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8話 バグる電撃

巨木の根元に身を潜めたベルは、岩肌に重厚な鉄の脚——バイポッドを固定していた。彼女が構えるのは、

対物特殊スナイパーライフル『アザトース・改』。


その銃身は一・七メートルを超え、表面には熱を逃がすための幾何学的な溝が刻まれている。


「……捉えた。バイポッド固定、同期率98%。風速、湿度、空間の歪み係数、すべて修正完了。バイバイ、空飛ぶ毛玉さん」

ベルの透き通った青い瞳の中で、レティクルが獲物の中心を完璧に捕捉した。彼女がそっと指をトリガーにかけ、絞り込もうとしたその刹那。

異変は起きた。


スコープの円形の視界の中で、悠々と枝に留まっていたはずの野衾のぶすまの姿が、陽炎のようにゆらりと歪んだのだ。まるで古いホログラムが壊れるかのように、その実体が崩壊し、空気の中に霧散していく。

「えっ……消え——」

引き金を引きかけたベルの指が止まる。驚愕に目を見開いた彼女の耳に、通信回路を突き破るようなルークの絶叫が届いた。

「ベル、後ろだ!!」


反射的に振り向こうとした彼女の視界を、圧倒的な「絶望の影」が塗りつぶした。


背後にそびえ立つ、樹齢数百年を数えるであろう大樹の樹皮から、その化け物は剥がれ落ちるように出現したのだ。野衾。

それはムササビを巨大化させたような姿をしているが、眼前の個体は明らかに異質だった。


展開された頑強な皮膜が、暴力的なまでの風圧を伴って空気を切り裂く。回避は不可能。ベルが身をよじるよりも早く、鋼鉄のような硬度を持つその質量が、彼女の華奢な背中に炸裂した。


「きゃあぁっ!?」

鈍い、金属と肉が激突する衝撃音が森に響き渡る。ベルの身体は木の葉のように数メートル弾き飛ばされ、苔むした大木に激突した。


「警告、内部フレームの三〇%に歪みを確認。中枢回路、一時的な同期不全」

視界の端で真っ赤なアラートが明滅する。激痛、あるいはそれに類する損傷信号が彼女の処理能力を圧迫し、ベルはその場に膝をついて蹲った。


着地した野衾は、広げていた皮膜をパサリと閉じ、感情の欠落した硝子玉のような瞳で三人を見つめた。そこには捕食者の冷徹ささえなく、ただ「排除」という目的だけを完遂しようとする、不気味な静寂が漂っていた。


「よくもやってくれたね……。僕の大切な同期をサンドバッグにするなんて、いい度胸だよ」


それまで漂っていたルークの陽気な空気が、一瞬で凍りついた。彼の声から温度が消え、青い瞳には鋭い殺意が宿る。


彼は腰の後ろ、ベルトに横掛けしていた一本の「筒」に手をかけた。それは長さ三十センチほど、漆黒の塗装が施された無機質な円柱だ。

第四層の武器開発部門が、通常の機体よりも不安定なルークのエネルギー出力特性を逆手に取り、開発した特殊兵器。


「……抜刀」


ルークが筒の側面にある起動スイッチを親指で押し込む。

ジジッ、という耳障りな駆動音と共に、円柱の先端から高純度のプラズマが噴出した。それは瞬く間に形状を固定し、紫色の淡い光を放つ鋭利な小刀へと変貌を遂げる。


刃の部分は半透明なエネルギー体で構成されており、内部では超高圧の電力が絶え間なく圧縮・循環している。鞘(円柱部分)の中でチャージされた電撃を、抜刀と同時に放射することで、あらゆる物質を原子レベルで焼き切る「一撃必殺」の電磁小刀。紫色の閃光が、ルークの端正な横顔を妖しく照らし出した。


「カイト、ベルをお願い! こいつは僕が——」

ルークが地面を蹴り、一気に距離を詰めようとした瞬間。


ガサリッ。


地面を覆う落ち葉が、不自然な音を立てて弾けた。

大樹の影から、闇が実体化したかのような「赤く筋肉質な腕」が何本も伸びてきたのだ。それは死者の手が地獄から伸びるかのように、音もなく、かつ迅速に。


「っ……!?」

次の瞬間、三人は戦慄した。

ルークの、カイトの、そして動けないベルの腕が、背後から伸ばされたその異様な腕によってガッチリと、万力のような力で掴み取られたのである。


「なんだ、これ。感知になかったぞ! レーダーを透過しているのか!?」

カイトが驚愕に目を見開く。闇の中から這い出てきたのは、身長二メートル近い、筋骨隆々とした三体の「小鬼」たちだった。深紅の皮膚は湿った岩のように硬く、額からは歪な角が一本。口元からは不浄な涎が垂れている。

(……おかしい。こんな至近距離なのに、基地のレーダーにノイズすら乗らないなんて。この小鬼たち、汚染電波が弱すぎる。まるで生きてる死体……いや、ただの『動く部品』だね。推定レベルが判明しない変質怪魔ってところかな。)


ルークは掴まれた腕にかかる、凄まじい抵抗値を冷静に分析しながら思考を加速させる。これほど濃密な存在感を放ちながら、電子的には無に等しい。その矛盾に背筋を凍らせながらも、彼はいつものように唇を歪めた。


