第55話 氷華の乙女
東の塔でエルザが勝利を収めた、同時刻。西の塔、頂上闘技場。
そこは、灼熱の地獄と化していた。床は溶岩のように赤熱し、空気すら歪むほどの熱波が充満している。
『……ほう。東の気配が消えたか』
炎の玉座に座る『紅蓮の竜人』が、つまらなそうに呟く。『あの筋肉達磨(金剛の竜人)が敗れるとはな。……だが、所詮は物理の戦い。 我の炎の前では、貴様ら人間など、近づくことすらできまい』
竜人が指を弾くと、闘技場全体を包み込むように、巨大な炎の壁が立ち上った。 温度は数千度。鉄すら瞬時に蒸発する領域。
「……暑苦しいですね」
その炎の海の中心で、アリアナは涼しい顔をして立っていた。彼女の周囲だけ、薄い氷の膜が張られ、熱波を完全に遮断している。
「私の計算では、貴方の炎の熱量は、あと3分でこの空間の酸素を焼き尽くします。 ……自滅するおつもりですか?」
『小賢しい!』竜人が激昂する。『我は炎そのもの! 酸素など不要! 貴様のその薄っぺらい氷ごと、灰にしてくれるわ!』
竜人が口を大きく開けた。喉の奥で、太陽のような光が凝縮されていく。『紅蓮の息吹』。先ほどの宮廷魔術師長の、防御魔法を消滅させ、瞬殺した必殺の一撃だ。
「『氷鏡』!」
アリアナが杖を振るう。だが、竜人のブレスは、そんな小手先の防御を許さない。圧倒的な熱量が、氷の鏡を一瞬で融解させ、アリアナに迫る。
「くっ……!」
アリアナは辛うじて回避する。だが、熱波の余波だけで、ドレスの裾が焦げ付く。
『逃げ回るだけのネズミめ』竜人が嘲笑う。『貴様の氷など、我の炎の前では無力。 絶対的な「属性」の差だ』
その言葉通りだった。アリアナの氷魔法は、放った端から蒸発していく。これでは、攻撃が届かない。
▶(アリアナ)◇
(……強い)
魔力量も、出力も、桁違い。まともにぶつかり合えば、絶対に勝てない。でも、グレイ先生は言った。『魔術とは、力比べではありません。相手の理を理解し、それを逆手に取る解法を見つけることです』、と。
相手は炎。熱エネルギーの塊。それを凍らせるには、それ以上の冷気が必要? ……いいえ、違う。
(熱を奪うんじゃない。……熱の動きを、止めるのよ)
▶◇◇◇
「……降参か?」
竜人が、追い詰められたアリアナを見下ろす。
「いや、計算終了です」
アリアナのその瞳には、恐怖ではなく、冷徹な解析結果が浮かんでいた。
「貴方の炎は、確かに強力です。ですが、そのエネルギー源は、周囲の『魔素』を燃焼させているだけ。……ならば、その『供給』を断てばいい」
「なに……?」
アリアナが、杖を高く掲げた。彼女の体から、青白い魔力が溢れ出す。それは、攻撃魔法ではない。空間そのものに干渉する、大規模な『環境制御魔法』。
「『絶対零度領域』・展開!」
キィィィィン……! 耳鳴りのような音が響き、闘技場の空気が一変した。温度が下がるのではない。空気中の魔素の動きが、分子レベルで停止したのだ。
『ぐ、お……!?』
竜人が、苦悶の声を上げる。彼の纏っていた炎が、見る見るうちに小さくなっていく。魔素の供給を断たれ、酸欠の火のように消え入りそうになる。
『ば、馬鹿な……! 空間ごと凍結させただと!? 人間ごときに、そのような魔力操作が……!』
「先生に比べれば、まだまだ粗削りですけれど」
アリアナは、一歩ずつ、竜人に歩み寄る。彼女が歩くたびに、床の溶岩が黒い岩へと冷え固まっていく。
「さあ、終わりです。 ……熱力学の彼方へ、お帰りなさい」
アリアナは、消え入りそうな炎を纏う竜人の胸に、杖を突きつけた。
「『氷河の断罪』!」
ドッッッ!! 杖の先から、極大の氷塊がゼロ距離で放たれた。魔素の供給を断たれ、防御力を失った竜人の体に、絶対零度の冷気が浸透する。
『ガ、アアアアア……!』
竜人の絶叫が、途中で途切れた。その巨体が、足元から頭の先まで、一瞬にして白く凍りついたのだ。紅蓮の竜人は、永遠に溶けない氷の彫像へと変わった。
「……ふぅ」
アリアナは、杖を下ろした。魔力を使い果たし足が震える。だが、その顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「勝ったわよ。あとはよろしく……」
◇
一方、王都の広場。黄金の竜人の死体が降ってきた衝撃が広がっていた。
「り、竜人が負けた……?」「誰がやったんだ?」「まさか、まだ希望が……?」
ざわめきが広がる中。今度は、西の塔の上空が、カッ! と輝いた。
「まただ!」「今度は誰が落ちてくる!?」
民衆が固唾を飲んで見守る。光の中から現れたのは。
ドサッ! 巨大な氷の塊だった。そして、その中には、恐怖に顔を歪ませたまま凍りついた、『紅蓮の竜人』が封じ込められていた。
「…………」
広場が、再び静まり返る。そして、誰からともなく、更なる歓声が上がった。
「炎の竜人も、やられたぞ!」「氷漬けだ! すげえ!」「勝てる! 俺たちは、勝てるんだ!」
絶望は、確かな希望へと変わりつつあった。
その様子を、路地裏でグレイが見つめていた。
「……完璧な解です、アリアナ」
彼は、満足げに眼鏡を直すと姿を消した。
西の塔、頂上。アリアナは、氷像となった竜人が転送された跡を見つめ、へたり込んだ。
「……疲れましたわ」
アリアナは、空を見上げた。他の塔の様子は分からない。だが、彼女は信じていた。アリアナは、祈るように目を閉じた。




