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文芸部 ほたる短歌班  作者: はあとのええす
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みつけた世代。In other words、

みつけた世代。In other words、






      これは人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ





                          ニール・アームストロング





 似たような思想あるいは夢想が, 瞑想のあとの余韻となって彼の心に浮かんだ.。

「目覚め」の際に重要なのは, 真理や認識ではなくて, 現実と, それを体験しそれに耐えることであると思われる。

 目覚めにおいては, 事物の核心に, 真理にいっそう近く迫るのではない。事物の目下の状況に対する自我の態度を把握し, 遂行し, あるいは耐え忍ぶだけなのだ。その際に見いだすのは, 法則ではなくて決意である。

  世界の中心ではなくて, 自分自身の中心に行きつくのだ。

 それゆえ, その際体験したこともほとんどが伝達できず, 奇妙なほど口に出したりまとめたりすることが難しいのだ。

 生のこの領域のことを伝達するのは, 言語の目的には入っていないように思われる。それでも, 例外的にある程度理解されるとするなら, その理解する人は同じ状況にいる人であり, 共に悩む人, あるいは共に目覚めつつある人なのだ。

 フリッツ・テグラーリウスは, 時折, ほんの少し自分を理解してくれた. プリーニオの理解は, それより先まで達した. ほかになお誰が挙げられようか?誰もいやしない.




                

ヘルマン・ヘッセ「ガラス玉遊戯」一段落引用






 私は海辺で遊んでいる少年のようである 

 ときおり 

 普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている

 真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに






                          アイザック・ニュートン





 音楽は隠れた算術の営みであるが、

 これに携わっている人は、自分が数を操作していることに気づいていない






                          ゴットフリート・ライプニッツ






      三十年生きてきたのに三年も生きた気しないのもスイミング






                  砂崎柊「虹を脱走した色たちへ」






       遠泳を 星のめぐりにさらけだすもっと大きな傷という星






                  石村まい「あかぎれの崖」







 午前九時に学校のロータリーにいくと、ブルーシートに一人の男性が寝そべっていた。黒のスーツに青のワイシャツ。ネクタイは黄色だ。

 僕はいっぱいの氷で重くなったクーラーボックスをブルーシートのに置いた。ジュースやなんかは入っていない。

 そのころには、その男性が誰かは判明していた。

 桜並木先輩だ。

 なんかひとまわり大きなった感じでがっしりしたがたいになっている。頭のうしろに両腕を腕枕にしてすっかり熟睡している。留学から復学したのだろうか。でも、そんな話はだれからもきいていない。

 桜並木先輩のそばには、サマンサ・ハーヴェイの「オービタル」が転がっていた。もちろん英字だ。それは、国際宇宙ステーションに乗り組む六人の宇宙船員たちの「二十四時間」を描いた文学小説だってことは新聞の文芸欄を読んでしっていた。

 国際宇宙ステーションだって、「第二次世界大戦前には無かったもののなかの一つ」だ。空をみあげれば見えないだけで、それでも太陽光を反射して、光って、今この時、僕たちの頭上を、いや、ぼくたちを見下ろしているのかもしれない。







       抜けるほど青い空って絶望と希望をたして2で割った色?






                  岡野大嗣 「高く飛んでも」







 僕が、ぼーっと突っ立っていると、「やっほー」と女性の声がした。「米利先輩か」っと一瞬思ってしまった。でも、それは桜並木先輩の登場がそう思わせるだけで、その声の持ち主は「姉妹部長代行」だってすぐに思い巡った。


 「おっ」「きてるじゃん。桜並木。」


 姉妹部長代行の声で、桜並木先輩が、眩しそうに片方の眼をあけた。


 「よおっ」


 




われらはいっしょにこれから何を論ずるか

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい

もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい

われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である





                    

