2話 フェイント
3月6日 〔日間〕SFランキング2位 ありがとございます
重厚なローターの風切り音が、夕焼けの淡い光を切り裂くように響き渡る。
漆黒の塗装を施された国家機密の輸送ヘリは、東京の眩い光の海を離れ、北へと進路を取っていた。窓の外では、文明の結晶である街明かりが徐々に疎らになり、代わりに底知れない深い闇を湛えた山々のシルエットが、巨大な獣の背中のように連なり始めていた。
「……ねえ、見てよ。あそこ」
ルークが窓に銀色の指先を滑らせ、眼下の景色を指差した。
センター分けの銀髪が機内の微弱な振動に揺れる。彼が指し示したのは、群青色の空と、深緑色の山脈が溶け合う境界線だった。
それは、息を呑むほどに残酷で、美しい光景だった。
折り重なる山々の稜線は、まるで幾重にも重なった薄絹を、濃い藍色の染料で染め上げたかのようなグラデーションを描いている。谷間には薄い霧が溜まり、月明かりを反射して淡い銀色の川のように蛇行していた。人間がその美しさに魂を奪われる一方で、アンドロイドである彼らの視覚センサーは、その暗がりの奥に潜む「不自然な影」をノイズとして検知し、アラートを出し続けている。
「綺麗だね。まるで誰かが描きかけで放置した、水墨画みたいだ」
ルークの青い瞳に、藍色の世界が鏡のように映り込む。
「情緒的な評価は不要だ。……そろそろヘリが高度を下げるぞ」
カイトが冷淡に言い放つと、ヘリの機首がゆっくりと沈み込んだ。
18:10。
ヘリが目的地付近の村へ降下を開始する。
眼下に広がるのは、古き良き日本の原風景を切り取ったような、茨城県北部の小さな集落だった。
狭い耕作地の合間に、瓦屋根の古い家屋が肩を寄せ合うように並んでいる。庭先には干された洗濯物が夜風に揺れ、道端には使い古された農機具が放置されていた。つい数時間前までは、そこには人々の営みがあり、煮炊きの匂いが漂っていたはずだ。しかし、今の村は、まるで時間が急停止したかのように静まり返っている。
ヘリが村の外れの空き地へと着陸し、タラップがゆっくりと降りた。
巻き上がる土埃の中、三人が地上へと降り立つ。
「――E班15型、聞け」
ヘリの操縦席から、無線越しに操縦士の硬い声が響いた。
「撤収地点は、ここから東に二キロ。村外れの『赤い鳥居』がある高台だ。一時間後に迎えを出す。……生きて戻れよ、兵器諸君」
「りょーかい。一番高いオイル用意して待っててね!」
ルークが片手を上げて応えると、ヘリは再び轟音と共に浮上し、夜の空へと消えていった。
残されたのは、圧倒的な静寂。
地上では、街灯がぽつぽつと灯り始めていた。だが、その光はあまりに頼りなく、等間隔に並んでいるはずの光の柱は、場所によって異常なほど離れている。光と光の間には、底なしの「虚無」が口を開けていた。
何かがおかしい。
風は吹いているのに、草木は不自然に静止している。家々の窓から漏れるはずの生活の光はなく、ただ電柱のトランスが「ジー……」という、虫の羽音に似た不快な音を、等間隔に刻んでいるだけだ。それはまるで見えない蜘蛛の巣が村全体を覆い、空間そのものを締め付けているかのような、不穏な停滞感だった。
18:30
目的地である村の中心部へ向かって、三人は舗装の剥げた道路を歩き始めた。
「ねえカイト、さっきのパイロットさん、いい人だよね。『生きて戻れよ』だって。僕、今ので好感度ゲージが30ポイントくらい上がっちゃったよ」
ルークがポケットに手を突っ込み、軽いステップを踏みながら話しかける。
「……彼らはただの定型文を口にしただけだ。僕たちが全損すれば、彼らの報告書が面倒なことになるからな」
「もう、カイトは相変わらず夢がないなぁ。ねえ、ベルならどっち派? 熱血パイロットさんと、冷血エリート機、どっちとデートしたい?」
「私? 私は断然、美味しい電力を奢ってくれる方かな! でも、あのヘリの振動はちょっとお尻のパーツに響くからマイナス10点!」
ベルがハンドガンをくるくると回しながら、ルークの悪ノリに乗っかる。
「だよねぇ。あ、そうだ、この任務が終わったら、さっき見えた山の霧でかき氷作ってみない? 『大自然の怪異味』とか言って売れるかもよ」
「それ、絶対お腹壊すやつじゃん! 液圧系が詰まって死んじゃう!」
二人がケラケラと笑い合い、場違いな明るさが闇を弾く。
