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〇4-3

 メルの迎えがなくなったというのに、オレは相変わらず早い時間に起きていた。起きて、布団の中でゴロゴロとスマホをいじる。それからさすがに遅刻ギリギリの時間にリビングへと向かうのだ。


 そんな生活を昨日今日と続けていたからか、既に朝食を食べ終え着替え終わっていた妹は不思議そうにしていた。


「あれ、お兄ちゃん。今日も学校休みなの?」


「違う。昨日だって学校は休みじゃないし、今日もこれから行くんだよ」


「でも、いつもより一時間も遅い時間だよ?」


 妹は壁掛け時計を指さした。


「一時間遅くても間に合うようになったんだよ」


「何それ? あ! もしかして彼女とケンカしたんだ!」


「ちげーよ」


「ウソだ。その顔はお兄ちゃんウソついてる顔だよ。きっとケンカしたんだ、それでフラれたんだ! だからこんな時間に登校しても大丈夫になったんだ!」


「だからちーげってば!」


 イライラとして妹を叱ると、彼女は見る間に瞳に大きな涙を浮かべた。キッチンで洗い物しているにいる母親の元に駆け寄ると、大声で泣き喚き始める。


「うわぁああん、お兄ちゃんが私のこと怒鳴った!」


 朝から気分が悪い。妹がうるさいので、さっさと朝飯を食べると家を出た。


 ノロノロと自転車を走らせる。いつもこんな時間に登校してなかったから、周りの雰囲気が違うことに驚いた。一分一秒を競うように、みんなして急いでいるのだ。


 自転車も、歩行者も、道路を走る車もみんな、セカセカと慌てたように動いている。


 オレもメルを迎えに行くときはいつも急いでいたから、周りから見ればあんな風に見えた板のだろうか?


 急がなくていいというのは、なんだか変な気分だった。


 坂道を上り、正門をくぐりかけたところで、バッタリと見知った顔と出くわした。いつもの赤ブチメガネをかけ、スカートはきっちりひざ下十五センチ。橘花音は今日も規律正しい格好をして登校していた。


「橘さん。おはようございます」


「はい、橘花音ですよ? おや誰かと思ったら、あなたは天文部の不良君じゃないですか」


 ……不良って、どうしてオレが不良なんだろうか。


「オレは不良じゃないですよ」


「ウソだあ。入学早々、そんな髪の毛を茶髪に染め上げるなんて、不良以外の何者でもないですよ」


「今時、茶髪くらいで不良なんて言われないですよ」


 いつの時代の話をしてるんだか。


「それに、橘先輩だって髪の毛茶色じゃないですか」


「橘の髪色はですね、これは地毛なのですよ。橘自身で染めたわけじゃないんです! 何だったら、地毛証明書でも提出しましょうか?」


 心外だ! と言いたげにオレを睨みながら、短めに切り揃えられた前髪をつまんで見せつけてくる。


「いや、別に疑ってはないですよ……。てか、星丘高校は髪染めても大丈夫なんだから、わざわざ地毛証明書なんて持ってこなくても良いでしょ」


「これはプライドの問題なのですよ。この橘、故意に髪を染めているなんて思われたら屈辱で死んでしまいます」


 もっと気楽に考えればいいのに。


 でもまあ、自分のポリシーに誇りを持っているのは良いことだ。


「ところで不良さん」


「三嶋です」


「三嶋さん、そういえば天文部の再申請はどうなっているのですか? 橘は生徒会として、あなたが部活の再申請書を提出するのを待っているのですよ?」


「ああ……それがまだ部員が揃ってなくてですね」


「揃ってないって、期限は四月末日。つまり今日なのですよ?」


「はは、まあそうなんですけどね」


 あいまいに笑ってごまかす。そうなのだ。天文部復活までの締切りはなんと今日なのだ。あれだけ時間があったと思っていたが、時が過ぎるのは早い。


「締め切り時刻は生徒会が活動している午後五時半まで、ですからね。それ以降は、どんな理由があっても受け付けません!」


 橘花音はそう宣言すると、二年生の玄関へと去っていった。


「どうしたもんかな?」


 自分の席で部活をどうしようかと悩んでいると、遠くの方でメルの挨拶が聞こえた。


 朝倉に対して手を振りながら挨拶する彼女の姿を、横目で確認する。メルの方もチラチラと視線をオレに寄越していたが、言葉もなく自分の席に着いた。


 水曜日、メルが図書館通いを脱出して以来、彼女は毎日学校に来ていた。


 勉強の方も、四宮が言っていた通り問題なく追いついる。何ならオレの方が危ないくらいだ。


 メルが人を引き付けるのか、それとも朝倉が人気者なのか。どちらかは分からないが、彼女たちの周りはいつも女子であふれていた。おかげでオレは、メルと話し込むタイミングをすっかり失っている。


 昼飯は、四宮が図書委員の仕事があれば司書室で食べ、それ以外の時は四宮のクラスで食べているらしい。最近じゃ四宮と話す機会もパッタリとなくなってしまった。


 先輩との関係はどうなっていうかというと、言わずもがな、想像通りである。少しは先輩の怒りも収まっているんじゃないかと期待した木曜日、バッタリ廊下で出会ったら速攻で逃げられた。そして夏原にはケラケラと笑われた。


 チャイムが鳴り、一時間目の授業が始まってからも全然集中できない。


 だからオレは、今朝橘さんに言われたことを考えていた。どうしたって、部員数が足りない。仮に夏原が入部したとして、それでも四人。五人集まってない以上、申請は不可能だ。


 そもそもなんで、オレは部活を存続させようと思ったんだっけ?


