第56話 強欲な乙女
同時刻。南の塔、頂上闘技場。そこは、暴風が吹き荒れる嵐の領域だった。
『……遅い、遅いぞ人間!』
風のような影が、闘技場を縦横無尽に駆け巡る。『疾風の竜人』。音速を超える神速の移動と、鎌鼬のような真空刃を操る、速度特化の竜人だ。
「くっ……!」
リリィは、防戦一方だった。彼女が投げたナイフは空を切り、設置した罠は発動する前に回避される。目視すら困難な速度。半魔人化して強化されたリリィの動体視力でさえ、残像を追うのが精一杯だ。
『当たらなければ、どうということはない。貴様の小賢しい道具など、我の速度の前では止まって見えるわ!』
竜人が嘲笑いながら、すれ違いざまに爪を振るう。リリィの服が切り裂かれ、頬に浅い傷が走る。
「……速いですね」
リリィは、眼鏡の位置を直しながら、冷静に思考を巡らせていた。恐怖はない。彼女の頭の中にあるのは、マモンから叩き込まれた損益分岐点の計算だけだ。
▶(リリィ)◇
(正面からの攻撃命中率、0%。魔力による広範囲攻撃……展開前に逃げられます。持久戦……こちらの在庫が先に尽きますね)
普通に戦えば、絶対に勝てない相手。赤字確定の負け戦。
……でも。マモン様は言った。『相手が速すぎるなら、足を止めればいい。道がないなら、作ればいい。……商売とは、相手を自分の市場に引きずり込むことです』
(ええ、その通りです。このフィールドは、私の店舗。……お客様には、逃げ場のないコースを歩いていただきましょう)
▶◇◇◇
「……降参か?」
竜人が、足を止めることなく周囲を旋回し、プレッシャーをかける。
「いいえ。……商談の準備が整いましたので」
リリィは、不敵に微笑んだ。彼女は、懐から大量の魔石を取り出し、ばら撒いた。
『無駄だ! そんなもの、当たらん!』
竜人は加速し、魔石の隙間を縫ってリリィに迫る。その爪が、リリィの首を捉えようとした、その瞬間。
キィィィン! 竜人の体が、空中で急停止した。見えない《《何か》》に、絡め取られたように。
『な、なに!? 動けん!?』
竜人が藻掻くが、動けば動くほど、その拘束はきつくなる。よく見れば、闘技場全体に、極細の『糸』が張り巡らされていた。
「『蜘蛛糸』の魔鋼ワイヤーです」
リリィが、指先で糸を操る。
「先ほどから、私が無駄に逃げ回っていたと思いましたか? ……貴方の動線に、少しずつ糸を張っていたのです」
『馬鹿な! 我の速度を目で追えていなかったはず!』
「ええ、見えません。ですが、貴方の動きは合理的すぎます。最短距離、最小抵抗……。行動パターンが読めれば、そこに罠を置くだけです」
リリィは、マモン譲りの『空間収納』を開いた。そこから取り出したのは、剣でも杖でもない。巨大な『魔導砲』のような、無骨な筒だった。
「さて。……お代を頂きましょうか」
『き、貴様……!』
竜人が、竜巻を起こして糸を引きちぎろうとする。だが、リリィは躊躇なく引き金を引いた。
「『強制徴収』!」
ズドォォォォォン!! 黄金の閃光が放たれた。それは、魔力を帯びた『金貨』を散弾のように撃ち出す、リリィ最大の攻撃。物理的な破壊力と、彼女の『強欲』が凝縮された一撃。
回避不能の距離。拘束された体。竜人に、避ける術はなかった。
『グ、アアアアアア……!』
閃光が竜人を飲み込む。自慢の速度も、風の鎧も、金の暴力の前には無力だった。
……静寂。硬貨によって傷だらけになった竜人が、糸に吊るされたまま、ぐらりと揺れ、地面に落ちた。
「……ふぅ。弾丸のコストが痛いですが……。まあ、竜の素材で黒字ですね」
リリィは、砲身から立ち上る煙を吹き払うと、残る力を振り絞って、竜人の素材を採取した。
◇
一方、王都の広場。 金剛の竜人、紅蓮の竜人に続き、民衆は固唾を飲んで空を見上げていた。
「……来るか?」 「三体目も、倒せたのか?」
期待と不安が入り混じる中。 南の塔の上空が、カッ! と輝いた。
ドサッ。
落ちてきたのは、全身をワイヤーで亀甲縛りのように縛り上げられ、黒焦げになった『疾風の竜人』だった。
「……み、三体目……!」 「あの子たち、本当に……!」
民衆の驚きは、確信へと変わっていた。 彼女たちは勝てる。 人類は、負けない。 広場は、爆発的な歓声に包まれた。
路地裏の影で、認識阻害をかけたマモンが、その様子を見て満足げに頷いた。その表情は、優秀な部下、あるいは愛しい恋人の成果を誇る、穏やかなものだった。
「……お見事です、リリィさん。素晴らしい取り立てでした。……これで貴女も、立派な私と同じ、《《死の商人》》』ですね」
◇
南の塔、頂上。リリィは、竜人が転送された後の床に、ペタンと座り込んでいた。 砲身から立ち上る煙を眺めながら、電卓を叩く。
「ふぅ……。弾丸のコストがかさみましたが……。勝利の対価としては、安いものでしたね」
リリィは、眼鏡を直した。疲労で手足は重いが、その表情は晴れやかだった。
三人が勝利した。残るは、北の塔。
「……シノンさん」
リリィは、空を見上げた。他の塔の様子は分からない。だが、確信していた。 アリアナさんも、エルザさんも、きっと勝っている。そして、最強の彼女も。
「大丈夫です。シノンさんなら、すぐに終わらせます」
リリィは、手帳を閉じた。
「あの方は、私たちよりずっと強いですから。
いよいよ、最後の戦いが始まる。 『アベレージ・ワン』最強の少女が、そのベールを脱ぐ時が来た。




