第53話 乙女と秘湯
魔王城の地下から繋がる、漆黒のゲートをくぐり抜けた先。そこは、最も濃密な魔素が渦巻く聖域だった。
闇の中にところどころ浮かんでいる、ただ揺らめくオーロラだけが光源となっていた。その中心に、静かに水を湛える泉。『原初の泉』。水面は鏡のように静かだが、その内部には、人間ならば触れただけで蒸発しかねないほどの、純粋な魔力が圧縮されている。
「……ここが」
シノンは、ごくりと唾を飲んだ。肌を刺すようなプレッシャー。じいちゃんとの『基礎訓練』で訪れたどんな危険地帯よりも、濃い気配がする。
「そうだ。全ての魔族の始祖が生まれたとされる場所だ」
ディアブロが、泉の淵に立つ。
「この泉に浸かり、肉体を再構成する。成功すれば、貴様らの器は人の枠を超え、半魔人へと生まれ変わるだろう」
「失敗したら?」
エルザが、無邪気に聞く。
「魔力の奔流に耐え切れず、魂ごと消滅する」
ゼストが淡々と答えた。
「……ハイリスクですね」
リリィが眼鏡を直す手が、わずかに震えている。
「ですが、リターンに見合う投資です」
「行きましょう」
アリアナが、服のボタンに手をかけた。
「迷っている時間はありません。決闘の刻限が迫っています」
四人は、覚悟を決めた。彼女たちは、身につけていたものを脱ぎ捨て、震える足で、ほんのりと湯気が待っている泉の中へと歩みを進めた。
チャプン……。 足先が水に触れた瞬間。
「ぐっ……!?」
「あぁっ……!」
激痛が走った。熱いのか、冷たいのかも分からない。全身の血管に、灼熱の鉛を流し込まれるような感覚。細胞の一つ一つが悲鳴を上げ、強制的に書き換えられていく。
「(痛い……! 熱い……!)」
シノンは、歯を食いしばった。意識が飛びそうになる。自分の体が、自分のものでなくなっていくような恐怖。
『耐えろ、シノン』
意識が暗闇に沈みかけた時、頭の中に、愛しい人の声が響いた。ディアブロは泉の縁に立ち、魔力を送ってシノンの精神を繋ぎ止めていた。
『貴様は私の嫁になるのだろう? 私と共に、悠久の時を生きるのだろう? ならば、これしきの試練、乗り越えてみせろ』
「(……はい!)」
シノンは、薄れゆく意識の中で、ディアブロの手の温もりを思い出した。負けない。ここで消えたら、彼を一人にしてしまう。
隣では、アリアナも苦悶の声を上げていた。
『計算しなさい、アリアナ』
グレイの声が魔力となって、冷徹に、確実に彼女を導く。
『痛みを数値化し、魔力の流入量を制御するのです。貴女ならできる。……私の最高傑作なのですから』
「(はい……先生……!)」
アリアナは、理性の光を瞳に取り戻し、崩壊しかけた魔力回路を必死に編み直す。
『気合だ、エルザ!』ゼストの魔力が乗った怒号が飛ぶ。『痛みに負けるな! その痛みを力に変えろ! 貴様は私を超える男になるのだろうが!』
「(うおおおお! 負けるかぁぁぁ!)」
エルザの体から、闘気が噴き出す。肉体の損傷を、意志の力だけでねじ伏せていく。
『損得勘定をお忘れなく、リリィさん』
マモンの声は、冷静な魔力となって突き刺さる。
『ここで死ねば、全て大赤字です。生き残れば、世界中の富が貴女を待っている。……そして、私も』
「(……死ねません。絶対に!)」
リリィの瞳に、強欲な光が戻る。
四人の少女は、それぞれの想いと絆を支えに、地獄のような苦痛の波を泳ぎ切った。
一時間か、一瞬か。永遠にも思える時間が過ぎ――。
カッ!! 泉から、四色の光柱が立ち上った。
…… ……
光が収まると、そこには四人の少女が立っていた。見た目は、以前と変わらない。だが、その内側に秘めた力は、劇的に変質していた。大気に触れるだけで、周囲の魔素が彼女たちに従うように揺らぐ。
「……これが」
シノンは、自分の手を見つめた。軽い。羽が生えたように体が軽い。そして、体の中で、無限の魔力が脈打っているのを感じる。
(これなら……全力が出せる!)
「成功だな」
ディアブロが、タオルを持って歩み寄ってきた。
「見た目は人間のままだが、中身は紛れもなく半魔人だ。今の貴様らなら、竜人の鱗も紙のように裂けるだろう」
「むー! なんか力が有り余ってるぞ!」エルザが、空に向かってパンチを繰り出す。ドォン! 空気が弾け、衝撃波が対岸の岩を砕いた。「おおー! すっげえ!」
「魔力の演算速度が……以前の十倍以上……」アリアナが、指先で小さな氷の結晶を作る。それは、ダイヤモンドよりも硬く、複雑な構造をしていた。
「知覚能力も拡張されていますね」リリィが、眼鏡を直す。「空気の流れ、魔力の残滓……すべてが情報として入ってきます」
「行くぞ」
ディアブロが、ゲートを開く。その先には、絶望に包まれた王都の空が見えた。
「待たせたな、竜人ども」
ゼストが拳を鳴らす。
「教育の成果を、見せてやりなさい」
グレイが眼鏡を光らせる。
「最高のショータイムです」
マモンが冷静に微笑む。
シノンは、ディアブロと目を合わせ、力強く頷いた。
「行きます! 私たちの国を、取り戻しに!」
四人の少女は、新たな力を纏い、決戦の地・王都へと帰還した。反撃の狼煙は上がった。