だが、その背後で太陽の残光は完全に途切れた。山の端に最後の一条の光が吸い込まれ、世界は本当の、底のない「夜」へと没入した。
「……うわ。本当に、暗いね」
ルークが足を止めた。
その呟きに呼応するかのように。
パシッ。
乾いた破裂音が響き、村を辛うじて照らしていた数少ない街灯が一斉に消灯した。
次の瞬間。
「っ……!?」
ルークとベルが同時に、よろりと足元をふらつかせた。
アンドロイドの視界補正機能が、周囲の急激な「光学的変質」に対応できず、一瞬だけホワイトアウトするほどの強烈なノイズが脳内データを駆け巡る。
「電波障害だ。……おい、これ、外部通信が完全に遮断されたぞ」
カイトが耳元の通信端子を指先で強く押さえる。だが、スピーカーから返ってくるのは、鼓膜を削るような砂嵐のノイズだけだった。
ベルが警戒して一歩踏み出すと、乾燥した落ち葉が「カサリ」と乾いた音を立てた。
あまりにも静かだ。
本来なら聞こえるはずの、夜の虫の音、遠くの川のせせらぎ、風に揺れる木の葉のざわめき。そのすべてが、掃除機で吸い取られたかのように抹消されている。
不自然な、真空のような静寂。
それは生命が拒絶された、純粋な「異界」の入り口だった。
「わあ、静かすぎて自分の内部モーターの音がうるさく聞こえるよ。これじゃ、寝坊しても誰も起こしてくれなさそうだね」
ベルはハンドガンの撃鉄を静かに起こしながらも、相変わらず冗談めかした調子で肩をすくめる。彼女の青い瞳は、暗闇を貫こうと鋭く明滅していた。
「……怖くないのか、ベル。センサーがこれだけ異常を訴えているのに」
カイトの問いに、ベルはうふふ、と笑う。
「怖い? 何それ。美味しいの? 私たち、そういう面倒な機能はインストールされてないでしょ。それに、暗いなら暗いなりに、相手を光らせてあげればいいだけの話じゃない」
「ハハッ、名案だね」
ルークが笑みを深め、再び一歩前へ出た。
ナイトビジョンが必死に周囲の形状を捉えようとするが、映し出される映像はあまりに歪んでいた。
家屋の屋根はどろりと溶け、電柱は曲がった指のように天を指し、影がまるで生き物のように地面をのたうち回っている。
「いやー、これすごいね! 4K画質どころか、抽象画になっちゃってるよ。僕の自慢の目は、ピカソ専用になっちゃったかな?」
ルークは、ポケットに手を突っ込んだまま、軽口を叩いてふらりと前進する。その足取りは、死地へ向かう兵士のそれではなく、放課後の街を歩く少年のように軽やかだった。
その刹那。
濃霧の向こう側から、色彩の概念そのものを失ったような「無」の存在が、三人の目の前へと音もなく滑り込んできた。
空気の密度が変わり、ルークの銀髪が逆立つ。
『褪暮』が、ついに牙を剥く。
灰色の静寂が、三人のアンドロイドを飲み込もうと大きく口を開けた。
何より不気味なのは、その頭部だった。
あるべき目も鼻も、そして歯の一本すら存在しない。ただ、顔の半分を占める巨大な「灰色の亀裂」が、深淵のような口を大きく開き、三人のアンドロイドを一度に飲み込もうと迫り来る。
「うわ、デカ口! おじいちゃん、入れ歯忘れてるよ!」
ルークが叫びながら、バックステップで後退する。同時にベルとカイトも左右に分かれ、巨大な顎が空を切って「ガリッ」と虚空を噛み砕く音が響いた。
現れていたのは、物理法則をあざ笑うような歪な巨躯。
人型ではあるが、そのバランスはあまりに異常だ。丸太のように太く長い両腕が地面を擦り、対照的に足は短く、重厚な胴体を支えている。
空振りした敵の口が、ズルズルと形状を変える。それは次第にのっぺりとした「顔」のような造形を成していくが、やはり目鼻はない。ただそこには、嫌悪感だけが漂っていた。
「分析完了。攻撃パターン、単純だが質量が重い。僕がまず風穴を開ける。そのあとは頼んだぞ」
カイトが冷徹に告げた。彼は先ほど基地のトレーニングルームで叩き込んでいた「火力向上」のプロセスを、瞬時に戦闘回路へロードする。
「……出力、限界突破。インパクト・シーケンス、開始...!」
カイトの両腕が、内部の油圧ピストンを激しく鳴らして膨張する。銀色の肌の隙間から、青白い熱気が噴き出した。
彼は地を這うような低空ダッシュで肉薄すると、握りしめた両拳を、敵の腹部目掛けて同時に突き出した。
ドォォォォォン!!
