罰の終わる日
「これで、今日から外出の許可は必要ありません」
管理施設の職員がそう告げると、父はすぐには立ち上がらなかった。
机の上には、これまで何度も見てきた書類が置かれている。生活場所、外出できる時間、面会の決まり。処分を受けている間、父と母が守ってきたものだ。
今日は、その最後の日だった。
職員は一枚ずつ確認しながら説明を続けた。
救済資金の返還は完了していること。父と母が失った役職は戻らないこと。処分の記録も消えないこと。そして、定められていた行動の制限は今日をもって終了すること。
「今夜からは、ご自宅で生活して構いません。仕事についても、今後の制限に触れない範囲で自由に探せます」
母が膝の上で手を握る。
「明日の朝は?」
職員が少しだけ不思議そうな顔をした。
「はい?」
「ここへ、何時に戻れば」
途中まで言って、母自身が気づいたらしい。
職員は責めることも笑うこともなく、穏やかに答えた。
「戻る必要はありません」
母は黙った。父も机の上の書類を見る。
数か月続いた生活だった。毎日、どこへ行くにも決まりがあり、帰る時刻も決まっていた。何をするにも一度確認することが身体へ染みついているらしい。
父が尋ねる。
「来週の報告書は?」
「ありません」
「月末の面談は?」
「今日で最後です」
職員はそこで書類を閉じた。
「処分は終了しました」
簡単な言葉だった。それなのに、父も母もすぐには返事をしなかった。
セヴェランは二人の少し後ろに座り、その様子を見ていた。
処分が始まった日もここにいた。面会にも何度も来た。本を持ってきた。母へ布や糸を届けた。寒くなってからは上着も持ってきた。父が一冊読むたびに次の本を選び、母には家で起きたどうでもいい出来事まで話した。
その時間が、今日で終わる。
正確には、面会が終わる。
家族であることは、処分の前から何も終わっていない。
「確認したいことはありますか」
職員に聞かれ、父はしばらく考えた末に首を横に振った。
「ありません」
「では、こちらへ署名を」
父と母が順に名前を書く。職員が受け取り、最後に印を押した。
それだけだった。
鐘が鳴ることもない。誰かが拍手することもない。ただ、決められていた期間が終わり、二人に掛けられていた制限がなくなった。
施設を出ると、昼前の空はよく晴れていた。
父は入口を出て数歩歩いたところで立ち止まり、振り返った。
「何です?」
セヴェランが尋ねる。
「いや。本当に、そのまま帰っていいんだなと思って」
「そう言われました」
「分かってる」
「では?」
「変な感じなんだよ」
母も隣で頷く。
「今までなら、この時間に外へ出るだけでも理由を書いたものね」
「今日は要らない」
父が言う。
「はい」
セヴェランが答えると、父は少し歩き、また止まった。
「本当に?」
「父さん」
「分かってるって」
母が吹き出した。久しぶりに聞く、自然な笑い声だった。
三人で家へ向かう。
通りは以前と同じだった。パン屋の前にはいつもの行列があり、角の花屋では店主が鉢植えを並べている。誰も、父と母が今日処分を終えたことを祝うために待ってはいない。
すれ違う人の中には、二人を知っている者もいた。一人は父へ軽く会釈した。父も会釈を返した。別の男は一度こちらを見たあと、視線を逸らして通り過ぎた。
母の歩幅が少し狭くなる。
セヴェランは何も言わなかった。
誰かに以前と同じように接することを強制することはできない。父と母が処分を終えたからといって、周囲の人間の記憶まで消えるわけではない。
少し先で、近所の老婦人が箒を持って家の前へ出てきた。
三人に気づき、目を丸くする。
「帰ってきたの?」
母が緊張した顔で頷いた。
「今日から」
老婦人は数秒だけ黙り、それから言った。
「そう。おかえり」
母の目が少し潤んだ。
「……ただいま」
それだけだった。
老婦人は「またね」と言って掃除へ戻る。
父が小さく息を吐いた。
「助かるな、ああいうの」
「何がです?」
「普通に言ってくれることが」
セヴェランは少し考えて頷いた。
家へ着く。
母が玄関の前で止まった。
鍵はセヴェランが持っている。処分中も家はそのまま残していた。掃除もしていたし、二人の物もほとんど動かしていない。
「開けますね」
