2 病院
政人はハッとして目を覚ます。視線の先にあるのは見知らぬ天井だった。政人は自分の状況を理解するのに時間が掛かった。そしてゆっくりと理解する。自分は今、病院のベッドの上に寝ている。
政人は起き上がって、辺りを確認する。一人部屋に寝ていたらしく、他に患者の姿はない。ベッドサイドのモニタには、政人の心拍数が映し出されていた。専門家ではないが、とくに異常があるようには見えなかった。そして腕からチューブが伸びていて、点滴を受けていた。
「どうしてここに……」
政人は自分が刺されたことを思い出し、慌てて首元を触った。ナイフで刺されたような傷は無い。病衣をめくって腹を確かめると、刺された傷跡も無い。
「どうなっているんだ?」
自分は間違いなく刺された。しかしそんな傷跡がない状況を、政人は疑問に思った。
そのとき、病室のドアが開いて、女の看護師が現れた。
「あら、目覚めたのね」看護師は柔和な笑みを浮かべ、言った。「今、先生を呼んでくるわ」
そして、40代くらいの男の医師が来て、診察を受けながら、話を聞いた。
医師曰く、政人は公園で倒れていたらしい。通りかかった通行人が、政人を見つけ、警察に連絡したらしい。
「俺は刺されてましたか?」
「いや、刺されていなかったよ。でも、高温でうなされていたな。刺されたの?」
「……そんな風に思ったんですけどね」
「ふぅん。まぁ、四日間も眠っていたし、夢でも見たんじゃないの?」
「かもしれませんね」
「そうだ。あとで、警察の人が、君から色々と話を聞きたいらしい。あと、君の保護者の連絡先と君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「はい」
政人は自分の名前と親の連絡先をメモ帳に書き、医師に渡した。医師は後ろに控えていた看護師にメモを渡し、「連絡しておいて」と言った。
「それじゃあ、また後で、警察の人と来るから」
「はい」
医師と看護師が去って、政人は暇になった。テレビがあったから、電源を付ける。お昼のニュース番組が流れていた。しかしニュース番組を見て、政人は違和感を覚えた。
ドアのノックがあって、政人は返事をする。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、先ほどの看護師だった。看護師は難しい顔つきで、メモを眺めていた。
「鬼島さん。これ間違っていませんか?」
「そんなことはないですけど」
「でも、ここに電話したら、そんな子はいないと言われましたけど」
政人は眉をひそめる。あの親がそんなことを言うとは考えにくい。
「それに、そもそも、鬼島という名字ではありませんでした」
「ちょっと見せください」
政人はメモを受け取って確認する。電話番号に間違いはない。だからこの電話番号なら必ずあの親に繋がるはずだ。
「あの、俺のスマホとか財布とかってあります?」
「それがあったら、もっと早く、親御さんに連絡をとっているわ」
看護師のイラッとしたもの言いに、政人もイラッとするが、怒りを抑える。
「わかりました。なら、こっちに連絡してください」
さっき渡したのは、母親の電話番号だった。だから今度は、父親の電話番号と実家の電話番号、さらに実家の住所を書いて渡した。
「これでお願いします」
「はい」
「あと、すみません。聞きたいことがあるんですけど」
「何?」
「この病院の名前を教えてもらってもいいですか?」
「X中央病院よ」
「X市のX中央病院ですか?」
「そうだけど」
「……ありがとうございます」
看護師が退出してから、政人はベッドを下りて、窓へと向かった。ブラインドを開け、目を疑った。窓の外に多くの建物があって、遠方にビルも見えたからだ。政人の知るX市は、建物よりも自然の方が多い田舎町だった。つまり、この場所は自分が知っているX市ではないのだ。
「……どうなっているんだ?」
呆然とする政人。頭の中で、考えが糸のように絡まっている。
再びドアをノックする音。振り返ると同時にドアが開いて、悩ましい顔つきの医師とスーツを着た二人組、そして、政人を訝しむ看護師の姿があった。
面倒なことになったな。政人はこの状況を苦々しく思いながら、ベッドに戻った。
二人組は、ベテラン風の初老の男とキャリアウーマンめいた若い女の組み合わせだった。ベテラン風の男が政人の前に進み出て、警察手帳を見せた。
「警部の波風です。いやぁ、鬼島さん。中々、面倒なことになったと思いませんか?」
「……そうですね」
「その様子だと、何が面倒なのかわかっているようですね。なら、正直に話しましょうや。それがお互いのためですよ?」
「話したいのは山々なんですが、俺自身、この状況をよく理解していないので、話すことはできません」
「そんなこと言わないでさぁ」
仕事を増やすなよ、そんな倦怠感を波風から感じた。
「あの、看護師さん。その連絡先はどちらも間違っていましたか?」
「ああ、そうだよ」と、波風が政人の視界を遮るように立った。「お父さんの方は、高校生の連絡先だったし、鬼島さんが書いた住所には、今、立派なビルが建っている。いたずらは止めましょうや」
政人は波風を無視して、もう一人の女に目を向けた。
「あなたは?」
「紹介が遅れました。松木戸と申します」
松木戸は警察手帳を提示し、爽やかな笑みを浮かべた。
「ここってX県のX市ですか?」
「はい、そうです。何か疑問でも?」
「……いえ、何でもないです」
「鬼島さぁん」波風は苛立っている。「そういうのはいいですから。あなたが正直になれば、すぐに終わるんですよ?」
「おそらく混乱しているんじゃないですか。長い間、眠っていたそうですし。ねぇ、先生?」
「え、ええ。その可能性はあります。ここは一度、時間を置いた方がいいかもしれません」
ちっ、と波風はあからさまな舌打ちをする。こいつ、と思ったが、政人は堪える。
「それではまた後日、お邪魔させていただきます」と松木戸。
「ちょっと待ってください」
「何でしょう?」
「俺はX北高校の二年生です。そこで調べてみてください」
「わかりました。ご協力ありがとうございます」
松木戸は、ふて腐れた顔の波風を連れて、病室を後にした。
残された三人。医師は煩わしそうに頬を掻いて言った。
「これは……俺の仕事じゃねぇよな」