 先輩にお近づきになろうとしたからだ。


 じゃあ、その先輩とは現状どんな関係になってるんだっけ?


 避けられている、そして逃げられている。


 現状で避けられ続けているのに、まだ部活を存続させる意味ってあるのか?


 メルに居場所を作ってやるっていう目的があったはず。


 そのメルにも友達は出来たし、天文部じゃなくても居場所は出来たのでは?


 その通りだ。メルにはもう自分の居場所があり、わざわざ天文部を復活させてやる必要はもうない。


 ならどうしてオレは、まだ天文部を存続させようと思ってるんだ?


「なんかもう、どうでもいいか」


 自問自答を繰り返しているうちに、考えること自体が面倒臭くなってきた。




 昼休み、昼食難民となっていたオレは一人で飯を食べていた。足立達の輪に加わろうかとも考えたが、なんだか気分が乗らない。メルはさっさと図書室に消えてしまっていた。


 コンビニに袋からコッペパンを取り出していると、声がかかる。


「よう、一人で飯食ってんの?」


 顔を上げると、春の太陽に少しずつ肌が焼け始めた谷口が立っていた。


「一人なら一緒に食べようぜ」


「良いけど、そっちは昼練はないのか?」


「今日は休みなんだ」


 手前の席を勝手に引っ張り、二人して昼飯を食べる。谷口と食べるのも、なんだか久しぶりだ。彼もそう思ったのだろうか、少し恥ずかしそうにハニかんでいる。


「なんか、一緒に食うのも久しぶりだな」


「そっちがバレー部の練習で忙しいからだろ?」


「何言ってんだよ、最近じゃそっちだって忙しそうに見えたけど?」


 まあ確かに忙しかったかな、先週くらいまでは。


「佐竹さんを学校に連れてきたのってお前のおかげなんだろ? 先生、褒めてたぜ」


「そんなんじゃねーよ。初めからアイツは学校に来たかっただけだよ」


 オレはその背中をほんの少し押してやっただけ。ただのきっかけを与えたに過ぎない。


 努力したのは彼女だ。


「あとスゲーじゃん、ひるね姫と同じ部活に入ったんだって? この前も教室に来てたって話だし、うまくいってんのか?」


「その部活も、もう廃部寸前だよ。今日の五時半までに部員を五人以上集めないとダメなんだけど、まだ三人しか集まってないんだ」


 その三人も実質今は一人だけ……つまりオレだけしか残らない気がするけど。


 それからオレは先輩との関係を包み隠さず話した。


 ひるね部は本当は天文部であること、その天文部は廃部の危機にあること、先輩とのお近づき作戦は失敗に終わったこと、先週から先輩に避けられていることなど。一通り話し終えると、とたんに気分が滅入ってきた。


 いったいオレは何がしたかったんだっけ?


 こうして谷口と昼飯を食べていると、結局、何にも変わっていないような気がする。一瞬だけは、変わった気がしていたんだけどなあ……。


 見ると、白米がたんまり入った弁当も食べないで、谷口がニヤニヤとこちらを見ていることに気が付いた。


「何だよ?」


 その表情にムカッとしたので、仏頂面して聞いてみる。


「いやーなんか青春してるなって思ってさ」


「はあ?」


 頓珍漢なことを言われ、オレはさらにムカムカとする。


「これのどこが青春なんだよ。好きな人には避けられ、友達には距離を置かれ、存続させようと頑張っていた部活も廃部が決定的。これが青春だって?」


 やって来たことのすべてが、無駄になったような気がしてならない。


 言葉にできない苛立ちを抱えていると、谷口はいつぞやオレにいった青春の定義を復唱した。


「だから言ったろ? 青春ってのはさ、時間軸も含めて当人には分からないものなんだよ」


「いいや、こんなのが青春なはずがないね」


 好きな人に避けられるなんて、どう言い訳したって美化できーねぞ。




 結局、部員は集められずに放課後に突入する。オレに部員を集める気力は既になく、帰宅するために廊下を歩いていた。歩きながら、昼休み中に谷口に言われたことを思い出す。


「何が青春だ、この野郎……」


 アイツに言われたことが納得できなくて、またムカムカとしてきた。


 漫画やアニメでは、こんなのを青春と呼んでいたか? いいや、呼んでないね。こんなのは青春じゃない。青春は、もっとキャピキャピしたものだろう?


