第51話 英雄王の出陣
王国の最強戦力であった騎士団長や宮廷魔術師長が、文字通り瞬殺された。
ゴミのように吐き出された彼らの姿を見て、広場を埋め尽くす民衆は、悲鳴を上げることさえ忘れ、凍りついていた。
絶望。その二文字が、重くのしかかる。
『……ほう。これで終わりか?』
上空から、黄金の鱗を持つ古の竜王の声が降ってくる。
『我らを退屈させるために、わざわざ塔を建てさせたわけではないのだがな』
その言葉は、嘲笑ですらなかった。人間という種に対する、純粋な『失望』。それが、民衆の心をさらに抉る。
「……まだだ。まだ、終わっていない……!」
その時。王城の正門が、重々しい音を立てて開かれた。
現れたのは、一騎の白馬。跨るのは、白銀のフルプレートメイルに身を包み、真紅のマントを風になびかせた、一人の騎士だった。その腰には、国宝であり、かつて魔王軍の将軍を討ち取ったとされる伝説の聖剣が帯びられている。
「……お、王様だ!」
「陛下! 国王陛下が出陣されたぞ!」
死に絶えていた広場に、さざ波のような声が広がり、やがて爆発的な歓声へと変わった。
現国王、レオンハルト3世。老いたとはいえ、その体躯は鋼のように強靭で、放たれる闘気は、先ほどの騎士団長すら霞むほど鋭い。彼こそが、この国の『生ける伝説』であり、国民にとっての『最後の希望』だった。
「民よ、顔を上げろ!」
王が、広場の中央で馬を止め、よく通る声で叫んだ。
「我が国は、幾多の苦難を乗り越えてきた! 竜人ごときに屈するほど、ヤワな歴史は歩んでいない!」
王は、馬を降り、東の塔――騎士団長が敗北した場所――の前に立った。
「余が、証明しよう。人間の可能性を。……そして、この国の未来を!」
「うおおおおおおお!!」「陛下! 陛下!」
民衆が熱狂する。その背中を見て、涙を流す者もいた。そうだ。我らには英雄がいる。彼なら、きっと奇跡を起こしてくれる。
◇
路地裏でその様子を見ていた『アベレージ・ワン』の四人も、その熱気に押されていた。
「……すごい気迫」
アリアナが、ゴクリと息を飲む。
「お父様から聞いてはいましたけど……まさか、現役を退いてなお、これほどの魔力を練り上げられるなんて」
「ああ。あのじーさん、只者じゃないぞ」
エルザも、武人として純粋に評価した。
「筋肉の締まりも、立ち姿も、隙がない。……本気だ」
シノンは、じっと王を見つめていた。
(……強い。ディアブロさんや、師匠たちほどじゃないけど……。でも、人間の『限界』まで鍛え上げた、すごい人だ)
だからこそ、シノンは不安だった。相手は、『古の竜人』。生物としての『格』が違う相手に、人間の技術と闘志だけで、どこまで届くのか。
◇
王が、塔の『扉』に手をかけた。
ズズズ……。重厚な石扉が開く。中は、転移魔法の光で満たされており、視界は遮断されている。
「待っていろ。吉報を持ち帰る」
王は、民衆に力強く頷くと、光の中へと足を踏み入れた。
ズンッ。 扉が、閉ざされた。
広場に、緊張した静寂が戻る。先ほどの騎士団長たちは、入ってから数秒で排出された。瞬殺だった。
王はどうだ? 10秒。 20秒。 1分。
「……まだだ! まだ出てこないぞ!」
誰かが叫んだ。扉は閉ざされたままだ。上空の転移魔法陣も、光る気配がない。
3分。 5分。
時折、塔の内部から、微かな振動が伝わってくる。
ドォォォン……! ズガンッ! 激しい衝撃音。魔力がぶつかり合う余波。それは、中で戦いが成立している証拠だった。
「いける……! 陛下なら、いけるぞ!」 「押しているんじゃないか!?」 「頑張れ! 負けるな!」
民衆の祈りが、熱を帯びていく。
