ」
沈黙。
張り詰めた空気が、三人の間を支配する。
だが。
廉は、迎撃の構えを取ることはなかった。
「……だろうな」
小さく、自嘲気味に呟く。
ジャンヌが、信じられないという表情で隣を向く。
「九条さん……? そんな、許すのですか」
「最初から、そんな奴だ分かってて手を握ったんだよ」
廉は、アルトを真っ直ぐに見据える。
「だからこそ組んだ。信用できないからこそ、利用価値がある」
アルトの眉が、わずかに、愉快そうに動いた。
「……ほう。面白いことを言いますね」
「お前は、隙あらば裏切る。だが、その判断基準は常に合理的だ」
廉が、一歩前に踏み出す。
「だから、利用できる。目的が一致している間だけはな」
その言葉に、アルトが満足げに少しだけ笑った。
「過分な評価、ありがとうございます。光栄ですよ」
「勘違いすんなよ」
廉が、獲物を狙う獣のような目で睨む。
「てめえのことは、指先一つ分も信用しちゃいねえ」
「当然です。私も、あなたたちに背中を預けるほど愚かではありません」
ジャンヌが、互いに牙を剥き出しにしたまま握手を交わしているような二人を見比べる。
「……本当に、それでいいのですか……?」
その問いは、どこまでも純粋だ。
だが。
この略奪が常態化した世界では、あまりに無垢すぎた。
「いい。その方が、結果的に死なずに済む」
廉が、断定するように答える。
ジャンヌが、返す言葉を失い立ち尽くす。
アルトが、静かに、そして残酷な事実を補足した。
「純粋な 信頼 は、この場所では致命的な弱点になります。自衛のためにこそ、疑いを忘れてはならない」
沈黙。
ジャンヌは、ゆっくりと、己の迷いを振り払うように息を吐いた。
「……分かりました。理解しました」
顔を上げる。その瞳に、静かだが消えない芯が通る。
「でも。私は、すべてを疑って生きることはしません。そんな未来は、私が守りたいものではないから」
廉が、少しだけ、不敵に笑った。
「それでいい。お前はお前らしく、その バグ を貫け」
アルトもまた、興味深そうにジャンヌを観察する。
「……実に面白い。合理的でもなく、かといって盲信的でもない。その中間点こそが、あなたの強みかもしれませんね」
「では」
アルトが、事務的な口調に切り替えた。
「無意味な精神論はこの辺りにして、次の戦略を立てましょう」
空気が一変する。
生存のための、冷徹な戦略の時間。
「……先ほどの人数だ。俺たちの場所は完全に割れた」
廉が言う。
「次はもっと、組織立った連中が来るぞ」
「ええ、確実に」
アルトが、深く頷く。
「このエリアの全プレイヤーが、あなたの持つ核を 唯一の攻略鍵 だと認識したはずです」
ジャンヌが、己の掌にある、静かに脈打つ光を見つめた。
「……この先も、狙われ続けるのですね……」
「はい。持っている限り、そしてこの世界の理が続く限り」
沈黙。その事実は、どんなに願っても変えられない。
「……なら」
廉が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「守るだけじゃ、いつか必ず詰む」
ジャンヌが、決意を込めて頷いた。
「はい」
「打って出る。こちらから、奴らの想定を壊しに行くぞ」
その一言で、場の流れが決定した。
アルトの目が、薄ら寒く細められる。
「……攻勢に出ると? あの怪物たちを相手に」
「ああ。狩られるのを待つのは性に合わねえ。これからは、俺たちが 狩る側 に回る」
ジャンヌが、その言葉を重く噛み締める。
これまでとは、決定的に何かが変わる。
「……奪う、側……」
これまでは、大切なものを守るための防御。
これからは、生き残るための、積極的な攻撃。
「……私にも、できます。覚悟はできています」
その声に、もう震えはない。
アルトが、小さく、満足げに笑った。
「いいですね。その意気です」
男の瞳に、明確な 期待 が宿る。
「では、私から一つ、効率的な提案があります」
廉が、辟易したように眉をひそめた。
「またろくでもねえ罠か」
「ええ。最高の 狩場 を使いましょう」
ジャンヌが、首を傾げる。
「……狩場? そんな場所があるのですか」
「はい。プレイヤーが、本能的に、抗えずに集まってしまう地点」
アルトが、意味深に指を一本立てた。
「そこを制圧し、我々の陣地とする。罠を仕掛けるには最適の舞台です」
廉の目が、鋭く細められた。
「……囮にするってわけか。自分たちを」
「ええ。大規模な、そして致命的なね」
危険な賭けだ。だが。
(効率は、これ以上ないほどいい)
「……場所はどこだ」
廉が問うと、アルトはゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「すでに目星はついています。この領域のさらに深部」
アルトの目が、異様な光を放つ。
「 第二核領域 」
ジャンヌが、驚愕に息を呑んだ。
「……核が……もう一つあるというのですか……?」
「ええ。正確には、新たな核が形成されようとしている 候補地 ですが」
その情報は、この世界において何物にも代えがたい価値を持つ。
「……行くか。座して死ぬよりはマシだ」
廉が、短く決断を下した。
ジャンヌも、強く、深く頷く。
「はい。行きましょう」
アルトも、静かに構えを解いた。
「では、始めましょうか」
男の声に、わずかな高揚が滲む。
「最悪の 狩り の始まりです」
三人は、昏い深部へと歩き出した。
今度は、追われる獲物としてではない。
「……奪う。俺たちの明日を」
廉の呟き。それが、彼らが一線を超えた証。
ジャンヌも、静かに続く。
「……奪い返します。すべてを」
アルトが、最後に音もなく笑った。
「奪い合いから、一方的な 奪取 へ。ゲームのルールを書き換えに行きましょう」
次の戦場、第二核領域。
そこには、これまで以上の地獄と、唯一の希望が待っている。