鍵を差し込もうとすると、母が呼び止めた。
「セヴェラン」
「はい」
「私たち、本当にここへ戻っていいのよね」
父が何か言おうとして、やめた。
セヴェランは母を見る。
「ここは父さんと母さんの家でもあります」
「そうじゃなくて」
母は自分でも何を聞きたいのか分からないようだった。
「私たち、あんなことをして」
言葉が止まる。
「処分は終わりました」
セヴェランが答える。
「でも、したことは残ってる」
「はい」
「仕事も戻らない」
「はい」
「人にどう思われるかも分からない」
「そうですね」
母の顔が少し曇る。
セヴェランは続けた。
「それでも、処分は終わりました」
同じ言葉を繰り返す。
今度は、少し意味を足した。
「終わったのに、まだ帰ってはいけないなら、何のために終わる日を決めたんですか」
母が黙った。
父が小さく笑う。
「お前らしいな」
「変ですか?」
「いや」
父は首を横に振った。
「たぶん、それでいい」
セヴェランは鍵を回した。
扉を開ける。
「どうぞ」
母が先に入った。玄関で靴を脱ぎ、しばらく動かない。
父が後ろから入る。
「ただいま」
父が言った。
家の中は静かだった。
母が振り返り、今度は少し笑う。
「ただいま」
セヴェランは最後に入って扉を閉めた。
「おかえりなさい」
その一言で、母が泣いた。
激しくではない。目元を押さえながら、声を出さずに泣いた。
父はどうしていいか分からない顔をした末、母の肩へ手を置いた。セヴェランも少し迷ったが、二人の近くへ立つ。
数か月前、母はここで自分へ「嫌いになった?」と聞いた。父も、自分たちの教えが嘘になることを恐れていた。
今は三人とも、同じ家に戻っている。
何もなかった頃へ戻ったわけではない。
けれど、それでいい。
昼食は、母が作ると言い張った。
「今日は私がやります」
「帰ったばかりですよ」
「だからよ」
「休んだ方が」
「何か作りたいの」
その理由を聞いて、セヴェランは止めなかった。
父は台所を覗き、
「しょっぱくするなよ」
と言って、すぐ追い出された。
セヴェランは笑いながら食卓を整える。久しぶりに三人分の皿を並べた。
母が作ったのは簡単な野菜の煮込みだった。味は少し薄かった。
父が一口食べる。
母が睨む。
「何」
「何も言ってない」
「顔が言ってる」
「今日は薄いなと思っただけだ」
「しょっぱいって言われたから減らしたのよ」
「減らしすぎだろ」
「あなたが文句言うからでしょう」
セヴェランは自分の皿を食べる。
「塩を足せばいいと思います」
母がこちらを見る。
「セヴェランまで?」
「薄いものは薄いです」
父が笑った。
母も呆れながら笑う。
その笑い声を聞いて、セヴェランは少し安心した。
食事が終わる頃、父が急に真面目な顔になった。
「明日から、仕事を探さないとな」
「すぐですか?」
「ずっと家にいるわけにもいかないだろ」
救済所には戻れない。少なくとも、以前と同じように資金を扱う立場へ戻ることはない。
母も同じだった。
「何ができるかしらね」
「いろいろあるでしょう」
セヴェランが言うと、父は苦笑した。
「簡単に言うな」
「簡単とは言っていません」
「前の仕事は長かったからな」
父は自分の手を見る。
「今さら別のことができるか、少し怖い」
「怖いままで探せばいいと思います」
父がこちらを見る。
「それ、懺悔室でも言ってるのか?」
「似たことは」
「便利だな」
「何がです?」
「息子が神父だと、家で説教が無料だ」
母が笑う。
セヴェランは少し眉を寄せた。
「説教ではありません」
「はいはい」
以前なら、この会話の途中で救済所の話が出るだけでも空気が重くなった。
今も完全に平気ではない。
父も母も一瞬表情を曇らせる。
それでも会話は続いた。
「私」
母が手元の器を見ながら言った。
「もう、人を助ける仕事はしない方がいいのかしら」
セヴェランはすぐに答えなかった。
「どうしてです?」
「また、自分の近い人を優先するかもしれないから」
「その可能性はあると思います」
母の顔が少し沈む。
「でも、それだけで一生やめるべきかは分かりません」
「また間違えたら?」
「一人で決めない方法を作ればいいのでは」
母が顔を上げる。