「ちょっと」


 その声につられて顔を上げると、途端に腹部に衝撃が走った。


 人間の急所、みぞおち部分を殴られたと分かった時には、痛みのあまりオレは膝をついてうずくまる。顔を歪めながら見上げると、見覚えのある鋭い視線がオレを射抜いていた。


「……し、四宮?」


 四宮葉月はオレにかました拳を構えながら、怒りに任せて、小さな体をプルプルと震わせていた。


「私を恨まないでね、三嶋。これは私からの愛の鉄拳なのよ? 本当は、あと五十発は殴ってやりたいところだけど、理性がある内は抑えておいてあげる。怒りを抑えられる私の精神力に感謝しなさい!」


 息も絶え絶えで苦痛にまみれながら、四宮を見つめる。なんでオレ殴られたの? 腰に手を当て、四宮が怒鳴り散らす。


「どうして佐竹と仲直りしてないのよ!」


「……はあ?」


 全く頓珍漢なことを聞いてくる四宮に、痛む腹部を必死にさすりながら口を開いた。


「いや、……したよ。てか別に初めから喧嘩なんてしてねーよ」


「じゃあなんで佐竹の送り迎えを止めちゃったのよ! あんたずっと迎えに行ってたんでしょ?」


「それは、メルが一人で良いっていったから」


「それはあんたが朝きついっていうから、佐竹が気を使ったんでしょ!」


 気を使うって、いったい何にだよ?


「あんたに迷惑かけたくないってことでしょ! そんなもの分からないの?」


「そんなの、分かるわけねーだろ」


 四宮がさらに拳を振り上げたので、オレは咄嗟に腹部をかばう。ただし、四宮は攻撃をするために腕を振り上げたわけじゃなかった。


「ほら」


 怒気のはらんだ声で、四宮は何かを取り出してオレに投げつけてきた。ヒラヒラと空中をさ迷いながらオレの前へと落ちる。それは天文部と書かれた入部届だった。


「お前、これって……」


「天文部の入部届よ。どうせまだ部員なんて集まってないんでしょ? 仕方ないから私が入ってあげる」


「でもお前、部活には興味ないって言ってたじゃねーかよ」


「あんたのためじゃないわよ。佐竹のために仕方なく入ってあげるの!」


 フンっと、彼女は大きく鼻を鳴らした。


「それからこれも。どうせ、用意してないでしょ?」


 四宮は自分以外の入部届を四枚、オレに差し出してきた。


「いい? 私がこの入部届を担任に頼んで用意し、自分の名前を記入するだけでも三十分を要したのよ? これだけの時間があれば、私がどれだけ勉強できたか。分かってる? 私のこの努力、絶対に無駄にしないでよ?」


 きつく言いつけた四宮は、「それから」とつけ加えると、途端に目元を潤ませた。


 瞳の下に、大きな涙をため込む彼女の表情にギョッとする。


 普段、強気な女の子の涙は反則だ。


「今度メルを泣かせたら、絶対許さないんだからね……!」


 それだけを吐き捨てると、彼女は自分の教室へと戻っていった。今、メルって言ったか? 四宮が他の生徒を名前で呼ぶのは初めて聞いた気がする。


「いてえ……」


 しばし、痛みに悶えていたオレだったが、むくりと体を起こす。女子とはいえ、みぞおちに入った彼女の拳は中々の威力があった。


「あいつ、人の急所を攻撃するのはナシなしだろ……」


 絶対、喧嘩したことないだろアイツ。


 てか、どうしてオレは四宮に腹パンされなくちゃいけないわけ?


 オレ、アイツに何かした?


 メルのこと言ってたけど、大体、オレから避けてるわけじゃないだろ?


 ちょっと朝が大変だって愚痴をこぼしただけじゃんか。それで急によそよそしくなるって、そんなの酷くね?


 先輩にしたって、好きな人が知られたからって何なわけ?


 誰かに吹聴したりとかバカにしたりとか、それだったらわかるけど、オレは誰にも言ってないし、他人の秘密をホイホイ誰かに言うほどうわさ好きでもない。それなのに、あれだけ人を避けるってどうかと思うんですけど?


「なんか、ムカムカして来た!」


 四宮に殴られ、そんな思いがフツフツとこみ上げてくる。


 この思いをどうしてやろうか。


 踵を返し、オレは教室へと戻る。メルの姿を探すと、彼女はまだ教室にいた。


「おいメル! 後で話があるから、オレが戻って来るまで帰んなよ? 教室で待ってろよ! 絶対だかんな!」


 びっくりしてオレ見つめるクラスメイトも無視して、メルにそう言いつける。


 彼女の返事も待たずに、オレはまた走り出した。


 教室を飛び出し、二年生の廊下を突っ走る。幸いにして、彼女はまだ下校していなかった。教室の中で先輩の姿を見つけたオレは、彼女の肩を掴んだ。振り返った先輩は、オレだと視認した途端、普段細目を大きく見開いた。


「あ、ちょっと!」


 オレの腕を振りほどき、案の上、廊下へと逃げ出す。昨日までのオレだったら、それまでだったけど、でも今のオレは諦めないかんな!