                    宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」 序論






       風に立つ横断旗は破れ果てこのあたりでは滅んだ獣






                   金森さかな「vivid」








        口ごもるたび身ごもっていた鳥が変声期にはあまりに殖えて







                   碓井やすこ「Retrospect」






 桜並木先輩は、親戚の結婚式で一時帰国していたのだ。

 姉妹部長代行と桜並木先輩の会話から、どうやら二人は連絡をとりあってるらしいことが推察できた。

 森城いずみが、なんか四角いふろしき包みを持ってきた。

 松尾響子が、でかい手提げかばんを肩にかけて登場した。

 松井ありさは、もちろん手ぶらだ。

 ロータリーの桜は昨日よりは花が多くなっているだろうか。


 「おれは、もうナツ高には帰らないぜ」


 桜並木先輩が、森城いずみのもってきた、手作りいなりずしをほおばりながら重大発表をぶっちゃけた。

 「おれは大問題にでくわしちまったんだ」

 「『二千五十年問題』と『平和のパラドックス』だ」

 「この問題をかたづけることができる商いにつくことにした」「でも、それがどんな商売かはわからん」「なにしろ、俺は飛び級でオックスフォードにいく」

 「それから考える」


 桜並木先輩の話した二千五十年問題ってのはこういうことだ。


 平和、日常、当たり前のことへの尊崇がきわめて薄くなってしまう時代の到来。戦争体験者と、その子供世代、戦争とその後の復興の苦労を身をもって体験した人々の退場。

 生きた記憶の完全消滅。

 幼少時代に戦争を経験した人たちは現在、八十五歳を超えている。地球上の戦争体験者の話だ。

 二千五十年、第二次世界大戦を直接体験した人たちはこの地球上にいなくなる。

 語る人がいなくなる。そしてその声を直接聞いた世代もいなくなるってしまうんだ。

 記憶と情報の埋めようのない溝。

 そして、そこには「三世代の法則」もからんでくる。歴史的トラウマは三世代で風化するという経験則だ。

 二千五十年は、その三世代の、風化した記憶の世代が社会の中枢を成す。


 国連、核不拡散条約、その他もろもろ。これらは戦争の記憶から制度化されたものだ。制度はあっても、制度を守ろうという内発的な動機が消える。

「国際法」という言葉が体験からの「声」ではなく「作法」になってしまうんだ。

 孫世代の、その描くコンテンツには、説得力は持ちえないのだろうか。

 平和を希求する人々の消失なのか。

 二千五十年にかさなりあう、歴史の波。


 戦国時代だって『美化』されているのが「現実」だ。武士独善社会の英雄化が現実に起きている。西部開拓の映画、「駅馬車」も一方からの偏った「物語」だ。

 真の英雄のアルゴリズムは「N公理」だ。タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく価値はない。英雄の、勇者一行のとる道、選択はおのずと決まってくるんだ。

 うまくやらなければならない。

 「グッドラック」スペンサー先生のおだやかな顔が浮かんでくる。


そして、平和のパラドックス。

「平和は戦争からしか学ばない」というテーゼだ。

 戦争の後、マーケットは反戦コンテンツが需要する。それは平和を希求するひとたちが形成する市場だ。

 平和が蔓延したとき、平和が達成された時には、そして何世代も続いた時、平和の啓蒙市場は縮小し、学びは無くなる。

 平和という「日常」の、その脆弱さの認識はなくなり結果として、「日常」への尊崇は無くなり、英雄談、刺激だけを求める非日常ストーリーがマーケットを支配する。

 社会に秩序、制度は失われ、戦禍。

 そして、また、反戦マーケットの朝市がひらかれる。



 「『ディア・ハンター』だって、『メロディ・フェア』だってそうだろ」


 桜並木先輩が、今は、松尾響子が朧月商店街で買って、手提げかばんにいれて運んできたジンジャーエールのペットボトルを、僕のクーラーボックスから抜き取りながら、森城いずみの今度は手作りサンドウィッチを手に取って語り続ける。

