それと、愛していること
処分が決まったのは、それから十日ほど後だった。
父と母は救済所での役職を失った。
不正に動かした資金は全額を返還する。
家から先に出していた分とは別に、救済所から動かした分について責任を負うことになった。
さらに、承認を得ずに資金を動かしたことだけではなく、発覚を避けるため帳簿と資料へ手を入れたことも処分の対象になった。
二人とも一定期間、律衡院の管理下に置かれる。
完全に外との連絡を断たれるわけではない。決められた場所で生活し、許可なく外出することはできない。仕事も離れ、面会にも決まりがある。
セヴェランは処分の内容を最後まで聞いた。
軽いとは思わなかった。
重すぎるとも言わなかった。
同じ行為をした別の職員について過去にどう判断されてきたかも確認され、両親が困窮した親族を救おうとした事情、自分たちの金を先に出していたこと、最終的に事実を認めて資料を提出したことも考慮された。
一方で、隠蔽を続けようとしたことも消えなかった。
自分が求めた通りだった。
両親だから軽くもされず、重くもされなかった。
だから、嬉しいはずはなかった。
処分が告げられた部屋を出たあと、母はしばらく歩けなかった。
廊下の椅子へ座り、両手で顔を覆っていた。父はその隣に立っていたが、何を言えばいいのか分からないようだった。
セヴェランも少し離れた場所に立っていた。
「セヴェラン」
父が呼んだ。
「はい」
「お前はもう帰れ」
「でも」
「今日は」
父は一度言葉を探した。
「俺たちだけで話したい」
セヴェランは母を見る。
母は顔を上げず、小さく頷いた。
「分かりました」
それ以上残らなかった。
二人の処分について、自分が何か言う場面ではない。
「必要なものがあったら教えてください」
父が少しだけ笑った。
「まだそういうこと言うのか」
「必要でしょう」
「まあな」
「では」
セヴェランは頭を下げた。
母から返事はなかった。
それでも、そのまま帰った。
家へ戻ると、当然だが誰もいなかった。
扉を開けて「ただいま」と言いそうになり、途中で止まる。
台所には朝使った器が伏せてある。父が読みかけていた新聞も、いつもの椅子の横へ畳まれていた。母が縫いかけていた布も籠の中にある。
三人で暮らしていた家だ。
今日からしばらく、一人になる。
その事実は、処分を聞いた時よりも家へ帰ってきた時の方が重かった。
夕食を作る気にはなれず、残っていたパンと冷たいスープで済ませた。
父なら「温めろ」と言う。
母なら実際に鍋へ戻す。
そんなことを考えながら食べると、少し腹が立った。
誰に対してかは分からなかった。
父と母かもしれない。
自分かもしれない。
起きたこと全部かもしれない。
食事を終えると、セヴェランは食器を洗った。
母ならどこへ戻すだろうと考える必要もない。何年も暮らした家だから、身体が覚えている。
その夜、自省録を開いたが、何も書かなかった。
処分は決まった。
自分が望んだ通り、公平に量られた。
それでも悲しい。
それ以上に、今夜書くことはなかった。
翌日からは普通に仕事へ行った。
懺悔室に入り、人の話を聞く。
妻と喧嘩した男。
仕事で嘘をついてしまった少年。
亡くなった友人へまだ腹を立てていることを悔やむ老人。
誰もセヴェランの家の事情を知らない。
知る必要もない。
目の前の人が話している間、自分のことを持ち込まないようにした。
完全に忘れることはできなかったが、それでも話は聞けた。
三日後。
面会の許可が出た。
セヴェランは仕事帰りに市場へ寄った。
父へ頼まれていた本を二冊。
母には針と糸。それから、いつも使っていた手触りの柔らかい布を少し。
食べ物は規則で持ち込めるものが限られていたため、確認してから焼き菓子を一袋買った。
三人分。
買ったあとで、自分の分は必要なかったかもしれないと思った。
でも、まあいい。
面会場所は、律衡院の管理施設の一室だった。
広くも狭くもない。机と椅子があり、壁には時計と聖印が掛かっている。
職員へ荷物を確認してもらい、しばらく待つ。
扉が開いた。
父と母が入ってきた。
数日しか経っていない。
それなのに、少し痩せたように見えた。
「……来たのか」
父の第一声だった。
