第58話 崩壊する虚構
竜王の告発は、王都に決定的な一撃を与えた。王国という国家を支えていた正義と信頼を、根底から粉砕したのだ。
『――貴様らの指導者は、《《魔王軍の侵略》》という嘘を吐き、民を欺き、私利私欲のために戦火を広げた』
その言葉は、呪いのように人々の心に染み渡った。
「う、嘘だ……」「俺たちは、守るために戦っていたんじゃないのか……?」「資源を奪うために、あんなに大勢の若者が死んだのか……!?」
動揺は、瞬く間に怒りへと変わった。矛先は、王城のバルコニーで震える宰相や大臣たち、そして、敗北して地に伏したままの国王へと向けられる。
「説明しろ! どういうことだ!」「我々を騙していたのか!」「人殺し! 売国奴!」
怒号と石礫が王城に降り注ぐ。騎士団は機能不全に陥り、民衆の暴動を止める術はない。王国は、一夜にして崩壊の淵に立たされた。
◇
そんな混沌の中。四つの塔の頂上が輝き、転移魔法が発動した。広場の四隅に、四人の少女が姿を現す。
エルザ、アリアナ、リリィ、そしてシノン。国を救った英雄たち。だが、彼女たちを迎えたのは、歓喜の渦ではなく、暴動の熱気と、重苦しい混乱だった。
「……みんな」
シノンが、広場の中央で仲間たちと合流する。
「……勝ったのに。守ったのに」エルザが、暴徒と化した民衆を見て、唇を噛む。「なんか、すげえ後味が悪いな」
「ええ。でも、これが『真実』です」アリアナが、気丈に顔を上げる。 「膿を出さなければ、この国は再生しません。……たとえそれが、どれほど痛みを伴うとしても」
リリィは、冷静に周囲を観察していた。
「今は、混乱の極みです。政府機能は麻痺し、治安も崩壊寸前。……このままでは内乱で滅びますね」
「じゃあ、どうすれば……」
シノンが問いかける。
その時。王城の門が開き、一人の老人が、杖をつきながら静かに現れた。
質素な神官服を纏ったその人物に、暴徒と化していた民衆たちが、ハッと動きを止める。
この国の精神的支柱であり、代々『神託』を告げる役目を担う大神官。彼は、今回の戦争に唯一反対していたとされ、王宮から遠ざけられていたとして知られている。
「……静まれ」
大神官の声は、決して大きくはなかったが、不思議と広場の隅々まで届いた。怒りに燃えていた人々の心が、水に浸されたように鎮まっていく。
「民よ。怒りはもっともだ。だが、今、争っている場合ではない。……まずは、国を救った英雄たちを、迎え入れようではないか」
大神官は、シノンたちの方を向き、恭しく頭を下げた。
「アベレージ・ワンの皆様。……どうか、王城へ。今後の国の在り方について、重要なお話がございます」
民衆の視線が、四人に集まる。期待、不安、罪悪感。シノンは、アリアナたちと顔を見合わせ、そして頷いた。 彼女たちは、大神官に導かれ、静まり返った王城へと足を踏み入れた。
◇
王城の最奥にある『玉座の間』。そこには、ただ空っぽの玉座だけが冷たく鎮座していた。人払いがされ、部屋には四人と、大神官だけが残された。
重い扉が閉められると、大神官は、ゆっくりと四人の方を向いた。
「……よくぞ、参られた」
大神官の声色が、変わった。老人の枯れた声ではない。もっと若々しく、そして底知れない威厳に満ちた声。
その背中に、人間にはないはずの、神々しい光の翼が一瞬だけ見えた気がした。
「あなたは……?」
シノンが問う。
「私は、この国を影から見守る、『神族』のひとりです」
「「「えええ!?」」」
四人が驚愕する。神族。伝説やおとぎ話に出てくる存在が、目の前にいる。
「王となる資格を持つ者だけに、真実をお伝えします。……この国の王とは、単なる支配者ではありません。世界の均衡を保つための、『調整者』なのです」
大神官は、懐から古びた巻物を取り出した。王国の建国神話が記された、最古の法典。
「古き掟に、こうある。『王、その資格を失いし時。国の危機を救い、最強の力を示した者を、新たな王とせよ』」
「……最強の、力」
エルザが呟く。
「そうです。貴女がたは、竜人に勝利し、その力を証明した。今の王家は地に墜ちました。……この国には、新たな王が必要です」
大神官は、四人を真っ直ぐに見つめた。
「貴女がたの中から、一人。真の女王を選んでいただきたい」
「「「!!」」」
「私たちから選ぶんですか?」
アリアナが息を飲む。
「はい。これは、貴女がた自身の意思で決めるべきことです。誰が王冠を被り、誰がその重荷を背負うのか。……話し合って、決めてください」