 そういえば、姉妹部長代行、何も持ってきてなかったな。


 「なにか、「仕組み」をかんがえなきゃならんのだ」

 「『メロディ・フェア』から『ディア・ハンター』を思いめぐらす「仕組み」だ」


 ディア・ハンターは、その前半の四十五分を「ペンシルバニアの鉄鋼の町」、「結婚式」、「友人たち」、そして「鹿狩り」の描写に費やす。

 マイケル・チミノ監督は、この「日常」、うしなわれかもしれない脆弱な「日常」の描写に長尺をあたえた。

 そして、「ロシアン・ルーレット」の狂気。


 日常の描写のあとの耐え難い時間。

 でも、実際に「存在してしまった」時間だ。


 「日常」と「狂気」の、ビフォア・アフタア。

 第二次世界大戦が基調になる「物語」なら、反戦だ、平和だ、っていうのに、「徳川家康」や「豊臣秀吉」が下敷きの時は「やいば」だ「天守閣だ」っていう「物語」にすり替えられる。そりゃあ、ビジネスは戦ってことはわかってる。ランニングレースだ。カレーまん公理の、喜びと悲しみの世界だ。

 しかし、峻別する視座が欲しい。





    振り向くから急いで上がる夜だから通り抜けできなくなっている






                   神藤丞「パノラマ」







 「『イマジン』だ」「いいか、水辺っ、『イマジン』だ」


 

 今度は、森城いずみの、お手製のエビフライを箸でふりまわしている。


 「『メロディ・フェア』は、永遠の「ビフォア」」

 「でも、ビージーズの挿入歌「ファースト オブ メイ」は、「アフタア」を暗示するんだ」

 「かんがえるんだ。」


 桜並木先輩は『ディア・ハンター』のロバート・デニーロみたいに殺気だってきていた。


 「ダニエルやメロディ、トムは、世代的にその後、ベトナム戦争に送られる若者たちの世代だ」

 「トロッコで逃げ切れなくなっちまうんだ」「トロッコなんかじゃ逃げ切れなかったんだ」


 「エクスカリバー構図だ」「商いの鉄則だ」「米利さんが勇者なら、俺はアーチャーだ」



 「ランナウェイ」「ジャストアランナウェイだ」






         はじまりを知らずに足から動く癖そしてみらくるめく万歩計





   

                   汐見りら「rock'n'walk」







 「エーリッヒ・フロムは『ジ・アート・オブ・ラビング』で、愛は技術だと言ってる」

 「『愛の技術開発』は起きないのか」

 「愛の再発見」「愛の発明」

 「おれに任せておけ」「支援魔法をよろしく頼む」「おれの『ナムル』を連中に食らわしてやる」

 「フィード・ザ・ワールドだ」





      共感はできて理解はほど遠く造花のすずらんは揺れていた






                    大原雨音「硝子片」






      チェス盤の上で将棋をするような戦争は見て見ぬふりをしよう






                     高橋寧「プレイ」






 そういうと、結婚式の時間だからといって、桜並木先輩は去っていった。タフで優しい先輩が去った。

 姉妹部長代行は「じゃあ、また、どっかで」といっただけだった。


 一陣のつむじ風が巻き起こり、桜並木先輩の残した空のペットボトルをコロンと寝転がした。


 「ナムル、おいしいよねえ」「わたし、好きだよ」「クスクスクスっ」

 森城いずみと松尾響子が、笑いを抑えながら、ささやき合った。

 それはきっと、二千五十年のマーケットでもいっぱい注文される、うまくておいしいナムル専門店だろう。






      しあわせは堕ちるみたいに来るんだろうふくらみながらゆくアーチ橋







                   湯島はじめ「夜の者」






       一生を見とどけられぬ寂しさに 振り向きながらゆく虹の橋  





             