セヴェランは眉を寄せる。
「面会の許可を取ったので」
「いや、それは見れば分かる」
「では?」
父は答えず、椅子へ座った。
母はまだ立っていた。
セヴェランを見る。
何かを確かめるように。
「母さん?」
「来ないと思ってた」
その言葉に、セヴェランは一瞬意味が分からなかった。
「どうしてです?」
母が少し困った顔をする。
「どうしてって……」
父が横から言った。
「お前、俺たちのことを証言しただろ」
「はい」
「処分も受けた」
「はい」
「それで」
父も、その先を言いづらそうにしている。
セヴェランは二人を見る。
ようやく意味が分かった。
「だから、会いに来ないと思ったんですか」
母が小さく頷く。
「少し」
「嫌われても仕方ないと思ってた」
父も付け加えた。
セヴェランは、持ってきた袋を机へ置いた。
少し考える。
二人がなぜそう思ったかは理解できる。
自分は証言した。
その証言も処分へ影響した。
父と母が一番隠したかったことを、自分は調査側へ渡した。
だから。
「それと」
セヴェランは母を見る。
「僕が父さんと母さんを愛していることに、何の関係がありますか」
二人とも黙った。
母の目が大きくなる。
父はセヴェランを見たまま動かない。
「いや」
父が先に口を開いた。
「関係あるだろ」
「どこがです?」
「お前、本気で聞いてるのか?」
「はい」
父は額へ手を当てた。
「お前は時々、ものすごく難しいことを言うくせに、こういうところだけ分からないな」
「だから聞いています」
母が小さく笑った。
目に涙が浮かんでいる。
「普通はね」
「はい」
「自分を困らせた人に、腹を立てたりするの」
「腹は立っています」
母の笑みが止まる。
「立ってるの?」
「はい」
父にも視線を移す。
「かなり」
父が少し怯んだ。
「そうか」
「帳簿を書き換えたことにも、僕に黙っていてほしいと頼んだことにも、まだ腹は立っています」
「……はい」
母がなぜか丁寧に返事をした。
「悲しいですし、しばらく忘れないと思います」
父が苦笑する。
「そこまで言うか」
「聞かれたので」
「聞いたの母さんだろ」
「あなたも一緒よ」
少しだけ、いつもの会話になる。
セヴェランは続けた。
「でも、それと愛していることは別です」
母の目から涙が落ちた。
「別なの?」
「僕はそう思います」
「私たちが、あんなことしても?」
「はい」
「あなたにまで黙っていてって頼んでも?」
「はい」
母は何度も涙を拭った。
「簡単ね」
「簡単ではありません」
セヴェランはすぐに否定した。
「ここへ来るまで、少し緊張しました」
父が意外そうに見る。
「お前が?」
「はい。二人が僕を嫌っているかもしれないと思ったので」
今度は父が呆れた顔をした。
「それこそ何でだよ」
セヴェランは黙る。
父も黙る。
数秒後。
父が自分で気づいた。
「ああ」
母が泣きながら笑う。
「同じじゃない」
「そうですね」
セヴェランも少し笑った。
父は椅子へ深く座り直した。
「俺も、お前が話した時は腹が立ったよ」
「はい」
「やめてほしかった。今でも、あの時だけ戻せるなら、黙っていてくれって思うかもしれない」
「はい」
「でも」
父は少し照れたように視線を逸らす。
「お前を嫌いになるのとは違う」
セヴェランは頷いた。
「僕もです」
母が二人を見る。
「何なの、この親子」
「母さんもでしょう」
「私はもっと素直よ」
父がすぐに言った。
「どこが」
「そこは今言うところじゃないでしょう」
三人で笑った。
ほんの短い時間だった。
それでも、セヴェランは久しぶりに普通に息ができた気がした。
「持ってきたものがあります」
袋を開く。
父へ本を渡す。
「頼まれていたものです」
父の顔が明るくなった。
「おお、これ」
「もう一冊は、家にあったものから選びました」
「何でこれなんだ」
「長いので、暇つぶしになるかと」
「面白さじゃなく長さで選んだのか?」
「父さん、前に途中まで読んでいましたよね」
「覚えてたのか」
「家に置いてありましたから」
母には針と糸、布。
母は受け取って、指で布地を確かめた。
「これ、いつものお店?」
「はい」
「分かったの?」
「何度も一緒に行ったので」
「ちゃんと見てたのね」
