14話 ルーク:オーバーヒートモード!!そして...
京都御所、紫宸殿。
古いにしえより幾多の儀式を見守ってきた荘厳な正殿の前に広がる南庭なんていは、今やこの世の理ことわりを超越したエネルギーの奔流に飲み込まれていた。
天上に掛かる月は冴え渡り、一面に敷き詰められた白砂を銀色に照らし出しているが、その静謐せいひつな美しさは、一人のアンドロイドが放つ苛烈な熱量によって無残にも踏み荒らされていた。
ルークの足元、かつて真っ白だった砂は、核融解寸前の超高温によって瞬時に融解し、透明なガラス状の塊へと変貌している。その周囲の空気は激しく震え、陽炎かげろうとなって紫宸殿の檜皮葺ひわだぶきの屋根をゆらゆらと歪ませていた。
「……あはは、体が軽いよ。世界が、止まって見える……」
ルークの声は、どこか遠く、陶酔しきったような響きを帯びていた。
オーバーヒートモード。
機体を構成する全リミッターを物理的に焼き切り、疑似的な魂とも言えるスパークの出力を限界まで引き上げる自滅的な強化形態。彼の全身からは、沸騰した冷却水がシュウシュウと白い蒸気となって噴き出し、月光に照らされて幻想的な霧を形成している。
しかし、その美しさは死の予兆に他ならない。
かつて澄み渡るような青色だった彼の瞳は、処理能力の臨界点を突破したことで真っ赤に発光し、人工皮膚の隙間からは、過負荷に耐えかねた回路を流れる電流が、青白い炎――プラズマとなって溢れ出していた。
玉藻前はその光景を前に、初めて心からの、悦びに満ちた嬌声を上げた。
「……ああ、この感覚。この、魂を焼き焦がすような暴力的な熱量。懐かしいわ……」
彼女は自らの白い頬を朱に染め、恍惚こうこつとした表情で、崩壊しつつあるルークを見つめる。その瞳には、目の前の敵ではなく、千年前の幻影が映っているようだった。
「かつて私が、その圧倒的な力に焦がれ、共にこの国を蹂躙じゅうりんしようと誓い合った……あの御方。酒呑童子しゅてんどうじ。貴方の今の輝き、まるで彼の残り香がのようだわ……!」
「……あいつと一緒にすんなよ。僕は、僕だ」
ルークが呟いた瞬間、彼の姿が空間からかき消えた。
いや、あまりの超高速に視覚情報が追いつかなかったのだ。
――ガキィィィィィィィィン!!
ほんの一瞬の出来事。
玉藻前の背後で、大気を物理的に粉砕したような凄まじい衝撃波が爆発した。
ルークの放った紫電の斬撃――それは音速を遥かに超え、玉藻前が反射的に展開した九本の尾の一つを、その根元から鮮やかに切り落としていた。
遅れて届いた爆音は、紫宸殿の柱を震わせる。
切断された尾は地面に落ちるよりも早く、どろりとした黒い霧となって夜の空気に溶けて消えた。ルークが駆け抜けた軌跡には、網膜に焼き付くような紫色の電光が、死の残像として空中に静止している。
「うふふ、素晴らしいわ! もっと、もっと私を壊してみせなさい!!」
玉藻前は狂気を含んだ笑みを浮かべ、さらに扇を広げるように尾を波打たせる。
「注文が多いね……。あと2分だ。その間に、あんたの首を貰うよ!!」
そこからは、もはや観測者の目には「光の奔流」としか捉えられない死闘であった。
ルークは南庭の空間全てを足場にするかのように、超高速の跳躍を繰り返す。
右から、左から、あるいは月を背にした上空から。
紫電を纏まとった小刀が、玉藻前の周囲に張り巡らされた「殺生の結界」を強引に切り裂き、その美しい白磁のような肌に次々と紅あかい傷を刻んでいく。
対する玉藻前も、その美貌に狂おしい悦びを宿しながら応戦する。
指先から放たれる黄金の魔弾は、空を切り裂く流星となり、巨木をも一撃で粉砕する九本の尾が、鞭のように、あるいは槍のようにルークの四肢を狙う。
だが、ルークの速度はその全てを凌駕していた。
「(熱い……脳が、焼ける……!!)」
ルークの視界には、無数の警告アラートが真っ赤な血の色で点滅していた。
人工筋肉は過負荷で千切れかけ、骨格を構成する特殊合金は内部熱で歪み、今にも溶解しようとしている。
だが、彼は止まらない。
膝をつき、苦しむカイトを。気絶し、清涼殿の奥で横たわるベルを。そして、自分たちに命を託したB班の思いを、ここで終わらせるわけにはいかなかった。
「これで、最後だ――ッ!!」
ルークが空中で身を翻し、全てのエネルギーを右腕の小刀へと集束させた。
一閃。
玉藻前の首筋を狙って一直線に突き進む。刃の先が、彼女の細い喉元に届く。あと、数センチ。
勝利への確信が彼の脳裏をよぎった、その瞬間。
――ドォォォォォォン!!