                    俵 万智「オレがマリオ」






       あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました






                    木下龍也 「つむじ風、ここにあります」







 「じゃあ、」「あとはよろしくね」

 と言って、姉妹部長代行は、ひとりで先に帰ってしまった。なんか放心状態みたくなっていた。

 「じゃあね、果実君」「じゃあね」

 森城いずみは、重箱をふろしきで包みなおすと、空きのペットボトルをいっぱい詰め込んだ手提げかばんを「よいしょ」と肩にかけた松尾響子と連れ立って会場を後にした。


 「わたし手伝います」

 松井ありさがブルーシートを畳んで用具倉庫の前まで運ぶのにつきあってくれた。

 

 「わたしは、いずみ先輩の『未来』を信じますよ」

 「きっと、ひとの心は、裏と表のコインなんかじゃなくて」

 「そうです。うーん」

 「そんな、そう、二次元の表と裏が等確率に現われる超うすっぺらなコインなんかじゃないですよ」

 「もっと高階の幾何ですよ」「表の出る確率の方が高いんですよ」

 「でなきゃ、この街並みを」「遠くで聞こえる、列車と線路の響きとか」「信号が今日も普通に青になったり赤になったり」「蛇口からちゃんと水がでたり」「そういうことの説明ができなくなっちゃいますよ」


 そうだ。スティーブン・ビンカーの「内なる五人の悪魔、そして内なる四人の天使」

 裏の裏はただの表。

 この平凡な街並みがあることが由比ヶ浜のチャリオット・オブ・ファイアの心、森城いずみと松尾響子の童心、イノセントが世界の「大きな物語」のワールドだってことの証明なんだ。






     わたしより背の高い草花も揺れている空き地は来年ひとが住むという





                   遠野瑞希「鳴りやまない」





 「ひとの心って、ジャガイモみたいな『なんとなく丸』なんじゃないかと思いますよ」

 「おもてってういか、「表面」しかないじゃないですか」

 「でも、ころころ転がっちゃって、模様がよくわからなくなっちゃうんですよ」

 「でこぼこだし」

 「きっと」


 「わたし、子供の頃、いろんなことに怒ってばかりで」

 「わたしの周りは、黒の石ばかりで、私と同じ白の石はほんのちょっぴりのオセロゲームだとおもってたんです」「毎日続くオセロゲーム」


 「でも、ある日、ある俳句にであって。」

 「その一句よんだら俳句の骨法がみえちゃったんえすよ」

 「奥行が」「そう、奥行き」

 「それで」「自分でも俳句を詠むようになって」

 「中三の時に、いろんな高校の文化祭にいって、文芸部を覗いて」

 「カナツ高校の文芸部の展示もみにいったんです」

 「そのとき」

 「果実先輩の、『短歌四面体論』の展示をみたら、四面体の内側がみえちゃたんです」

 「感じちゃたんです」

 「そして」

 「詩の彩りに、世界の見方に、物事のとらえかたには虹のようなスペクトルがあるんだって」

 「自分は白じゃないし黒じゃないし、まわりも黒とか白じゃないって」「いままで見てたのは、『よくある錯視』だって」

 

 「そして気づいたんです」

 「いろんなことを許せるようになった自分に」「許せることの数がふえていく自分に」

 

 「俳句を詠むこころって『表』ですよね」「きっと」





          いくたびも 雪の深さを 尋ねけり



                        正岡子規





 「わたし、短歌もやりますよ」「『全国高校短歌フェスティバル』がんばりましょう」


 


 向かい側、ホームの遠くの端に松井響子が立っていた。水色のセーターが春の昼下がりの陽光にあざやか。

 上り線が入ってくる。松井ありさが乗るやつだ。

 なんとなく薄曇りだった空が、さらに、ぱっと日差しを強めた。松井ありさのセーターがグレイに見える。

 アナウンスが流れる。

 僕の、今日の桜色のジャケットとブルージンズは、松井ありさにはどうみえているんだろう。伸ばしっぱなしのぼさぼさ頭の髪が、ホームに入ってくる列車が押す風でむせ返った。

 