「待てや、この野郎!」


 廊下に飛び出し、階段を降り、そして中庭へと逃げ出した先輩の背中を追いかける。まさか追ってくるとは思っていなかったのか、先輩は後ろを振り返ってギョッとしていた。


 正門から進路を逸れ、彼女は部活棟へと侵入する。


「逃がさん!」


 もちろんオレも、躊躇することなく部室棟へと飛び込んだ。階段を上り、二階の廊下へと飛び出ると、直線の細長い廊下を進んでいく。


 部室棟の廊下は各々の部活道具を放置しているせいで、ものすごく汚くて狭い。一歩間違えれば道具を踏みつけてしまいそうな狭さを、先輩は俊敏な動きで走り抜ける。


 オレも後に続くが、彼女との距離をグングンと離されてしまう。おまけに剣道部の防具を踏みつけてしまい、右足首が逝った。


「いっつつ……!」


 不気味なほど足首が折れ曲がった気がしたが、構わず彼女の背中を追いかけた。


 先輩は奥側の階段からさらに上階へのぼると、三階の角部屋、ひるね部と噂されていた部室の扉を開いて中に入ってしまった。


 カチャリと、オレが近づいた時にはカギの閉まる音が聞こえる。


 どうして部室が開いたのか、橘さんにカギを渡しているから部室には入れないはずなのに。そう思いながらドアを叩いた。


「ちょっと先輩! 隠れてんのは分かってるんですよ? いくら何でもこれはひどすぎるんじゃないですか!?」


 扉を叩き続けるが、反応はない。中にいることは分かり切っている話だし、もしかしてこのまま居留守を決め込むつもりか?


 本当に、オレとはもう一生話したくないということか?


 そう思うともっとイライラして来た。


 いっそのこと蹴とばしてでも入ってやろうかと左足を振り上げたとき、ひねった右足首が痛んでその場に倒れた。


 攻撃がやんだからだろうか、扉の内側から小さな声が聞こえてきた。ただし、声が小さくてよく聞こえない。オレは扉に耳をつけて先輩の言葉を待つ。


 彼女も扉のすぐそばまで来ているようで、耳を澄ませると扉を通して先輩の声がよく響いた。


「ねえ、誰かに言った? 私の好きな人」


 久しぶりに聞く先輩の声は、細く震えていた。


「言ってないですよ、言えるわけないじゃないですか」


「でも誰かに聞かれたでしょ?」


「そりゃ夏原先輩には聞かれましたけど、でも知らないって答えてます」


「太一だけじゃなくて、他にも聞かれたでしょう? 例えばキミの一番近くの人、とかにさ」


「……言ってないです」


 それこそ、言えるわけがないじゃないか。


「そう」


 それだけを言い残すと、先輩の言葉が止まる。途端に、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。オレは立ち上がり、生唾を飲み込みながらゆっくりと扉を開いた。


 先輩はいた。机を挟んで反対側の窓のそば、外を眺めるよう背を向けて立っている。開いた窓から流れる風で、彼女の長く伸びる黒髪はヒラヒラと揺れていた。


 机の上には彼女のカバンと、それから筆箱が置かれている。筆箱の中身は散乱し、消しゴムやらマジックペンやら定規やらが飛び出している。


 オレが入ってきても、先輩は振り返りもしなかった。ただジッとそこに佇んでいる。


「これでやっと、面と向かって話せますね」


 これまでずっと走って来たせいで呼吸が荒い。心臓もバクバクとしてうるさいので、鎮めようと大きく深呼吸する。


「どうして部室に入れるんですか? だって、橘先輩にカギを返したはずなのに」


「合鍵」


 サラリと種明かしをしてくれる。


「実は橘さんには内緒で、結構前に合鍵を作ってたの」


 それで入れたのか。


「この合鍵の存在を知っているのは、さっきまでは私だけだった。部室の合鍵を作るには許可が必要で、その許可も基本的には降りないから。だから勝手に作ったの」


 先輩の言いたいことが不明で、オレは訝しげに彼女を見つめる。


「ずっと、悩んでいたの。どうしようかなって」


「……どうしようって、何をですか?」


「ねえ、扉閉めてくれない?」


 オレの疑問には答えずに、彼女は背を向けたまま扉を閉めるように指示する。オレは素直に従った。


「これで、密室の完成なの」


「……密室?」


「本鍵は生徒会に保管されている。合鍵の存在は私とあなたしか知らない。窓から侵入しようにも三階では高すぎる。そんな誰も出入りできないはずの部屋を、密室と呼ぶでしょう?」


「まあ、確かにそうかもしれませんが……」


 でもそれが一体なんだっていうんだ? オレの疑問は次の一言によって解消された。


「今ここでキミが死んだら、一体どうなるでしょうね?」


「へ?」


 オレが間抜けな声を出した、ほんの一瞬の隙だった。


 いきなり先輩が距離を詰めてきたかと思うと、オレを押し倒し、その上に馬乗りになった。


 右足をひねっていたオレは反応できずに簡単にのしかかられてしまう。


 一体、何が起きてるんだ?


 慌てて先輩を見つめると、彼女の右腕から伸びる何かがオレの顔面すぐ横の床に突き刺さった。突き刺さった?


 呆気に取られて目を向けると、先輩の手に握られたシャーペンが床へと刺さっていたのだ。シャーペンって、そんなに深く突き刺さるもんなの?


「……先輩、これは一体?」


 恐怖に顔を引きつらせながら、先輩に聞いてみる。


「……しかないの」


 え? なんていった?


