第10話:意匠裁定
その日、ギルド会館の大広間に、人が入りきらなかった。
意匠裁定——登録をめぐる争いを、古参の親方衆の合議で公に裁く、ギルドで一番重い席だ。公開の裁定はずいぶん久しぶりのことらしく、傍聴席は職人と野次馬と商売敵とで埋まっていた。
最前列に、うちの工房が一列に並んでいる。テオバルトさん、ブルーノさん、サシャさん、マルセルさん、そしてピム。ピムはわたしと目が合うと、任せた、と言わんばかりに顎をしゃくった。十四歳に励まされる共同代表である。
その隣に——アデライド様が、当然の顔で座っていた。
「見届けに来ただけよ。買った物の値打ちが、正しく裁かれるかどうか」
壇上に親方衆が並び、その脇の議長席に、ボードワン・グレアムが座っていた。今日も、目だけが笑っていない。
申立て側に立ったのは、査察官のレグルだった。
「申立ての趣旨を述べます。ヴェルク工房の銀線細工は、意匠登録第百十七号『花草文様の器物への彫刻的応用』、ならびに第百三十号『透かし彫りの器物応用』の範囲に含まれる、と」
レグルは、うちの髪飾りをひとつ、証拠品として掲げた。
「彫るか、編むか。手段の違いに過ぎません。花のかたちを銀に写し、透かしの陰影で見せる——その本質において、登録意匠の応用であります」
なるほど、と傍聴席の一部が頷く。言葉の上では、筋が通って聞こえるのだ。言葉の上では。
「反論を」
アーロン様が立った。
「条文を読みます。第百十七号、『彫刻的応用』。——彫刻、とあります。当方の品は、彫っておりません。以上です」
「言葉遊びを」レグルが遮った。「透かしは透かしでしょう」
「では、言葉では埒が明きませんので」
アーロン様は、わたしを見た。
「実物でご説明します。共同代表、どうぞ」
わたしは立ち上がり、運び込んでおいた作業台の布を外した。銀の小板が一枚。銀線の束。鏨と木槌と、焼き鈍しの小さな炉。
「これより、同じスズランを二度作ります。一度は彫りで。一度は、編みで」
「お待ちを。彫りは抵触だと、まさにいま申し立てて」
「売り物ではありません。証拠品です」
アーロン様が即答した。親方衆の誰かが、笑いを噛み殺した。
まず、彫り。小板に下絵を写し、鏨を当て、木槌で打つ。祖母に習った線。テオバルトさんに深さを教わった線。銀の屑が、はらはらと台に落ちていく。
「——彫りは、削る仕事です。地金から、要らないところを引いていく」
わたしは屑を手のひらに集めて、掲げた。
「ご覧の通り、銀が減ります」
次に、編み。銀線を炉で焼き鈍し、柔らかくして、指先で撚り、絡め、花のかたちに起こしていく。台の上には——何も落ちない。
「編みは、起こす仕事です。一本の線が、そのまま花になる。屑は、出ません」
傍聴席の職人たちが、身を乗り出しているのがわかった。理屈ではない。手を持つ人間には、これで通じる。彫りと編みは、逆向きの仕事だ。
出来上がった二輪のスズランを、わたしは並べて見せた。
「引き算の花と、足し算の花。同じ花に見えるなら、それは意匠の力です。技法は、別物です」
親方衆の幾人かが、深く頷いた。レグルの顔色が変わり、手元の書類をめくる。
わたしは最後に、紙を一枚、台に置いた。描きかけのスズラン。茎の途中で、線が止まっている。
「登録帳は三十七冊、花のかたちをたくさんお持ちだそうですね。では、どなたか」
わたしはペンを差し出した。壇上へ。それから、傍聴席の——ギヨーム・ラフォンの方へ。
「この線の続きを、引いてくださいませ」
誰も、動かなかった。
「帳簿は、かたちを持っているだけです。線を引けるのは、手だけ。——盗んだ者に、この線の続きは、引けません」
声は、荒げなかった。ただ、ペンを台に置く音が、静まり返った広間に、こつ、と鳴っただけ。
合議は、短かった。
「裁定を申し渡す。ヴェルク工房の銀線細工は、彫刻的応用にあたらず。第百三十号にも、あたらず。——抵触なし」
傍聴席が沸いた。マルセルさんが吠え、サシャさんが泣き、ピムが「当ったり前でしょ!」と叫んで係の人に窘められた。アデライド様は、扇の陰で満足そうに頷いた。
勝った。わたしたちの線は、守られた。
——そのはず、だった。
「裁定に、異議はございません」
ボードワン議長が、ゆっくりと立ち上がった。
「ただ、本日は記録の正確を期すため、当該登録の原本の名を、正式に読み上げておきましょう。書記」
若い書記が、古い革表紙の帳面を開いた。
「意匠登録原本——『エレオノーラ意匠帳』、全三十七冊。三十年前、当ギルドに寄託。寄託者、B・グレアム」
——エレオノーラ。
広間の音が、遠くなった。あの写しの表紙の、ふた文字の刻印。E.M.。エレオノーラ・モントレー。
「なお、ギルドの記録では」
書記の声が続いた。
「当該意匠師エレオノーラは、寄託ののち規約違反により除名。……ギルドを裏切った罪人として、記録されております」
ボードワン議長は、わたしを見た。目だけ笑わない、あの笑顔で。
「若い方は、勢いがおありだ。三十年前にも、そういう女性がひとり、おりましてなあ」
拍手の消えた広間で、わたしは動けなかった。
最前列で、テオバルトさんが俯いていた。膝の上の、節くれだった両の拳が——白くなるほど、震えていた。
お読みいただきありがとうございます。第10話、裁定は勝ちました。屑の出ない花は、誰にも削れません。
けれど勝った広間で読み上げられたのは、祖母の名前と、「罪人」の記録でした。そして、震えるテオバルトの拳。
次話、職人頭が初めて語ります。三十年前、この工房で何があったのか。