 車両に隠れる瞬間、松井ありさが小さく手を振った。

 「っんじゃっ」みたいな感じで。






君死にたまふことなかれ





            与謝野 晶子





ああ、弟よ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ。

末に生れし君なれば

親のなさけは勝りしも、

親は刄をにぎらせて

人を殺せと教へしや、

人を殺して死ねよとて

廿四までを育てしや。


堺の街のあきびとの

老舗を誇るあるじにて、

親の名を継ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ。

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家の習ひに無きことを。


君死にたまうことなかれ。

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても 何事ぞ、

君は知らじな あきびとの

家の習いに無きことを。


君死にたまうことなかれ。

すめらみことは、戦いに

おおみずからは出でまさね、

互みに人の血を流し、

獣の道に死ねよとは、

死ぬるを人の誉れとは、

おおみこころの深ければ

もとより如何で思されん。


ああ、弟よ、戦いに

君死にたまうことなかれ。

過ぎにし秋を父君に

おくれたまえる母君は、

嘆きのなかに、いたましく、

我子を召され、家を守り、

安しと聞ける大御世も

母の白髪は増さりゆく。


暖簾のかげに伏して泣く

あえかに若き新妻を

君忘るるや、思えるや。

十月も添わで別れたる

少女ごころを思いみよ。

この世ひとりの君ならで

ああまた誰を頼むべき。

君死にたまうことなかれ。







 電車の中で、ぼくはまた例の不思議な現象のことで頭がいっぱいなってしまった。

 例えば歩いていて、交差点にさしかかるタイミングで、右とか左の方から「愛」とか、「川」とか「LP]とかいった文字がデザインされている車両が通過するんだ。「愛」は「愛善運輸」とかで「川」なら「田川配送」、「PL」は「リキッドプロパン」だったり「POLICE」だったり。

 信号機でとまってたりするとき、そういった情報をになうトラックが近接するんだ。そのタイミング、ロケーションで。

 自動車だけじゃない、大きな鳥が、そのタイミングで前方の空を舞っていたり、飛行機雲が通過したり、虹がでたり、エンジェルズラダーが出現したり、だ。

 夜空に流星をみつけるんだ。

 たぶん、短歌の心象モードにはいっていると、つまりそれはカレーまん構文のモードだけど、軌道準位が別平面上に遷移して、同じモードのアトラクチャーとの遭遇頻度が大きくなるんだ。つまり、遷移によって、カレーまん密度が高くなるんだ。コヒーレント状態だ。

 これは、ソリトン現象にも通底する事象で、おもに人文学的文脈で語られるN公理を、もっと物理現象に結び付ける観察事実だ。






        手の影を鳥の影絵とよび鳥の影は鳥の影絵とはよばない






                   布野割歩「ヒント」






 これも、N公理をDブレインの銀河へいざなう実証の一つだろう。

 車窓からは、踏切の通過のタイミングで「親猫が子猫をくわえるという親子愛の意匠をもったトラック」が列車が通りすぎるのをまっているのがみえた。

 車窓からの桜には、花と若葉が混在していた。

 一首、詠ってみようか。『「花」と「若葉」の混在』。



   葉桜と言うには花とはんはんで地球は夏へ半分のとこ


                         らっこ三世


 MHK短歌の今月のテーマは「白」だったから、自由テーマに投稿した。





    子を連れて舗道をあるく手つなぎの加減をまねてハンドルをとる  




                          ゆきのしたまりあ「タコ公園時代」






 

 いとこの真柴兄ちゃんから中古のテナー・サックスを譲り受けた。マーシーこと真柴にいが、練習用にと一番最初に手に取ったクールな奴だ。

 ブルースハープの練習は、押し入れの中に半分からだをつっこんで正座のかっこうでやってたけど、テナー・サックスはうまくいかなかった。長くてでかいそれは押し入れの中のプレイには不向きなやつだ。




      じゃあ俺は愛がいらないポジションをまかされたっていうことですか





                 ぷくぷく「ほそいひなたを」




 