「もう、キミを殺すしか方法がないのよ!」


「ええ何で!?」


 オレの疑問は解消されないまま、先輩は振りかぶって第二撃をオレの顔面に突き立てようとする。身をよじって、何とか避けるがスパッと頬が切れてしまった。


「殺すって、どうしてですか!?」


「し、死人に口なしっていうでしょ? だだだからキミを殺すの!」


「何も殺さなくても!」


「キミに私のす好きな人を知られてしまった! ももうキキキミを殺す以外、口止めは出来ない!」


 壊れた機械のように、言葉のはじめを連呼する先輩。


「いや、だから誰にも言ってないですってオレ!」


「う、ウソよ。そういって今はだ黙っているけど、仲が悪くなったら誰かにい言いふらすんでしょ?」


「しない、しないです!」


「そうやってうウサギみたいに無害なフリして、裏ではか陰口を言ってるんでしょ? 友達のフリして、あ相手の心を簡単に傷つけるんでしょ?」


 ……だ、ダメだ。説得しようにも彼女の目はマジだった。据わっている。


 これは人を殺すことを決意した目だ。


「大体、そのシャーペンで人を殺すって、何回オレを刺すつもりですか!」


「な何回でも刺すわ! キミがし死ぬまで!」


 それ、どんだけ刺されないといけないわけ!?


 ズタズタに穴の開いた自分の死体が、密室の部室で放置されている姿が想像された。


「てか密室とか言ってますけど、調べれば簡単にバレますよ! 合鍵なんてすぐに気づくことだし、この部屋には先輩の指紋がべったりついてるんですからね!」


「キミを殺せれば、それで本望よ!」


「お、オレを殺したら先輩も捕まりますよ!」


「キミを殺して私も死ぬ!」


 それ、なんて純愛!? 先輩が第三撃のために右手を大きく振り上げる。狙いをしっかりと定め、オレを睨みつける。


 無理だ、これは避けられない。


 心臓がバクバクと破裂しそうなほどに大きくなっていく。


 あれ、オレの人生これで終わるのか?


 走馬灯のように光景がスローモーションに見える。


 彼女の右手がゆっくりと振り下ろされていく。オレは衝撃に備えて目をつむった。


「……?」


 いくら待っても、衝撃も痛みもやってこなかった。代わりに、冷たい何かがオレの頬にポタポタと落ちてくる。


 恐る恐る目を開く。その冷たい何かは、先輩の瞳からこぼれていた。


 ボロボロと大粒の涙を流しながら、彼女は泣いていた。


「先輩?」


「おかしいよね、私」


 目を真っ赤にさせ、震える声でそんな言葉を漏らす先輩。


「だって、――女の子同士なのに」


 スルリと、シャーペンが彼女の手からすり落ちた。両手で目を覆いながら、時折小さく嗚咽を漏らしながら彼女は泣いていた。


 馬乗りにされた姿勢でオロオロとする。彼女の頬から涙がこぼれるたびに、オレの顔や制服を濡らしていく。


 なんて声をかけていいか分からず戸惑っていると、彼女から口を開いた。


「ねえ、私って可愛いの?」


 突然そんなことを聞かれ口ごもる。なんて答えてほしいのか裏を読もうとするが、覆い隠された彼女の表情は分からない。だからオレは素直に答えることにする。


「はい。先輩は可愛いと思います」


「だからね、何も感じないようにしたの」


「え?」


 どういう意味だ? 何も感じないとは一体?


 鼻を真っ赤にさせた先輩が、顔から手を離してオレを見つめてくる。


「生意気だって思うかもしれないけど、小さい頃からずっと誰かの好意を受けてきた。時には胸が痛くなるくらい、悲しくなるくらい、自分を責めたくなるくらい、消えちゃいたいくらい、色んな好意をぶつけられてきた!」


 言葉を詰まらせながらも、先輩は自分の気持ちを吐露していく。


「人の好意が痛いの、苦しいの、辛いの。どうして、あんな簡単に他人に好意を押し付けるの? 好きだって気持ちを、相手に伝えたがるの? 胸の内に秘めていたって、何にも問題ないでしょ? それなのに他人に好意を押し付けて、期待して、それで裏切られたら勝手に悪意を抱いて、憎悪して、嫉妬して、人を恨む! 簡単に敵意を向けてくる!」


 例えばそれは、まったく話したこともない告白して来た男の子。


 例えばそれは、その男の子を好きだった、これまたまったく知らない女の子。


 例えばそれは、そんな女の子の、顔も見たこともない友達。


 永遠にループするかのように、好意は憎悪に変わり人を伝って先輩に帰って来た。


「私は強くないから、マンガのヒロインみたいに自分の容姿を武器として扱ったり、あるいは他人を排除して孤高を貫いたり、そんな風には生きられなかった。――だから、何も感じないようにしたの」


「……」


「鈍感になって、鈍感になって、鈍感になって、鈍感になって……。相手の気持ちがまるで分からない鈍感な人間になった! 好意も悪意も、期待も失望も、憎悪も愛情も、敵意も嫉妬も羨望も嫉視も拒絶も蔑視も侮辱も何もかも! 何も感じない人間になったの!」