「見ています」
最後に焼き菓子を出す。
父が目を輝かせる。
「持ち込めるのか」
「確認しました」
「さすが」
「三つあります」
「お前も食うの?」
「そのつもりです」
三人で一つずつ取る。
父が一口食べて、すぐに言った。
「ちょっと固いな」
セヴェランは自分の分を噛む。
「そうですね」
母が呆れた顔をする。
「せっかく買ってきてくれたのに」
「正直な感想だよ」
「では、次は別の店にします」
父が止まる。
「次?」
「次の面会です」
その一言で、空気が変わった。
母がセヴェランを見る。
「また来るの?」
「来てはいけませんか」
「いいえ」
母は急いで首を振る。
「来て」
今度は迷いがなかった。
「お願いします」
父も言う。
「本も替えてくれ」
「まだ読んでいないでしょう」
「次までに読む」
「では、読んだか確認します」
「面会ってそういう試験だったか?」
「今決まりました」
父が笑う。
面会時間は長くなかった。
職員から残り時間を告げられると、母は少し寂しそうな顔をした。
帰る前に、セヴェランは今後必要なものを聞いた。
衣服。
筆記具。
父は別の本。
母は家にある上着を一枚。
「ほかには?」
「家は大丈夫?」
母が尋ねる。
「大丈夫です」
「ちゃんと食べてる?」
「食べています」
父が疑う。
「冷たいスープとかで済ませてないか」
セヴェランは一瞬黙った。
父が目を細める。
「やったな」
「一日だけです」
「温めろ」
「はい」
母が笑う。
「洗濯は?」
「できます」
「本当に?」
「二人は僕を何歳だと思っていますか」
「子供」
父と母の声が重なった。
セヴェランは少しだけ不満だったが、今は訂正しなかった。
職員が扉を開ける。
「時間です」
三人とも立ち上がった。
母が手を伸ばしかける。
止まる。
「触っても?」
職員へ尋ねると、短い接触なら構わないと言われた。
母はすぐにセヴェランを抱きしめた。
少し驚いた。
それから腕を回す。
「また来る?」
耳元で聞かれる。
「はい」
「絶対?」
「面会が許可される限り」
「そういう言い方じゃなくて」
セヴェランは少し考えた。
「来ます」
母がようやく離れる。
父は抱きしめる代わりに、セヴェランの肩を軽く叩いた。
「家、頼むな」
「はい」
「それと」
「何です?」
父は少し迷い、
「ありがとう」
と言った。
セヴェランは首を傾げた。
「何にです?」
「来てくれたことに」
「家族なので」
父が苦笑した。
「お前にはそれで終わりなんだな」
「ほかに理由が必要ですか」
「いや」
父は首を横に振った。
「それでいい」
帰り道。
セヴェランは一人で歩いた。
面会へ向かう時より、足は軽かった。
父と母の処分は終わっていない。
役職も戻らない。
失った信用も、すぐ元へ戻るわけではない。
自分が証言したことも変わらない。
両親がしたことも変わらない。
それでも。
会っていい。
話していい。
笑っていい。
必要なものを届けていい。
愛していい。
そのことを、誰かから許可してもらう必要はなかった。
家へ帰る。
「ただいま」
今度は、誰もいない家でも最後まで言った。
返事はない。
それでも靴を脱ぎ、買い物袋を置き、夕食の支度を始める。
スープを鍋へ移した。
父に言われたからではない。
冷たいままより温かい方が美味しいと思ったからだ。
食後、自省録を開く。
今日の面会について、何を書くか考えた。
最初に、
『父と母へ面会した。』
と記す。
次に、
『処罰を受けたことと、愛してはいけないことは同じではない。』
そこで筆を止めた。
少し違う気がした。
まるで今日、新しく学んだように見える。
そうではない。
懺悔室で何度も、人のしたことと、その人全部を分けてきた。
今日は、それを家族にも変えなかっただけだ。
セヴェランは一度線を引き、書き直した。
『処罰と愛情を、同じ問いにしない。』
その方がよかった。
父と母を愛しているから処罰が間違いになるわけではない。
処罰が正しいから、愛してはいけなくなるわけでもない。
最後に一行だけ足した。
『次の面会に、本を持っていく。』
セヴェランはそれを見て、少し笑った。
自省録に書くほどのことではないかもしれない。
それでも消さなかった。