 というわけで、四月の最終週の金曜日、姉妹部長代行や他のメンバーには了解をもらって、放課後、テナー・サックスを部室にもちこんだ。


 「おっ、もってきたね」

 姉妹部長代行はまだ誰も来ていない部室で、自分で急須にお湯を注いでいるところだった。

 「一曲弾いてみてよ」

 「窓辺で空に向けて一曲弾いてみなよ」


 練習曲は「ウァット・ア・ワンダフル・ワールド」だった。中三の音楽祭でクラスの合唱に使った曲だ。夕実がピアノ、僕はソロ・トランペットをやった。そして歌唱用の日本語訳の詩も僕がやったんだ。


 グリーン グリーン バラのレッド

 それはそうなの 私たちなの

 だからわかるの ささやいてみる

 なんて素敵なワールド


 こんな感じだ。出だしは何度も押し入れで練習したので何とかなるだろう。楽譜のプリントを窓辺の丸机において


 『ファ ミ レ ド レ ミ ファ ソ ラ ソ ファ ミ レファ・ミ・レ・ド』


 と、やったんだ。

 うまくいった感じがしなくて、また出だしのとこを吹いた。


 『ファ ミ レ ド レ ミ ファ ソ ラ ソ ファ ミ レファ・ミ・レ・ド』


 隣の軽音部からは、ドラムとギターの音が聞こえてくる。かまいやしない。僕はもう一度同じとこを吹いた。


 『ファ ミ レ ド レ ミ ファ ソ ラ ソ ファ ミ レファ・ミ・レ・ド』

                  『 ミ レファ・ミ・レ・ド』


 一階の音楽室の、つまり合奏部のテラスに人影があらわれ、僕のプレイに加わった。

 ホルンを抱えた夕実が、うわめ使いで僕を見上げていた。

 僕は、「やはり来たか」と思って続きを吹いた。想定内の展開だ。


 『ソ・ラ・シ・ド・ミ・ファ・ソ・ ラ・シ ・ ド』

 『ソ・ラ・シ・ド・ミ・ファ・ソ・ ラ・シ ・ ド』


 そのころには軽音部のドラムとギターがセッションに加わっていた。


 即席のジャズ・セッションが終わると、パチパチとまばらな、二、三人ほどの拍手が起きた。


 そして、小笠原夕実は二曲目に入った。


 『ミ・ミ・ソ・ラ・ソ・ミ・レ・ド・レ・レ・ド・シ

    ラ・ソ・ミ・ファ・ソ・ラ・ソ・ミ・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ』


 『フライ・ミー・トウー・ザ・ムーン』だ。

 気づいた時には、ドラムもギターもパートを弾いていた。

 僕も、これもブルース・ハープでなら吹いていたから、負けじとバンドに加わる。


 『ミ・ラ・シ・ド・シ・ラ〜ラ・ファ・ミ・レ 

     ド・レ ミ〜レ・ファ・ミ・レ・ド シ・ド・ミ』


 そして、リピート。


 夕実はルートを主張している。僕はそれを尊重して軽音部のドラムをメインへといざなう。その時、女性の声が部室棟と北棟と、体育館で閉じられた中庭の空間に入ってきた。


 「イン アザー ワード」「アイ ラブ ユー」


 「きゃはは」という二人の女子の笑い声が聞こえてきた。夕実と、ボーカルに入った森城いずみだった。

 深い青のシャツ。黒いパンツ。そして腰に白のニットを巻いている。

 夕実は繰り返し「フライ―・ミー・トー・ザ・ムーン」を吹き出した。

 ドラムもギターも続けた。サックスの僕も続けた。

 そして、森城いずみのボーカル、

 