 顔を伏せ、小刻みに震える先輩。


「何も感じないようになってから、生きるのがすごく楽になった。愛情を向けられても、憎悪を抱かれても、私が何にも感じない人間だと分かったら、みんな離れていった。みんなみんな勝手に期待して失望して、そして去っていく。そうして今に落ち着いた」


 ……でもね。


 そう言いながら、目にたんまりと涙を浮かべて先輩が顔を上げた。


「――メルだけだったんだよ? 初めて出会った時からずっとずっと、メルだけは私に変わらずに接してくれたの。私がどんな人間でも、メルだけは変わらずに受け入れてくれたの!」


 そっか、そうだんだ。


 初めから分かるようなことだったんだ。


 先輩の感情が見える時はいつだって、メルがそばにいたのだ。初めて出会った時から、彼女はずっとメルのことが好きだったのだ。


「どうにかしたいわけじゃないの。今のままで良いの。ただいつものように、週一回公園に集まって、望遠鏡を覗いているメルの隣にいられれば、それでいいの。他にはなんにも望んでないの」


 好意を向けられることが、こんなに先輩を苦しめることだったなんて思ってもみなかった。四宮が言っていたように、好きな気持ちを伝えられるのは嬉しいことだって、オレも信じて疑っていなかった。


 でも、先輩にとってそれは違っていた。


 先輩のことだから、今までにたくさんの好意を向けられていたのだろう。


 彼女が言っていたように、好かれることを武器として扱えれば良かったんだろうけど、先輩はそうは出来なかった。逆にその好意を拒絶することも、同様の理由から出来なかったのだ。先輩は優しい人だから。


 他人からぶつけられる好意に対して、受け入れることも拒絶することもできずに、彼女はいつも罪悪感にさいなまれていた。――時にそれは、自分をも消してしまいたくなるほどに。


「おかしいよね、こんなの」


 そういって、先輩は寂しそうに笑った。


 オレはやんわりと、でも確実に先輩の言葉を否定する。


「おかしくないですよ。先輩のその好きな気持ち、全然おかしくないっすよ。オレにも好きな人がいます。好きで好きでたまらない人がいます。好きな気持ちは止められないっすよ!」


 クールなところも、優しいところも、ちょっぴりいじわるなところも、眠そうな顔も、夜空を見上げる真剣なまなざしも、実は奥手なところも、追い詰められるとバイオレンスな一面があることも……。


 全部ひっくるめて、そんな先輩が大好きです。


 飛び出しそうになった言葉を押し込める。今は伝えられないけど、でもその代わりに言いたいことならある。


「オレ、やっぱり天文部で活動して行きたいんです。週一回といわずに、二回でも三回でも何回でも――」誰かと一緒に、夜空を見上げていたいっすよ。


「だから、先輩が良かったらなんですけど」


 ポケットに入れていたせいで、クシャクシャになってしまった入部届を彼女に手渡す。


「入部届、書いてくれませんか?」


「良いの? だって私、キミのことこんなに傷つけて……」


 震える手で、そっと傷ついた頬に触れる。血は既に止まっているし、痛みだってほとんどない。傷になったって、大したことにはならないだろう。


「問題ないっスよ!」


 できる限りの笑顔で向けてみた。ちゃんと笑えているかどうか不安だったけど、先輩は泣き笑いのような、そんな笑みを浮かべた。


 モゾモゾとオレの上から退いた先輩は、床に落ちたシャーペンを拾って記入し始める。自分を刺そうとしたシャーペンで書いてもらうのは、ちょっと複雑だったけど。


「はい」


 入部届を受け取ると、痛む右足をこらえて立ち上がる。


「大丈夫? 私、何手伝えばいい?」


「いや、先輩は……」


 彼女の顔を見つめる。泣きはらしたように赤く染まった顔で人前に出たら、多分みんなをビックリさせてしまうだろう。


 オレが何も喋れないことに、彼女は小首を傾げてくる。その姿があまりにも可愛らしいので、抱きしめたくなる衝動にかられたけど自重した。


「先輩は涙拭いて、元気出してくれればそれでいいですから! あとはオレに任せて下さい! 大丈夫、なんとかします!」


 それだけ言い残すと部室を出ようとするが、名前を呼ばれて慌てて振り返る。


「颯太! ありがとう」


 女の子座りしながらニッコリと笑う姿に、オレの心臓は止まりそうになる。


 本当に可愛いな、この野郎! てか今、名前呼ばれなかった?


 それに気が付くと、また抱きしめたくなったがグッと抑え、親指を立てて部室を後にした。


 向かう先は二年生の教室。あいつのことだから、まだ学校にいるだろう。痛む右足を庇いながら教室につくと、案の定夏原はいた。同じクラスの女子生徒なのだろうか、女子と机を挟んで何やらイチャイチャしている。


 そんな雰囲気をぶち壊すように、オレは彼らの机に入部届を叩きつけた。


「夏原! この入部届に名前書け!」


「何さいきなり、少年。僕は今忙しんだけど?」


「良いから書け! 時間がないんだよ!」


 チラリと教室の時計を見ると、五時を回ろうとしていた。


 あと、三十分しかない!