大神官は一歩下がり、目を閉じた。玉座の間は、四人だけの空間になった。
…… …… …… ……
重い沈黙が流れる。王になる。それは、ただの学生だった彼女たちには、あまりにも現実味のない、そして重すぎる選択だった。
▶(アリアナ)◇
(……王)
私が? エインズワース家の娘として、幼い頃から『人の上に立つ』教育は受けてきた。政治も、礼法も、誰よりも理解しているつもりだ。
でも、だからこそ分かる。今の私には、資格がない。私は、家のしがらみや、貴族社会の腐敗を知りすぎている。私が王になれば、必ず旧体制の貴族たちが群がってくる。
「名門エインズワースの娘なら、我々の利権を守ってくれる」
それでは、何も変わらない。この国を腐らせた膿を出し切ることはできない。
(……私がやるべきことは、別にある)
▶◇◇◇
「……私は、辞退します」
アリアナが、静かに口を開いた。
「えっ? アリアナ、お前ならできるんじゃ……」
エルザが驚く。
「いいえ。私は貴族すぎます」アリアナは、自嘲気味に笑った。「私が王冠を被れば、腐敗した貴族たちは安心するでしょう。それでは、本当の改革はできません。私は……『宰相』として、新しい王が振るう鉈の、返り血を浴びる役目を引き受けたい。法を整備し、不正を正し、王を支える盾になりたいのです」
「そっか……。アリアナらしいな」
エルザは納得し、そして腕を組んだ。
「私は、もっと無理だぞ」
エルザは、自分の手のひらを見つめた。剣ダコだらけの、武骨な手。
「私は、戦うことしかできない。政治とか、外交とか、難しい話をされたら、きっと会議中に寝ちまう」
「……想像できますね」
リリィが苦笑する。
「でも、戦うことなら誰にも負けない。私は『将軍』になって、ボロボロになった騎士団を叩き直す。……師匠みたいな、最強の軍団を作るんだ。国を守るための、本当の力を」
「ふふふ。では、残るは私とシノンさんですが……」
リリィが、眼鏡を直した。
「私は、王という柄ではありませんよ。王とは、無私無欲で民に尽くすもの。……私の強欲は、一個人の枠を越えてはいけません」
リリィは、懐から電卓を取り出した。
「私は『財務大臣』がお似合いです。この国の傾いた経済を立て直し、魔界との貿易ルートを開拓し、国庫を潤す。……ついでに、私腹も肥やします」
「最後のが本音じゃないの……」
アリアナが呆れるが、リリィの実務能力は誰もが認めている。
三人の視線が、自然とシノンに集まった。
「シノンさん」
アリアナが、シノンの手を取った。
「え……? わ、私……?」シノンは戸惑った。「で、でも、私、平民だし……勉強も普通だし……。ただ、平凡に暮らしたかっただけなのに……」
「ええ。だからこそ、です」
アリアナは、真剣な眼差しで言った。
「あなたは、誰よりも《《普通の幸せ》》を知っている。権力や名誉のためじゃなく、ただ『みんなと笑っていたい』という理由で、あんな凄まじい力を振るえる。……それは、誰にでもできることじゃありません」
「シノン」
エルザが、シノンの背中を叩いた。「お前は、誰よりも強い。竜王すら殴り倒す力があるのに、誰よりも優しい。……お前がトップなら、誰も文句は言わねえよ」
「それに」リリィが、決定的な一言を口にした。「この国の再生には、魔界との和平が不可欠です。 ……魔王ディアブロ様と対等に話ができるのは、世界でただ一人。恋人であるシノンさん、あなたしかいません」
「……!」
シノンは、ハッとした。魔界との平和。それは、シノンがずっと願っていたこと。 ディアブロと、堂々と手を取り合える世界。
(……そっか。私が王になれば……。もう、隠れて会わなくていいんだ。人間と魔族が、友達になれる国を作れるんだ)
平凡からは一番遠い場所。でも、そこには、私が守りたかった日常の、一番確かな未来がある。
(……逃げちゃ、ダメだ)
シノンは、大きく深呼吸をした。そして、顔を上げた。その瞳には、もう迷いはなかった。
「……分かりました」
シノンは、大神官に向き直った。
「私が、なります。……私が、この国の『王』になります!」
凛とした声が、玉座の間に響いた。それは、ただの学生だった少女が、一国の主へと覚醒した瞬間だった。
大神官は、深く頷き、そして微笑んだ。
「……承知いたしました。貴女がたの覚悟、見届けました。では、明日の夜明けと共に。民衆の前で、天からの『神託』として、新王の誕生を告げましょう」
少女たちの会議は終わった。それは、この国が生まれ変わるための、静かなる革命の夜だった。




