3 散策
警官が帰った後、精神科の医師がやってきて、いくつか問診を行い、問診結果を見て、医師は唸った。
「うーん。記憶の混同でも起きているのかなぁ。君はどう思う?」
医師に意見を求められ、政人は戸惑う。それを調べるのがあなたの仕事では? と思ったが、これはチャンスだなと前向きにとらえた。
「かもしれません。だから、何か情報を得ることで、色々と思い出すかもしれないので、インターネットが使えるパソコンを貸してもらえませんか?」
「一階に共用のパソコンルームがあるよ。許可を出しておくから、それを使って」
「はい」
医師がすぐに対応してくれたので、政人はすぐにパソコンを利用することができた。そしてパソコンを使って様々な情報を集め、一つの結論を出した。
「これは平行世界って、やつかもな」
異世界というほど共通点がないわけではないが、完全に一致しているわけでもない。例えば生活スタイルはほとんど同じだし、地名なんかも元いたX市と同じだが、周辺の市町村を吸収し、しかも人口がかなり増加して、より大きな都市へと変化していている点が異なる。自分が平行世界に来たという事実は、正直馬鹿げている発想だと政人は思う。しかしどう考えても、この場所は自分が知るX市ではないので、平行世界と考えざるを得ないのだ。
「でも、どうして俺が平行世界に?」
ここに至るまでの経緯から推測する。自分を殴った何者かに拉致されたのだろうか。それとも、手足を拘束した四人の若者か。少女に出会ったあの公園は、すでに平行世界だったのだろうか。殺されたことで平行世界に来たことも考えられる。
「そもそも何で俺なんだ?」
政人は悩ましい顔つきで頬を撫でた。わからないことが多すぎる。しかし、公園で出会ったあの少女が何か鍵を握っていると思った。わざわざ街の説明をしていたからだ。
「あの少女を捜してみるか……」
かなり目立つ格好をしていたから、見つけやすそうだとは思った。しかし誰かに追われているようだったから、簡単に見つかる相手ではないのかもしれない。
「どうしたもんかねぇ……」
考えなければいけないのは、ここに来た理由だけではない。今後自分はどうしたいのか、これからどんな風に生活していけばいいのかについても考える必要がある。
しばらくパソコンの前で悩んでいた政人であったが、考えるのが面倒になって、パソコンを閉じ、院内をぶらぶらした。
歩きながら、政人は静かな場所だと思った。もちろん病院だから、静かにしなければいけないのだが、それでも、患者同士の会話やお見舞いに来た人との会話などがあったりするものだ。しかしこの病院では、そういった人たちの姿は少なく、ナースステーションでも、看護師たちが黙々と作業していた。
政人は、少女の話を思い出す。この街の住人は、他人に対して無関心なのだ。なら、一体誰が、警察に電話してくれたのだろう? 気になったので、今度、警察の人に話を聞こうと思った。
そしてその機会は翌日訪れた。松木戸が再びやってきたのだ。
「どうですか? 何か思い出しましたか?」
「いえ、何も」
松木戸は、政人のことを記憶喪失だと思っているようだった。
「そうですか」
「刑事さんこそ、俺について、何かわかりましたか?」
「ええ」松木戸は眉間にしわを作りながら言った。「昨日、あなたに言われた高校に問い合わせてみたところ、鬼島政人という方はいらっしゃいませんでした」
「……そうですか」
しかしそれは予想できたことだったので、政人は特に驚かなかった。
「それに、これも非常に言いにくいことなのですが、鬼島政人という方は、そもそもこの国に、存在しませんでした」
「なるほど」
「あなたは一体何者なのですか?」
「……刑事さんは平行世界って信じますか?」
「どうしたんですか? 突然」
「もしかしたら自分は、平行世界から来た人間なんじゃないかと思って」
政人は冗談のつもりで言った。昨日の警部なら大きなため息を吐くだろう。しかし松木戸の目つきが、政人の言葉を探ろうとする鋭いものに変わった。
「それは面白い話ですね」
松木戸の草むらの中から獲物を狙う肉食獣めいた鋭さに政人は戸惑う。冗談が通じない生真面目な反応、という感じにも見えない。形容しがたい危機感を抱き、政人は笑ってごまかした。
「なんてね。冗談ですよ?」
「本当に冗談ですか?」
松木戸の追及するような視線から逃れるため、政人は窓の方へ目を向けた。松木戸の態度も気になるが、まずはこの状況を理解することを優先したい。
「お願いがあるんですけど」
「何ですか?」
「外に出たいんですけど、いいですか?」
「わかりました。聞いてみましょう」
仕事の早い松木戸によって、その日の午後、外出の許可が出た。松木戸と看護師が同伴することになったが。
松木戸の運転する車の後部座席に乗って、街を眺める。やはり街並みが大きく変わっていた。三万人にも満たなかった街の人口が、ネットの情報によると、七十万人以上に増えている。だから家屋以外の建物も多く、路面電車も走っていた。