コンクリートの粉砕音とは違う、肉厚なゴムを爆破したような重低音が響き渡る。
カイトの一撃により、敵の暗いオレンジを帯びた灰色の腹部が、文字通り消し飛んだ。向こう側の景色が透けて見えるほどの巨大な風穴。
「ひゅー! さすが中央整備拠点の模範生。パンチのキレが、そこらの重機より鋭いね!」
ルークが口笛を吹く真似をする。
「すごーい! カイト、これで核吹き飛ばせるね。お疲れ様!」
ベルがハンドガンを構えながら、おちゃらけた調子で野次を飛ばす。
だが、敵は止まらない。
腹に巨大な穴を空けられたまま、ズルズルと周囲の灰色の影を吸い寄せ始めた。切断された組織が、まるで生き物のように蠢き、再び繋がろうとする。
「再生なんて、100年早いんだよっ!」
再生が完了する寸前、ベルが引き金を引いた。
放たれた特殊弾頭が結合部に着弾し、紫色の火花を散らす。再生が一時的に停滞した一瞬の隙。ベルの持つハンドガンが、機械的な駆動音と共に複雑に変形を開始した。
銃身がスライドし、内部から透き通るような青い輝きを放つ「高周波短剣」が姿を現す。
「足元、お留守だよ!」
ベルが風のように駆け抜け、敵の短い左足を一閃した。
深々と刻まれた裂け目から灰色の霧が噴き出す。反撃を警戒し、深追いせずに飛び退くベル。
「アッハハ! 片足引きずってちゃ、私には追いつけないよ!」
挑発するように笑うベル。だが、敵は恐怖を糧とする『褪暮』。自分が破壊されることへの恐れか、あるいは怒りか。再生速度が異常に加速し、足を引きずりながらもカイトへと突進する。
カイトは冷静に拳を構え直した。突っ込んでくる敵に対し、カウンターの一撃を叩き込もうとした、その時。
「カイト!」
ルークの声が響く。
カイトの目前まで迫った敵の右腕が、急激に軌道を変えた。
本命はカイトではない。その長いリーチを活かし、少し離れた位置で隙を窺っていたルークへと、もう一本の長い腕がしなりのように襲いかかった。
「おっと……ぐっ!?」
不意を突かれたルークの腹部に、灰色の拳がめり込む。
鈍い衝突音が響き、ルークの体が数メートル後退した。だが、ルークは吹き飛ばされる寸前、敵の腕を万力のような力で掴み取っていた。
「……痛いなぁ。せっかく支給されたばかりの新品の服、シワになっちゃったじゃないか」
ルークのスピーカーから、笑いを含みつつも、どこか冷え冷えとした怒りの混じった声が漏れる。
逃がすまいと腕を握りつぶそうとしたが、敵は躊躇なく自らの腕を根元から「自切」し、瞬時に後退した。切り離された腕はルークの手の中で霧となって消え、敵の肩からは新しい腕が既に生え始めている。
「接近戦はリスクが高いね。……鬼ごっこ、延長戦といこうか」
ルークが少しだけ不機嫌そうに、だが能天気な足取りでジャンプした。
アンドロイドの脚力が生む跳躍は、建物の三階相当にまで達する。上空から、自慢の火力を一点に集中させ、敵を押し潰そうと落下。
だが、敵もさるもの。短い足を器用に使い、ルークの質量攻撃を紙一重で回避。すかさず反撃の触手が伸びるが、ルークは空中で体をひねり、それを軽やかにかわして着地した。
「ほらほら、後ろも見てないとダメだよ!」
援護に回ったカイトがアサルトライフルを連射し、ベルがハンドガンで正確に膝を撃ち抜く。
火線が闇を引き裂き、美しい光の帯となって敵の体を削っていく。
「ルーク! 弾丸一発につきメンテ費用加算だぞ。お前のせいで、今夜は赤字だ!」
カイトが冗談を飛ばしながら、正確無比な射撃を維持する。
「いいよいいよ、カイトの奢りでしょ? 僕、報酬とかあんまり気にしないタイプだからさ!」
重く淀んだ空気を切り裂くように、軽口を叩き合う三人。
ルークは敵の執拗な攻撃を何度かその身に受けながらも、実験機特有の「直感演算」をフル稼働させていた。
殴り、撃たれ、再生される――その繰り返されるリズムの中で、彼は「違和感」を捉える。
「……見つけた」
ルークの青い瞳が、怪しく光った。
敵が再生のために影を集める際、唯一、エネルギーの奔流が一点に収束する場所。
それは腹でも、胸でもない。
「カイト、ベル! あいつの『核』、顔のすぐ下……喉の奥あたりに隠してる! 結構いい場所に隠してるね、新人さんのくせにさ!」