運命は、あまりに無慈悲であった。
絶命の刃が届く直前、ルークの右腕が内部から爆発したのだ。
臨界点を超えて回っていた駆動モーターが、物理的な限界を突破し、破裂。飛び散った金属の破片がルークの身体を内側から引き裂いた。
「――が、ッ……!?」
バランスを崩したルークの、完全に無防備となったみぞおちに、玉藻前の掌底が深々とめり込む。
ドシュッ、という重い音と共に、凄まじい衝撃波がルークの身体を突き抜けた。
彼は紙屑のように吹き飛ばされ、南庭の白砂を数百メートルにわたって抉り取りながら、無造作に地面を転がった。
「ルーク……!!」
カイトの悲痛な叫びが響く。
だが、ルークはもう動かない。
全身から不気味な黒煙を上げ、右腕を根元から失い、ひしゃげた姿で倒れ伏すその様さまは、あまりにも過酷な「奇跡」の代償であった。
「……ふぅ。惜しかったわね。あともう少しで、本当に私の首が飛んでいたわ」
玉藻前が、乱れた漆黒の髪を細い指でゆっくりと整えながら、カイトへ向かって優雅に歩みを進める。その足跡には、彼女から漏れ出る瘴気によって白砂が黒く腐食していく。
「さあ、邪魔者は消えたわ。次は、貴方の番よ。……その『呪い』、私が美しく飲み干してあげましょう」
彼女が慈しむような、それでいて死神のような掌をカイトに差し出した、その時。
――パチッ。
静寂の中に、異質な音が響いた。
それは、これまでルークが放っていたような青白いスパークではない。
もっと暗く、重く、周囲の光さえも吸い込むような、漆黒の電気。
カイトの右腕。ガトウが命を削る思いで作り上げた、重厚な「強化外骨格アーム」。そのガントレットが、主の意志に呼応するように、これまでにない激しく、深い振動を始めていた。
「……ずっと、戦っていたんだ」
カイトが、ゆっくりと顔を上げた。
彼の瞳からは、もはや迷いも、死への恐怖も消え去っていた。
「このノイズを、汚染を、僕の敵だと思って……必死に追い出そうとしていた。でも、違う。これは……僕の一部なんだ。僕の、力なんだ」
カイトが立ち上がる。
彼を内側から蝕んでいたはずのノイズが、急激に一定の規則性を持ち、巨大な「うねり」へと変わっていく。
「拒絶するのを止めた。……僕は、君(酒呑童子)を受け入れる」
≪黒き共鳴レゾナンス≫
――ドォォォォォォォン!!