「お金を扱う役職に戻れるかは別です。信頼もすぐには戻らないと思います。でも、誰かを助けたいと思うことまで禁止されたわけではありません」
「……そうね」
「それに」
セヴェランは少し考える。
「父さんと母さんがしたことの中で、助けたいと思ったこと自体は、処分の理由ではありません」
父が静かに頷いた。
「そうだったな」
間違ったのは、誰をどう助けるかを、自分たちだけで決めたこと。公の資金を勝手に使ったこと。そして、それを隠したこと。
困った人を見て心が動いたことまで、罪に変える必要はない。
母が小さく息を吐いた。
「少しずつ考えるわ」
「はい」
午後、父は久しぶりに自分の本棚を全部眺めた。
処分中にセヴェランが持っていった本を戻しながら、
「順番が違う」
と文句を言う。
「場所が分からなかったので」
「この著者はこっちだ」
「内容で分けた方が分かりやすいです」
「俺の本棚だぞ」
「では父さんが直してください」
「直してる」
そんなやり取りをしながら、父は楽しそうだった。
母は寝室の窓を開け、長く閉めていた箱から服を出している。
生活が戻ってくる。
以前とまったく同じではない。
父は明日、救済所へ行かない。母も仕事着を用意しない。
それでも朝は来る。
食事をする。仕事を探す。洗濯をする。本を読む。誰かと話す。笑うこともある。
夕方。
母が買い物へ行こうとして、玄関で立ち止まった。
「一人で行っていいのよね」
父が笑う。
「また聞いてるぞ」
「だって」
母は少し恥ずかしそうにする。
セヴェランは上着を取った。
「僕も行きます」
「一人で行けないから?」
「違います。僕も買うものがあります」
「何?」
「紙です」
父が居間から言う。
「帳面だろ」
「はい」
「また反省するのか」
「父さんの本棚を勝手に並べ替えたことは書きません」
「書け」
母が笑う。
二人で外へ出た。
通りを歩きながら、母は周囲を少し気にしていた。誰かの視線に気づけば表情が固くなる。それでも引き返さなかった。
市場で野菜を選び、店主へ代金を払う。
それだけのことに、母は少し緊張しているようだった。
帰り道。
「普通に買い物していいのね」
母が呟く。
セヴェランは横を見る。
「はい」
「何でも、いいの?」
「犯罪でなければ」
母が吹き出した。
「もう少し優しい言い方できない?」
「例えば?」
「『好きなもの買っていいよ』とか」
「家計の範囲なら」
「やっぱり駄目ね」
二人で笑う。
家の前まで戻った時、母が足を止めた。
「セヴェラン」
「はい」
「処分が終わったからって、私がしたことを忘れる必要はないのよね」
「はい」
「でも、忘れないために、ずっと苦しんでいる必要も?」
セヴェランは少し考えた。
「ないと思います」
母はしばらく黙った。
「そう」
それだけ言って、家へ入った。
その夜、両親が眠ったあと、セヴェランは自省録を開いた。
今日のことを書く。
『父と母の処分が終わった。』
次の一文は少し迷った。
『罰は、終わるためにある。』
書いて、読み返す。
罰が必要ないという意味ではない。必要な罰から逃げてもいけない。だが、一度終わりを定めたなら、そのあとも同じ行為を理由に罰し続けることは違う。
セヴェランは続けた。
『終わった罰を、別の名前で続けない。』
仕事を失ったことは残る。信頼を取り戻すには時間が掛かる。周囲が以前と同じ気持ちになる義務もない。
それらは、処分の延長として誰かが追加する罰とは違う。
父と母自身が、毎日自分を罰し続けることも。
セヴェランは最後にもう一行書いた。
『人は、責任を果たしたあとにも生きる。』
筆を置く。
隣の部屋から物音がした。
少しして、父の声がする。
「セヴェラン、まだ起きてるか?」
「起きています」
「水、どこだ?」
数か月いなかっただけで、置き場所を忘れたらしい。
セヴェランは思わず笑った。
「台所の棚です。前と同じ場所です」
「ああ、そうだった」
足音が遠ざかる。
セヴェランは帳面を閉じた。
前と同じ場所にあるものもある。
もう戻らないものもある。
その両方を抱えたまま、人は次の日へ行く。
罰が終わるというのは、過去が消えることではない。
その過去だけで、これから先のすべてを決めないということだった。