時間は、10分を経過しようとしていた。相手は伝説の竜人だ。それと10分以上も渡り合っている。これは、奇跡だ。希望の光が、確かに見えた気がした。
――だが。その『希望』は、あまりにも唐突に、そして無慈悲に断ち切られた。
カッ!!!! 塔の上空に、一際まばゆい閃光が走った。
それは、勝利の光ではなかった。決着を告げる、冷徹なシステムの発動音。
「あ……」
民衆が見上げる中。光の中から、一つの影が吐き出された。
ドサッ。 重苦しい音を立てて、石畳に落下したのは、全身の鎧を粉砕され、片膝をつき、血にまみれた……国王の姿だった。
「へ、陛下……!?」
王は、意識を失ってはいなかった。だが、その瞳からは光が消え、虚空を見つめていた。そして、彼が握りしめていた聖剣は。刀身の半ばから、無残にへし折られていた。
「……か、硬い……」王が、血を吐きながら、掠れた声で呟く。 「……我が剣技の粋を尽くした……流星の一撃すら……。……傷一つ……つけられぬ、とは……」
ガクリッ! 王が、その場に崩れ落ちた。気絶。完全なる、敗北。
「嘘、だろ……」 「聖剣が……折れた……?」 「10分も戦って……傷一つ、つけられなかったのか……?」
希望が高まっていた分、その反動は凄まじかった。広場を包んでいた熱狂が、一瞬で凍りつき、底なしの絶望へと変わっていく。
『……ふむ』
塔の頂上から、対戦相手だった『金剛の竜人』の声が響く。
『人の身にしては、よく動く玩具だった。 ……だが、所詮は『鉄』の棒きれで、我ら金剛の鱗を貫ける道理はない。物理法則を知らぬ、愚かな試みよ』
竜人の言葉は、事実だった。
王は善戦した。英雄としての技を尽くした。だが技が通じる相手ではなかったのだ。圧倒的な種族の壁。蟻がどれほど鍛錬しても、巨象を倒せないように。人間という種族の『限界』が、そこにはあった。
『……見よ』竜王の厳粛な声が、静寂を破った。『この無謀な戦いを巻き起こした張本人は、地に伏した。貴様らの欲望の象徴が、この様だ』
その言葉は、王こそがこの現実の元凶であると示唆していたが、絶望の淵にいる民衆には、まだその真意は届かない。
「ひ、ひぃぃ……」 「終わりだ……。もう、誰も勝てない……」 「神よ……」
人々は膝をつき、泣き崩れた。 最強の騎士団が敗れ、最強の魔術師が敗れ、そして最後の希望である英雄王までもが、手も足も出ずに敗れ去った。 この国に、もう戦える者はいない。
滅び。 その二文字が、現実味を帯びて迫ってくる。
◇
重苦しい沈黙が支配する広場。 だが、その片隅で。 まだ、目に光を宿している少女たちがいた。
「……やっぱり、ダメだったか」
エルザが、悔しそうに拳を握りしめる。
「王様の剣、すごかったけど……。相手が硬すぎたんだ。普通の剣術じゃ、あいつらの『装甲』は抜けない」
「ええ。魔力障壁も桁違いでした」
アリアナが、青ざめた顔で分析する。
「あんな怪物……。今の王国の魔術体系では、傷をつけることすら不可能です」
リリィは、無言で首を横に振った。 「資産の差が歴然です。……これは、勝負になりません」
絶望的な分析。だが、彼女たちは、そこで諦めるという選択肢を持っていなかった。なぜなら、彼女たちには『師匠』がいるから。そして、守るべき『日常』があるから。
「……行くわよ」アリアナが、顔を上げた。「もう、私たちしかいない」
「おう! やってやる!」
エルザが、大剣を担ぐ。
「ふふふ。リスクは高いですが……リターンは莫大ですからね」
リリィが、眼鏡を押し上げる。
シノンは、倒れた王様を見つめ、そして仲間たちを見た。
「……うん。行こう」
絶望に沈む群衆の中、四人の少女だけが、瓦礫を踏みしめ、前へと歩き出した。 竜人の待つ、死の塔へ向かって。