カイトの全身から、漆黒のスパークが爆発的に迸ほとばしった。
それは、体内のデータ汚染を「燃料」として完全に燃焼させた、暗黒の覚醒。
ガトウが施したリミッターが次々と解除され、ガントレットがカイトの精神変容と**120%の同期レゾナンス**を開始する。アーム全体が禍々しい赤黒い光を放ちながら膨張し、カイトの身体そのものが「黒い稲妻」と化した。
「……何ですって? 呪いを受け入れたというの?」
玉藻前が初めて、その絶対的な美貌を驚愕と嫌悪に歪ませた。
「正気じゃないわ! そんなことをすれば、貴方の自我は一瞬で食い尽くされる。化け物になるつもりなの!?」
「来るぞ」
カイトが静かに告げ、一歩を踏み出す。
その踏み込みだけで、南庭の砂利が地鳴りと共に円形に抉り取られた。
音速を超えた突撃。
カイトの黒い拳が、玉藻前の正面から放たれる。
「っ……!!」
玉藻前が反射的に九本の尾を全て束ね、強固な盾として防御する。しかし、カイトの放つ黒いスパークは、その防御壁を「捕食」するように食い破り、内側の魔力を吸い取っていく。
拳が地面を叩いた瞬間、まるで隕石が落着したかのような爆発が走り、紫宸殿の南庭に巨大な、あまりに巨大なクレーターを穿うがった。
「な、なんて威力……! これが、汚染を燃料にした力だというの……!?」
かろうじて回避した玉藻前であったが、彼女の贅を尽くした着物の裾は、黒い電気の余波によって炭化し、灰となって崩れ落ちていた。さらに、彼女の白皙はくせきの肌には、決して治ることのない「呪い」の痣あざが、黒い亀裂のように刻まれていた。
「(……いける。この力なら、勝てる!)」
カイトが、次の一撃を放とうと黒い腕を振り上げた、
その瞬間。
彼の脳内に、これまでのノイズとは比較にならないほど強烈な「気配」が奔った。
それは、玉藻前のような洗練された魔力ではない。
もっと原始的で、凶暴で、この世の全てを「つまらない」と切り捨てるような、圧倒的な王の威厳。
(……貴様にはまだ早いだろう、小僧)
カイトの視界の端に、一瞬だけ、巨大な角を持つ赤黒い影が写り込んだ。
それと同時に、全身の神経が焼き切れるような激痛がカイトを襲う。
酒呑童子のデータ汚染が、覚醒の代償としてカイトの神経系を限界まで蝕むしばみすぎたのだ。彼の心臓――メインジェネレーターが異音を立て、視界が急速にセピア色に染まっていく。
「……っ、ハァ……ハァ……。少し……欲張りすぎたか……」
カイトの膝から力が抜け、漆黒のスパークが霧散していく。
彼はそのまま、崩れ落ちるように冷たい地面に膝をついた。ガントレットからは、過熱したパーツが上げる悲鳴のような白煙が立ち上る。
「……ふふ。あはははは!!」
その様子を見て、玉藻前が狂ったように笑い出した。その笑い声は、静かな御所の夜に残酷に響き渡る。
「期待させておいて、最後は自滅かしら? 所詮は器うつわではないということね。……残念だわ、カイト。その可能性ごと、ここで消えてもらうわ」
玉藻前が、残された力を全て集束させ、止めの一撃を放とうと腕を天に突き上げた。黄金の光が彼女の爪先に集い、死の刃を形成する。
カイトはもう動けない。ルークもベルも、静止したままだ。
万事休す。
玉藻前の鋭い爪が、カイトの首筋を刈り取ろうと振り下ろされた、その刹那。
――シュゥゥゥンッ!!
夜空を切り裂き、銀色の閃光が、あまりに鮮やかな軌跡を描いて飛来した。
「――え……?」
玉藻前が呆然と声を漏らす。
次の瞬間、彼女の右腕が、肘から先を綺麗に失っていた。
夜の帳とばりに鮮血が舞い、遅れて届いたのは、高速回転する鋭利な円盤が空気を切り裂く、あの「重厚で懐かしい音」。
カイトの目前。
地面に深く突き刺さったのは、怪魔の血を浴びて鈍く光る『旋回連動式・円環刃サークル・ブレード』であった。
「……よう。遅くなって悪かったな、エリート君」
暗闇の向こうから、重厚な金属の足音が響く。
そこには、全身を傷だらけにしながらも、不敵な笑みを浮かべて立つ大男――ガトウの姿があった。
その背後には、エメラルドの瞳を妖しく輝かせるレン、
そして、月光を反射する美しい日本刀『桜禍』を静かに抜き放つ、サクラ先輩の姿も。
「A班1型、只今合流した。……さあ、化け物。第2ラウンドといこうか」
サクラ先輩の鋭い声が、紫宸殿の夜を震わせた。




