第52話 禁断の乙女
英雄王の敗北。その事実は、王都の民衆を絶望の底に叩き落とした。だが、同時にそれは、恐怖によるパニックと、一部の実力者たちの『暴走』の引き金となった。
「王が負けたなら、俺たちがやるしかない!」「竜人ごときに、人間の底力を見せてやる!」
広場のあちこちから、怒号が上がった。王立騎士団の生き残り、冒険者ギルドのSランクパーティー、裏社会の暗殺者、地方から駆けつけた武術の達人……。
正規軍に選ばれなかった、あるいは軍に属さない有象無象の強者たちが、武器を手に塔へと殺到したのだ。
「うおおおお! 俺の魔法を見ろぉぉ!」「流派・岩砕拳!」
彼らは、それぞれのプライドと、国を守るという義憤に駆られ、次々と塔の扉をくぐっていった。
しかし。
ドサッ ドサッ ズドンッ
結果は、あまりにも残酷だった。扉に入って数秒後。上空の転移光と共に、彼らはゴミのように排出された。
一人、また一人。挑戦者の数だけ、広場の石畳に敗者の山が築かれていく。
『……雑魚ばかりだな』
塔の頂上から、竜人の冷酷な声が響く。
『数で来ようが、蟻は蟻だ。……これ以上、我らの時間を浪費させるな』
夕暮れ時。王国広場では、呻き声を上げる負傷者で埋め尽くされていた。もう、挑もうとする者は一人もいない。王も、騎士も、野良の強者も、すべて敗れた。
「……終わった」「本当に、誰も勝てないんだ……」「殺される……。みんな、殺されるんだ……」
広場を支配するのは、沈黙と、すすり泣く声だけ。それが、完全なる絶望の光景だった。
◇
その地獄のような光景を、瓦礫の影から見つめる四人の少女がいた。
「……ひどい」
アリアナが、震える声で呟く。
「あんな達人たちが……まるで、赤子扱い……」
「ああ。……次元が違う」
エルザが、唇を噛み切るほど強く噛み締めた。
「私たちが戦った機神なんかより、ずっと強い。……今の私の剣じゃ、絶対に届かない」
リリィは、蒼白な顔で首を横に振った。
「勝率、0%。……計算するまでもありません。これは戦いではなく、処刑です」
絶望的な現実。だが、彼女たちは、そこで諦めるという選択肢を持っていなかった。なぜなら、彼女たちには守るべき日常があり、そして何より、自分たちを信じてくれた師匠たちがいるから。
「……行くわよ」
アリアナが、顔を上げた。その瞳には、恐怖を押し殺した、決死の覚悟が宿っていた。
「もう、この国には私たちしかいない。……エインズワース家の誇りにかけて、私が道を切り開きます」
「おう! やってやる!」
エルザが、大剣を担ぎ直す。
「師匠に鍛えられた筋肉だ! 竜の鱗くらい、へし折ってやる!」
「ふふふ。ハイリスク・ハイリターンですね」
リリィが、眼鏡を押し上げる。
シノンは、倒れた人々を見つめ、そして仲間たちを見た。
(……私が、やらなきゃ。竜王は、私が止める。……その間に、みんなが他の竜人を……ううん。……みんなも、危ない)
シノンは、拳を握りしめた。この国を守れるのは、もう、私たちしかいない。
「……行こう、みんな」
絶望に沈む群衆の中、四人の少女だけが、瓦礫を踏みしめ、前へと歩き出した。それぞれの目的地に向かって、その足が踏み出した時だった。
「――待て」
低く、絶対的な声が響いた。四人の前に、漆黒の影が立ちはだかる。
「ディアブロさん……!」
「師匠!?」
「グレイ先生、マモン様も……!」
そこにいたのは、魔王ディアブロと、三魔将たちだった。彼らは、魔界での正装を纏い、隠しきれない『覇気』を放っている。
「……行くな。死ぬぞ」ディアブロが、冷徹に告げた。「アリアナ、エルザ、リリィ。今の貴様らでは、100%負ける。あの竜人たちは、我ら魔王軍の幹部クラスと同等……いや、相性によってはそれ以上だ」
「そ、そんな……」
アリアナが唇を噛む。
「で、でも! 私たちがやらなきゃ、国が……!」
「無駄だ」
ゼストが腕組みをして吐き捨てる。
「今の貴様の剣では、傷一つつかん。さっきの有象無象と同じ末路だ」
「くっ……!」
「物理法則が通用しません」
グレイが眼鏡を光らせる。
「貴女の魔力では、蒸発して終わりです」