「おい、離せよ。僕、男の人に腕を掴まれるのは趣味じゃないんだ! それとも何、握手会の順番待ち?」


ルークが冗談を飛ばし、小鬼の注意を引こうとするが、敵は無言のまま。ただ、アンドロイドの強化合金製の腕を強引にへし折らんばかりの力を込め、締め上げてくる。ギチギチと、人工筋肉とフレームが悲鳴を上げる。


ベルが痛みに耐えかね、小さく苦悶の声を漏らした。

その音と同時、カイトの瞳に弱いノイズが走り爆発的に発光した。


「……僕から……離れろッ!!」


カイトの内部で、整然と並んでいた論理回路が怒りによって焼き切れる。

彼は体内のメインコンデンサを強引に短絡させた。それはアンドロイドにとって、内部焼損のリスクを伴う禁じ手。本来なら蒼白い、清廉な電撃が放たれるはずだった。


しかし、その瞬間。


カイトの脳内に、上野で酒呑童子と対峙した際に植え付けられた「除去しきれなかった汚染データ」が、ノイズとなって現れる。ひび割れたガラスを脳内に流し込まれるような、耐え難いノイズが思考を蹂躙する。


「——バリ、ジジジッ!! ガガッ!!」

カイトの腕から解き放たれたのは、誰も見たことのない「闇のような雷光」だった。


どす黒い紫色。不規則に爆ぜ、まるで空間そのものを咀嚼し、噛み砕くような暴力的なエネルギー。そのノイズを含んだ電撃は、カイトの腕を掴んでいた三体の小鬼を一瞬にして「黒焦げの炭」へと変えた。


「ギィィィッ!!」

さらに、その余波は連鎖を止めない。空中で様子を伺っていた野衾にも、蛇のような紫電が飛び火した。野衾は断末魔の叫びを上げ、自慢の皮膜を無残に焦がしながら、命からがら森の奥へと逃げ延びる。


ルークとベルは、目の前で起きた事象に言葉を失った。カイトから放たれた、その禍々しく、あまりにも強大な電撃。


「カイト……今の、何? 凄すぎて引くんだけど。君、いつの間に闇堕ちしたの……?」

「……っ、ハァ、ハァ……。分からん。制御が、効かなかった……」


カイトは荒い息を吐きながら、自分の手を見つめた。本来なら今の出力なら機能停止シャットダウンしてもおかしくない。だが、想定よりも電力消費は少ない。むしろ、あの汚染データが「新しい動力源」のように脈打ち、失われたエネルギーを補填しているような錯覚さえ覚える。


「……いや、動ける。立てるぞ。二人とも、体制を立て直せ! まだ終わっていない!」

カイトの鋭い声に、ルークがハッとして不敵な笑みを浮かべた。

電撃に怯み、再生もままならず立ち尽くす小鬼たち。その隙を、この天才的なアンドロイドが見逃すはずもない。


「お返しだよ、赤鬼さん。……チャージ、全開放!」

ルークが紫に光る小刀を、頭上高くに掲げる。

刃に凝縮されていたプラズマが臨界に達し、空気そのものが焼ける匂いが立ち込める。彼は一気に、その一撃を振り下ろした。


「——パァァァァン!!」


放たれたのは、斬撃というよりは「空間の切断」だった。

紫電の斬撃が空気を焼き切り、小鬼の一体に直撃する。その刃が通過した瞬間、筋肉の塊であった鬼の身体は抵抗を許されず、二つに割れた。断面からは赤い血ではなく、どす黒い霧が噴き出し、瞬く間に蒸発していく。

「よし、カイト、残りはお前だ! せっかくだから、そのかっこいい手で握手してやってよ!」

「言われるまでもない!」


カイトが低空ダッシュ。ルークの言葉に応えるように、残りの小鬼二体の懐に飛び込む。


彼の腕は、先ほどまでの激動によりまだ黒い火花を散らしていた。カイトはその両腕を鞭のようにしならせ、逃げようとする小鬼たちの頭部を、万力のような力でガシリと掴み取った。


「——グシャッ!!」

金属が軋む嫌な音を立てて、カイトの握力が小鬼の頭蓋を粉砕した。


核を破壊された小鬼たちは、叫びを上げる間もなくその場に崩れ落ち、さらさらとした塵となって、湿った樹海の奥底へと消えていった。


「ふぅ……。ねえカイト、さっきのビリビリ、かっこよかったけど、正直ちょっと怖かったよ? 隠れて悪役の特訓でもしてた?」


ルークが小刀のスイッチを切り、再び筒状の鞘へと戻しながら、いつもの軽口を叩く。彼は明るく振る舞っていたが、その視線は鋭く、カイトの状態をスキャンしていた。


しかし、カイトは自分の両手を見つめたまま、微かに、だが確実に震えていた。

指先に残る、あの「どす黒い熱」の感覚。


「……冗談はやめろ。……行くぞ、まだ一匹、野衾を逃がしている。任務は継続だ」

カイトは震えを隠すように強く手を握り込み、前を見据えた。


だが、その背中。

迷いなく歩き出す彼の足跡には、かつての「規律正しいエリート」とは違う、底の見えない不気味な影が、蛇のように長く、暗く伸びていた。


その影に、ベルもルークも、今はまだ気づかないふりをすることしかできなかった。

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