「き、今日はエラく怖いじゃないか」


「イラ立ってるんですよ!」


 オレが先輩に殺されそうになっている時に、女子とイチャイチャしやがって!


「でも僕はコットちゃんがいない部活には入らないって……」


「ほれ!」


 オレはさっき書いてもらった先輩の入部届も叩きつける。


「これで文句ないだろ?」


「まあこれなら……」


 夏原は渋々といった調子で、入部届にサインした。


「よしラスト!」


 あとはメルに入部届を書いてもらえれば、五人の部員が集まることになる。急いで教室を出ようとすると、夏原に呼び止められた。


「なんすか? 今、急いでるんですけど」


「ちょっと待ちたまえ、少年」


 夏原は自分のカバンをゴソゴソと漁ると、コチラに歩み寄ってくる。


「ジッとしてろよ?」


 それだけを言い残すと、彼は傷ついたオレの頬に何かを貼り付けた。


「絆創膏。応急処置だけど、ないよりはいいだろう。帰ったらちゃんと手当しろよ? 傷になることもあるんだからな」


「……あ、ありがとうございます」


 こういうところが女子にモテるんかなあ、と自分と比較して落胆しつつ、メルの待つ教室に急ぐ。


 そういえば、夏原に対しても先輩は感情を露にしていたな。


 その感情は喜怒哀楽の怒ではあるけど、感情が動いたということでは同じだ。つまりメル以外にももう一人、先輩の感情を揺さぶれる人物がいるというわけだ。


 先輩はそれに気が付いているのだろうか?


「まあそんなこと、夏原にだけは絶対に言わねーけどな!」


 死んでも言ってたまるか!




 メルに名前を書いてもらえればそれで万事解決……のはずだったんだけど、一年三組にメルの姿はなかった。


「あれ、メ……佐竹は?」


 まだ教室に残っていた朝倉に聞いてみると、先に帰ったと言う。


「あの野郎、そこまでオレを避けるとは……。良い度胸じゃねーか。こうなったら意地でも部活に入れてやる!」


「三嶋君、その足……」


 朝倉が指さす右足を見てみると、右足首がパンパンに腫れ上がっているが分かった。


「すごい腫れてるじゃん! 大丈夫!?」


 朝倉に指摘された途端、激痛が足を襲った。まさかこんなに重症になっているとは思ってなかったのだ。なんでこういう傷って、意識すると激痛が襲ってくるのかね。諦めたい気持ちでいっぱいだったが、先輩と約束したし逃げたくない。


「やってやる!」


 駐輪場まで行ければ、自転車をこぐだけで移動できる。勇気と気力を振り絞って、駐輪場に移動し、自分の自転車を引っ張り出す。


 自転車を漕いでいる間は、痛みも和らいだ。


 メルは自転車に乗れないから、移動は徒歩だ。途中で彼女に追いつければと淡い期待を抱いていたのだが、そんなことはなかった。


 メルのマンションまでたどり着くと、玄関先に乗り捨てしてエントランスへと入る。インターホンに部屋番号を入力し、メルの部屋へと繋いだ。しばらくして、久しぶりに聞く声が聞こえてくる。