ルークの叫びが、電波障害でひび割れた通信回線を突き抜けた。
ルークが右拳に再び青いスパークを収束させ、不敵な笑みを浮かべた。
標的が定まった瞬間、ルークの駆動系が歓喜の悲鳴を上げる。関節各部のリミッターが強制解除され、銀色の足首から青い放電が爆ぜた。
「行っけぇー、ルーク! 決めなきゃ明日のオイル、泥水に変えちゃうからね!」
ベルが後方から弾幕を張り、敵の注意を散らす。
ルークは脅威的な脚力で大地を爆砕し、一気に距離を詰めた。敵がリーチを活かして放つ「長い腕」の打撃。
ルークはその懐へと、死神の鎌を掻い潜るような低空の滑走で潜り込む。
「悪いけど、懐に入られるのは嫌いかな?」
ルークは、右腕に内蔵された全エネルギーを拳へと一点集中させた。
バリバリと音を立てて空間を焼く青いスパークが、闇の中でルークの姿を神々しく、そして凶悪に照らし出す。狙いは喉元。そのまま全てを突き破るような、必殺のアッパースイングの予備動作に入る。
だが、敵も「新人」ながらに死の気配を察知した。
喉元の核を守るべく、周囲の灰色の霧が急速に凝縮を開始する。
「――っ、来るぞ! 汚染濃度の急上昇だ!」
カイトの警告が響く。
敵を中心に、世界から色が剥ぎ取られていく。霧はより濃く、より深く、アンドロイドの視覚センサーに猛烈なノイズを叩きつけた。回路にかかる過負荷。脳内に響くアラート。銀色の肌が軋み、データの汚染を示す警告灯が網膜の端で赤く点滅する。
しかし、ルークの笑みは消えない。
「ノイズがなんだって? 僕はもともと、不完全なのが売りなんだよ!」
機体の負荷を諸共せず、ルークはアッパーの軌道で腕を振り抜く――。
敵は喉元に霧の壁を何重にも張り巡らせ、正面からの激突に備えた。
だが、衝突の直前。
ルークは、全速力で振り抜こうとしていた右拳を、あえて「止めた」。
「なっ……!?」
カイトが驚愕の声を上げる。
ルークは振り上げた右手を、拳から「パー」へと開き、敵の顔面を覆うように突き出した。目潰し(フェイント)だ。
「……はい、やり返した。これでさっきの腹パンの分、おあいこね」
ルークの軽やかな冗談。
敵は「視覚情報」に頼りすぎた。アンドロイドであるルークの完璧な攻撃フォームから、正面からのアッパーが来ると確信し、全防御を正面に固めていたのだ。しかし、ルークという機体は、その「完璧なフォーム」を途中で投げ出せるほどに、不安定で、自由だった。
右手のフェイントで敵の視界と意識が上向いた瞬間。
ルークは右腕のスパークを瞬時に霧散させ、全ての熱量を「左拳」へと転送した。
「じゃあね。次はもう少し、愛想の良い顔で生まれてきなよ」
敵の側面――ガラ空きになった喉元に向けて。
ルークは渾身の力で、水平のフックを叩き込んだ。
――ガァァァァァァァァン!!!
先ほどまでの打撃音とは比較にならない、金属と概念が砕け散るような轟音が山間に響き渡った。
ルークの左拳は、敵の喉元の肉質を容易く貫通し、その奥に隠されていた「核」を直接粉砕した。
「――ぁ、あ……」
口のない顔が、初めて声にならない悲鳴を上げたように見えた。
敵の首から上が、ルークの衝撃波によって文字通り吹き飛ぶ。
核の残骸が、最期の輝きを放つように激しく灰色に発
光し、周囲の霧を巻き込みながら爆散した。
やがて、光が収まる。
そこには、巨大な怪物の姿も、視界を塞いでいた灰色の霧もなかった。
あるのは、静まり返った茨城の山道と、膝をついて肩で息をする――ふりをする、銀色の青年だけだった。
「……ふぅ。完璧。カイト、今のは120点くらいあげてもいいんじゃない?」
ルークが、火花を散らす左腕をぶら下げながら、いつもの調子で振り返る。
その背後では、奪われていた世界の「色彩」が、ゆっくりと、しかし確実に、夜の闇の中へと戻り始めていた。
【討伐報告書 現代型妖怪 褪暮】
21XX年○月△日
保有能力:周囲の色彩を奪い灰色の濃い霧を広範囲に展開する。この霧は電波障害を発生させた模様。巨大な口を持っている。
地元住民から霧に入ったあと消息を断ったという報告あり。
被害報告:意識不明 8名
行方不明 4名
死亡 0名
家屋の損壊はなし。




