第9話:公爵夫人は目利きでした
呼び出し状は、ひどく簡潔だった。
——品を見たい。明後日の午後、あなたの目で選んだ三点を持って参られたし。アデライド。
家名も、飾り文句もない。日付と用件だけ。アーロン様はそれを一目見て、「良い注文書の書き方です」と妙な感心の仕方をした。
アデライド老公爵夫人。社交界で最高の目利きと呼ばれる人。夫人が身に着けた物は流行になり、夫人が黙って通り過ぎた店は静かに畳まれる——と、まことしやかに囁かれる人だ。
わたしは工房で半日悩み、三点を選んだ。スズランの髪飾り。蔦のブローチ。それから、編みかけの半端物をひとつ。
「最後のそれは、売り物ではないのでは」
「ええ。でも、途中こそ一番、線の正直が出ますから」
公爵夫人邸は、豪奢というより、静かだった。飾られた物の数は少なく、そのかわり、一つひとつが恐ろしく良かった。
夫人は小柄な人だった。白髪を高く結い、杖を突き、わたしの挨拶を最後まで聞かずに言った。
「口上はいいわ。品を」
検分は、長かった。
夫人は髪飾りを窓の光にかざし、裏を返し、重さを手のひらで量り、耳元で軽く振って音まで聞いた。値踏みの目ではなかった。値踏みなら、実家で散々見た。これは——職人の目だ。
「……線の端の始末は、どこ」
「花の芯に、隠してございます」
夫人の手が、止まった。
長い沈黙のあと、老いた目がゆっくりとわたしを見た。
「エレオノーラの線ね」
心臓が、跳ねた。
「祖母を——ご存じなのですか」
「知っているどころではないわ。わたくしの婚礼の櫛は、あの人の仕事よ。先代王妃様の装身具は、髪から胸元まで、あらかたあの人の線だった」
「王妃様、付き……?」
「あら」夫人は片眉を上げた。「聞いていないの。エレオノーラ・モントレー。先代王妃付きの意匠師。あの頃、宮廷の女で、あの人の花を欲しがらない者はいなかったわ」
祖母が。わたしにこっそり線をくれた、あの静かな祖母が。
わたしは、何も知らなかった。実家では誰も、一度も、祖母の仕事の話をしなかった。母も、父も、あの饒舌な兄でさえも。
「三十年前、あの人はふっつりと宮廷から消えたの。理由は、誰も知らない」
夫人は髪飾りを卓に置き、それから、当たり前のように言った。
「これをいただくわ。今夜、わたくしの夜会に挿していきます」
「よ、夜会に」
「言っておくけれど」杖の先が、こつ、と床を突いた。「わたくしは後ろ盾にはならないわよ。良い物を買って、身に着ける。目利きの仕事は、それだけ」
アーロン様が値を告げた。夫人は、値切らなかった。
その夜の夜会には、先日のサロンと同じ顔ぶれが揃っていた。
イザボー・シャルロワ侯爵夫人の扇が、わたしを見つけて、隣の夫人に何かを囁く。くすくすと、聞こえよがしの笑い。商人の妻に堕ちた、哀れなモントレーの。
——そこへ、アデライド様が入ってきた。
白髪の結い上げに、白銀のスズランが一輪、咲いていた。
広間のお喋りが、さざ波の引くように止んだ。夫人が歩くたび、燭台の光が透かしの隙間を抜けて、細かな光の紋を頬に散らした。
「まあ……アデライド様。そちらのお品は、どちらの」
真っ先に訊いたのは、イザボー夫人だった。
「ヴェルク工房」
アデライド様は、こともなげに答えた。
「あら、ご存じない? 王都でいま、いちばん面白い線よ」
それだけ言って、夫人はわたしの前を通り過ぎ——すれ違いざま、囁いた。
「良い線は、良い線と言われる場所に出しなさい。それだけの話よ」
そこからのことは、正直、よく覚えていない。
サロンでわたしの品を手にも取らなかった奥様たちが、次々と扇の陰から現れて、あの髪飾りと同じものを、いいえ別の花で、うちは娘の分も、と口々に仰った。
「一点ものでございますので」
隣でアーロン様が、恭しく帳面を開いた。
「ご注文の順にお作りします。お名前を頂戴しても?」
列の最後に、イザボー夫人が立っていた。扇で口元を隠したまま、絞り出すように「……わたくしも」と言った夫人へ、アーロン様は完璧な礼を返した。
「かしこまりました。お名簿の、末尾にお加えいたします」
帰りの馬車で、アーロン様は帳面の頁を数え、満足そうに頷いた。
「これは……儲かりますね」
「ふふ。ええ、とても」
わたしは笑って、それから、窓の外の暗い王都を見た。
今夜、わたしは褒められて、一度も身構えなかった。生まれて初めて、かもしれない。はしたない、と燃やされた線を、王都で最高の目が、正面から良いと言った。
なのに——胸の奥で、別の何かが疼いていた。
先代王妃付きの意匠師。宮廷中が欲しがった花。それほどの人のことを、なぜ実家は、まるで居なかったように扱ったのだろう。
おばあさま。あなたは、何者だったのですか。
答えの代わりに届いたのは、翌朝の、ギルドの印章の封書だった。
——ヴェルク工房の製造する銀線細工につき、独占意匠登録への抵触の有無を裁するため、「意匠裁定」の開廷を申し立てる。審理は、公開とする。
「公開、だそうです」
アーロン様が、封書を卓に置いた。
「満座の前で、あなたの線を裁くと」
お読みいただきありがとうございます。第9話、目利きは値切らない、の回でした。梯子を外されたご婦人方には、お名簿の末尾でお待ちいただきます。
それにしても——先代王妃付きの意匠師だった祖母のことを、なぜ実家は誰ひとり語らなかったのでしょう。
次話、公開の「意匠裁定」。満座の前で、クラリスが線を引きます。