「疾風の速度についていけません」
マモンが首を横に振る。
「完全な『負け戦』です」
師匠たちの言葉は、残酷なまでに正確な戦力分析だった。
「……シノン」
ディアブロが、シノンに向き直った。
「貴様ならば、あるいは竜王と渡り合えるかもしれん」
「!」
「だが……勝てたとしても、貴様は死ぬぞ」
ディアブロは、悲痛な面持ちで告げた。
「貴様の『基礎』は神域だが、その肉体は人間そのものだ。竜王級の出力でぶつかり合えば、貴様の体の方が先に崩壊する」
「……っ」
シノンは、息を飲んだ。竜王相手に本気を出せば、体が持たないことは、本能で理解していた。
「……じゃあ、どうすればいいんですか!」
シノンが叫んだ。
「ディアブロさんたち……助けてくれませんか……人間を助けて……身勝手なのは分かってます!」
だが、ディアブロは首を横に振った。
「……手出しはできん。我ら魔族と古の竜人は、太古より『不可侵条約』を結んでいる。我々が手を出せば、世界そのものが崩壊する最終戦争になる」
絶望的な理由だった。
「シノン。そして、その友人たちよ」ディアブロは、真剣な眼差しで告げた。「魔界へ来い。魔界であれば、貴様らと、その家族くらいは面倒をみてやる」
「!」
「人間など見捨てろ。……滅びるべくして滅びるのだ」
それは、愛ゆえの提案だった。だが、四人は、顔を見合わせ……そして、首を横に振った。
「……お断りします」
アリアナが言った。
「私は、民を見捨てて自分だけ助かるなんて……そんな恥ずかしいこと、できません!」
「私もだ! 逃げるくらいなら、戦って死ぬ!」
「商会も顧客も、全て失っては生きている意味がありません」
そして、シノンも。
「ごめんなさい、ディアブロさん。……私、この日常が大好きなんです。たとえ、滅びる運命だとしても、抗いたいんです!」
四人の目には、一点の曇りもなかった。
「……そうか」
ディアブロは、少しだけ嬉しそうに、そして悲しそうに笑った。
(やはり、貴様らは……私の見込んだ強者だ)
「……ならば、道は一つだ」ディアブロの声が、低く沈む。「勝つための、唯一の手段がある」
「あるのか!?」
「ああ。……だが、代償は大きいぞ」
ディアブロは、空を指差した。
「魔界の最奥に、『原初の泉』という場所がある。そこに身を浸せば、器の限界を超えた魔素を取り込み、劇的な進化を遂げることができる」
「進化……?」
「ああ。アリアナ、エルザ、リリィ。貴様らは、竜人に匹敵する力を得るだろう。……そしてシノン。貴様は、その膨大な力を受け止められる、強靭な器を得る」
そして、ディアブロは、残酷な真実を告げた。
「だが、それは人間の枠を捨てるということだ。貴様らは『半魔人』となる」
「「「!!」」」
「二度と、人間には戻れん。 ……それでも、やるか?」
重い沈黙が流れた。人間を辞める。それは、死ぬことと同等の恐怖だったかもしれない。だが、彼女たちの答えは、もう決まっていた。
「……行きます」
アリアナが、グレイの手を握った。
「先生の隣に立つのに、種族なんて関係ありませんから」
「おう! 強くなれるなら、角の一本や二本、安いもんだ!」
エルザが、ゼストにニカっと笑う。
「ふふふ。人間社会のルールに縛られないなら、商売の幅も広がりますね」
リリィが、マモンにウィンクする。
「……私も、なります」
シノンは、ディアブロを見上げた。
「ディアブロさんと、同じ時間を生きられるなら……それがいいです。私、あなたとずっと一緒にいたいから。……だから、あの竜王を倒しても壊れない、頑丈な体をください!」
それは、世界を守るための決意であり、同時に、魔王への『永遠の愛』の誓いでもあった。
「……よく言った」
ディアブロは、満足げに頷いた。
「ならば急ぐぞ。竜人たちが猶予をくれている間に……。貴様らを、最強の戦士へと生まれ変わらせてやる」
ディアブロが手を振ると、空間が裂け、漆黒のゲートが開いた。その先には、禍々しくも神秘的な、魔界の空気が渦巻いていた。
「行くぞ、アベレージ・ワン!」
「「「はいっ!」」」
四人の少女は、振り返ることなく、ゲートへと飛び込んだ。