『あら三嶋君、久しぶりじゃない』


「おばさん! メルいますか?」


『いるわよ、今開くからちょっと待って……ん?』


 バタバタと向こうで話し込む声が聞こえる。


『ごめんなさい。メル、あなたと会いたくないんだって』


「そこを何とかお願いします! オレメルと話さなくちゃいけないんです!」


『でも……』


「オレがいらんこと言って、メルを怒らせちゃったんです。どうしてもそれを、謝りたくて」


『……』


 しばらくすると、エントランスの扉が開いた。


「ありがとうございます!」


 エレベーターが降りてくるまでの時間は、何とも苦痛だった。


 スマホで時間を確認すると、もう五時十五分! 急いで戻ったとしてもギリギリの時間だ。エレベーターに乗り込むと、七階のボタンを連打する。


 彼女の家の前までつくと、そこで一呼吸おいてからインターホンを押した。メルママに案内され、家の中に入る。そのままメルの部屋をノックするが返事がない。


「メル、入るぞ?」


 扉を開くと、メルはいつも通り、ベッドの上に寝袋を敷いてそこに包まっていた。


 オレが入って来たことは気が付いているはずだが、びくともしない。


 まったくの無視だ。彼女が寝ていないことは、ぴょこぴょこ動いている足元から分かる。オレは無理やり、メルの入っている寝袋をひっくり返した。


 高級なベッドなのだろう、彼女をひっくり返すとピョンピョンと寝袋ごと跳ねる。それに驚いたメルが「ひゃっ!」という悲鳴と共に寝袋から這い出てきた。


 ようやくメルの視線が、オレを捉える。


「これでやっと話せるな、メル」


「……」


 メルは気まずそうに視線を逸らした。


「教室で待っててって、言ったはずだけど?」


「……用事があった、んだよ」


「寝袋に包まることが用事なのか?」


「違う、ひーちゃんと一緒に帰ったんだよ」


「朝倉ならまだ教室にいたけど?」


 言い逃れ出来なくなったメルが寝袋の中に逃げ込もうとするが、肩を抑え、両手で彼女の頬を挟み込む。


「……いひゃい」


 真っすぐとメルの顔を見つめながら、オレは口を開いた。


「ごめん! オレ、メルを傷つけるようなこと言った! 無神経だった! 謝る!」


 メルの瞳が揺れた。


「でも、それっきりバイバイはひどいだろ。オレ、めっちゃ傷ついた!」


「……ごめん、なんだよ」


 小さな声で彼女が謝ったので、オレはニカッと歯を見せて笑った。


「許す!」


 オレはポムポムと、メルの柔らかい頬をつねった。


「……いひゃいんだよ」


「それださ、これ。天文部の入部届、これに名前書いてくんねーか?」


「イヤ」


「なんで?」


 メルはオレの手を振りほどくと、そっぽを向いて逡巡したように視線を彷徨わせている。


「何で入ってくれないんだ? お前、天体観測好きだろ?」


「好き」


「じゃあ入部しても……」


「イヤ、なんだよ」


「どうしてだよ? まだオレのこと怒ってるのか? まだ許してないんだろ?」


 オレは膝をつき、土下座せんばかりに頭を下げようとしたが、慌ててメルに止められた。顔を上げると、ウルウルと目を潤ませたメルがいた。


「わたし、これ以上ソウタに迷惑かけたくない。今までずっと迷惑ばっかりかけてきた。それに気が付かずに、ずっとソウタに甘えてたんだよ」


「迷惑って……」


「嫌なんだよ。中学の頃、コトネにずっと迷惑かけてきた。高校ではソウタに迷惑かけた。もうこれ以上、誰かの負担になりたくないんだよ」


 なんで、今まで気が付かなかったんだろう。


 メルが人一倍、人に気を使うやつだってこと。分かっていたはずなのに。


 最初に学校で倒れた時だって、先輩に気を使わせまいと連絡まで絶ってウソついて。それも全部、メルの優しさから来たことだったのに。


 それがいざ自分の番になってみれば、そんなことも忘れて、気づかずにイライラして、傷ついただなんて勝手なこと言って。


 それも全部、彼女の優しさだって分かっていたはずなのに。


「……でも、ちげーよメル」


 優しい気持ちと、誰かに迷惑かけたくないって思いがごっちゃになって、彼女は勘違いしているんだ。


「迷惑なんてさ、そんなんお互い様だろ? オレも無神経なこと言って、メルに迷惑かけた。多分また、メルを傷つけることがあると思う。でもさ、それが友達ってもんだろ?」


 友達同士でも、ケンカすることがある。迷惑かけることがある。


 傷つけたくなくても、傷つけてしまうことがある。楽しいことばかりじゃない。


 でも、一度ケンカしたらそれで終わりっていうのは友達じゃないだろう? ケンカして、無視して、悪口言い合って、時間が経って、お互い悪いところがあることに気が付いて、また仲直りして。


 キレイなことばかりじゃなくて、汚いところも全部ひっくるめて、友達ってそういうもんでしょ?


「オレが無神経なこと言ったらさ、その時はお前がオレを叱ってくれ! 逆にメルがオレに迷惑かけたっていうんならさ、そん時はオレが受け止めてやるよ!」


 オレはドンッと自分の胸を叩いた。


「……良いの? わたし、これからも、いっぱいいっぱいソウタに迷惑かけるんだよ? ういっぱいいっぱい、ソウタを疲れさせちゃうんだよ?」


「当たり前だろ? だって、オレたち友達だろ?」


 それ以上は言葉になっていなかった。


 いきなり彼女が飛びついてきたかと思うと、オレの腰に抱きつきながらワンワンと泣いた。


「ちょ、お前近いって……」


「受け止めてくれるって、さっきそう言ったんだよ」


 物理的!? 彼女を引っぺがそうにも、ものすごい力でしがみついてきて振りほどけない。この小さな体のどこにそんな力があったんだ? と不思議になるくらいの強さだ。


「オレ、めっちゃくちゃ急いで来たから、そんな鼻近づけたら汗臭いぞ?」


「うん。ソウタのシャツ汗くさい」


 臭いんかい。それでも、メルはその手を離さなかった。ワンワンと泣いている彼女の頭を、ポンポンと叩く。彼女が落ち着くまで、そのままにしておいた。


 途中、おやつを持ってきたメルママが扉を開けて、オレたちを五秒ほど見つめた後、ニヤニヤとしながら扉を閉めてしまった。あの、お喋りなメルママがだぜ?


「時間、大丈夫?」


 鼻水をすすったメルが、入部届に名前を書きながら聞いてくる。時刻は五時二十五分。つまり、後五分しかない。


「任せとけ! ぜってー間に合わせるから、お前は安心しろ」


 こんな無責任な発言はないと、自分でもアホらしいと思った。でも、やってやろうじゃねーかという闘志だけは湧いていた。


「じゃあなメル、また来週! 学校で会おうぜ!」


 オレはメルに別れを告げて、痛む右足を引きずりながら学校へと向かったのだった。

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