「どうです? 何か感じますか?」と松木戸。
「とくに何も」
「そうですか……」
「昨日来ていた男の警部さんはどうしたんですか?」
「彼なら、他の事件について捜査しています」
「昨日は、ずいぶんとイラついているように見えましたが」
「それも仕方がないことです。色々、事件を抱えていますから」
「事件? 殺人事件とかですか?」
「そうですね。殺人事件も多いです。今も、連続婦女暴行殺人事件の犯人を追っていますし」
この街では毎日誰かが死んでいる。少女の言葉を思い出した。
「物騒なんですね」
「ええ、まぁ」
「松木戸さんは、昨日の警部の仕事を手伝わなくてもいいんですか?」
「チームで動いているので、個人でその日の仕事が変わるんですよ」
「なるほど。それで今日は、公園に倒れていた不審者の監視が仕事ってわけですね?」
バックミラーに、苦笑する松木戸の口元が映った。
「そう言えば、倒れていた俺を通報してくれた方とお会いすることってできますか? お礼を言いたいので」
「それが、匿名の電話だったんですよ」
「匿名ですか?」
「はい。公衆電話から電話が掛かって来て、鬼島さんが倒れていることを告げると、切れてしまったそうです」
「へぇ」
わざわざ匿名で電話をかけたのはどうしてだろう? 調べれば調べるほど、謎が深まる現状に、政人はため息を吐いた。横に座る看護師を一瞥すると、看護師はドアに寄りかかり、口を開けて眠っていた。
「これからどうしますか?」
「駅前に連れて行ってもらってもいいですか?」
「わかりました」
駅の駐車場に車を停めてもらい、政人は車から降りた。病衣ではなく、ジーパンに厚手のパーカーという出で立ちだったので、目立つことはない。
政人はX駅を見た。ぼろぼろだった建物は、駅ビルが隣接するほど立派になっていて、周りには高い建物も多かった。
「雨が降りそうですね」
看護師が空を見上げて言った。確かに、空は厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。
「駅の方に行ってもいいですか?」
「はい。構いません」
「一人で行動しちゃ駄目ですか?」
「駄目です」
松木戸は即答した。
「……そうですか」
三人で駅の構内へ移動する。移動中、政人は二人を撒く方法について考えた。松木戸の視線が気になって、考え事に集中できない。監視されているような、そんな鋭い視線だ。一人で考えごとをした方が捗るので、二人が邪魔だった。それに、公園で会った少女も、できれば一人で探したい。
駅ビルの前を過ぎる際、政人は駅ビルの地図が目に入った。
これなら、行けるかもしれない。政人は頭の中に逃走経路を描いた。
「駅ビルを見てもいいですか?」
「どうぞ」
政人はテナントの商品を眺めながら、混み具合を確認する。平日の昼間ということで、そこまで人の数は多くない。人混みに紛れ込んで逃げるのは難しそうだ。
駅ビルで撒くのを諦め、駅に戻る。歩道橋の上から駅前の様子を眺めた。駅前にはスクランブル式の交差点があった。さらに、近くの広場には時計のオブジェクトがあって、楽器を持った妖精たちが、時間になると、愉快な音楽を鳴らす雰囲気がある。
これは使えるかもしれない。政人は二人を促し、時計の前に移動した。
「この時計って鳴るんですか?」
「ええ。一時間ごとに鳴るわ。そろそろ三時の鐘が鳴るね」
「へぇ」
あと三分ほどで鐘が鳴る。政人は交差点の歩行者用信号を一瞥し、タイミングを計る。政人の狙いは、青信号が点滅するタイミングで、交差点の向こう側に興味を持ったフリをして駆け出すことだ。そしてその際、音楽が鳴れば、松木戸の制止の声も聞こえなかったフリができる。そうすれば、松木戸の声が聞こえなかったし、渡りきった後、迷子になったという言い訳もできる。
政人は時計に興味があるフリをして、時計のそばを回り、位置を調節する。鐘が鳴るまで残り十秒。そのとき、信号が青に変わった。政人は振り返って、信号の奥にある建物へ目を向けた。様々なショップが入っているビルだった。目的は信号だが、興味は奥のビルにあるように見せる。
そして、時計の音楽が鳴った。と同時に、信号も点滅する。
「あ、あれは!」
政人は大声を上げ、信号奥のビルに向かってダッシュする。松木戸は、音楽に気を取られ、一瞬反応が遅れた。政人は走る速度を上げる。時計から横断歩道までの距離はおよそ10メートル。政人が横断歩道を渡り始めたところで、信号が赤に変わる。政人はさらに速度を上げ、車道用の信号が青信号になった直後、横断歩道を渡り切った。
後ろで松木戸の声が聞こえるが、聞こえないふりをして、建物の中に入る。そして入口の地図を一瞥し、駅側に面していない出入口まで急いだ。反対側の出入口から外に出て、振り返る。追ってくる松木戸の姿はない。撒いたようだ。しかし追いかけてくることが考えられるので、政人は足早に、その場から離れた。