 「フィル・マイ・ハート・ウィズ・ソング」

 「アンド・レット・ミー・シング・フォーエヴァー・モア」


 体育館の全開の大扉には、松尾響子が体育館座りをして聞き入っているのが見えた。女バスの練習試合で相手チーム役にかりだされたのだ。


 終演。


 そして、「きゃはは」「きゃはは」という夕実と森城いずみの笑い声。

 また、二、三人の拍手が起こった。松尾響子も体育館座りで拍手している。


 ジャズ・セッションは和音の法則に縛られながら、プレイヤーのひとりひとりが、ぼっちとなり、またはチームとなり協調し、音の会話で一曲を成立させる世界だ。

 つまり、ジャズは「なもなき公理」のもとで成立いている。そう、「一台とN台の、国道の交互交通モデル」と同じだ。

 ソロパート。ハーモニーパート。そして和音法則は、フーリエ理論を介してソリトン理論を説明する。  

 タウ関数であらわされる双線形形式なんだ。

 そして星空を説明するDブレイン理論。

 協力して道を拓き、河に橋をかける。次世代のために校舎を建てる。これもジャムセッションだ。飽和した社会システムのなかで競争原理だけがクローズアップされるけど、社会の黎明期にはあきらかにセッションが存在する。社会は「わたしたち」と「それ以外のひとびと」の構図ってわけじゃない。社会が飽和していてセッションが見えなくなってるだけだ。

 「わたし」と「N人の人々」の自発的生存の希求という状態からくる協調作用。

 

 他者を自覚してしまい、つまり「わたし」と「わたし以外のひとびと」を知り、拒絶し、恥じらいをおぼえた時、アダムとイブはエデンの園を追われた。アダムと僕たち男の子、イブときみたち女の子。へえヘヘヘイ。

 僕たちは復楽園のために「何か」を見つけなければならないんだ。


 レット・イット・ビイ。

 「わたし」と「N人の人たち」の両立。




 「ゼイアー ライティング ソングズ オブ ラブ、バット ノット フォー ミー」

 森城いずみの鼻歌みたいな歌声。

 「夕実、これ、わかる」

 森城いずみの小さな声が聞こえてくる。夕実がホルンを持ち直して、何かの曲を弾き出した。

 僕にはその曲がわからなかった。


 森城いずみが歌い続ける。


 「ア ラキー スターズァバヴ、バッ ノッ フォー ミー」



 「『バット・ノット・フォー・ミー』ね」 

 姉妹部長代行が、緑茶を湯飲みですすりながら「やられた」という感じで言った。

 いつの間にか部室の長机の短辺を居場所と決め込んだ松井ありさが、うっとりといた顔つきで瞳をとじて、両の手でほおづえをつき聞き入っていた。

 軽音部のドラムが基調をとり、ギターが控えめにルートを抑えてプレイに加わる。

 松尾響子の姉さん座りへのポジション・チェンジ。



 アドリブ、

 インターバル、

 コードプログレッション、

 ソロ、

 グルーブ。

 セッション全体からあらわれる、みえないグルーブ、コヒーレンス。

 そして、プレイヤー達の「安定解の模索」。





     ぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく






                  佐佐木定綱「月を食う」






     月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい






                  井上法子「永遠でないほうの火」






     見上げたらすごい満月だったみたいにいま気づいてるわたしの答え






                  伊藤 紺「気がする朝」






     月齢はさまざまなるにいくたびも君をとおして人類を抱く






                大滝和子「人類のヴァイオリン」







 四月の終わりの夕闇が僕たちを包んでいた。

 残照と体育館の照明の乱反射が、もう表情もみえなくなった森城いずみの姿の、そのふちどりのとこだけに金色としてまとわりついていた。




文芸部新人勧誘号五月新緑号が、部室のドアに貼りだされた。



   スーパーの数えていたの烏賊の数  松井ありさ



   みなみ空雷みせたあの雲は                   松井ありさ


   

   あめんぼのどうしているのみずたまり              松井ありさ



   中腰の父をみていた夏の日のサイダー水を自販機で買う      松井ありさ



   本を読むお金になるの本を書くおかねになるの青い小鳥よ     姉妹もくじゅ



   服をきたままではいけない踝くるぶしの深さまでかなあの島と鳥  松尾響子



   めいいっぱい開いて閉じる自動ドアわたしはなにかをゆるしたのか ほたる



   心とは細胞ですか精製の黄身と白身が無性にほしい        水辺果実



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