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白い結婚ですが、旦那様と工房を共同経営しています ~寝室は別、決算は一緒。封じられた没落令嬢の才能に、初めて値が付きました~  作者: 月守いとは


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第5話:開店休業、上等です

「三十年前の網に、かからないもの」


翌朝の工房で、わたしは職人の皆さんに議長室での顛末を話し、それから、一枚の図面を作業台に置いた。


彫りの図面ではない。細い銀の線を、編んで、撚って、絡めて形を作る——透かし細工の設計図。


「銀線細工、です。祖母に習いました。彫刻ではないので『彫刻的応用』の条文にはかかりません。型も使わないので『型の登録』にもかかりません。三十年前の登録簿に、この技法の帳簿は——」


「……ない」


答えたのは、テオバルトさんだった。老職人は図面をじっと見て、それから、深いため息をついた。


「あるわけがねえ。この仕事は、手間ばかりかかって量が作れん。独占するうまみがないんだ。線を引いて、焼き鈍して、編んで、また焼き鈍して。彫りの三倍、手がかかる」


「はい。ですから、量は作りません」


わたしは二枚目の図面を置いた。


銀線で編んだ、スズランの髪飾り。それから、蔦を絡めた小さなブローチ。


「大きなものも、お屋敷の食器棚に並ぶものも作りません。作るのは、身に着けて歩けるものだけ。一つひとつ、手で編んだ一点もの。……ロズヴェル家の婚礼で、うちのスズランを見た方々がいます。あの評判が消えないうちに」


「販路も、ギルドを通しません」


アーロン様が続けた。


「ギルドの卸網は店舗への卸で成り立っています。ならば店舗に卸さない。工房の店先で、直接売ります。加えて——ロズヴェル家の口利きで、新興の商家の奥様方に、内覧の席を設けます。彼女たちは貴族の夜会に呼ばれない。ですが財布は、下手な貴族より厚い」


「はっ。開店休業じゃなかったのかよ」


マルセルさんが笑った。アーロン様は真顔で返した。


「休業中です。店としては。売っているのは店ではなく、工房の軒先ですので」


屁理屈である。最高の屁理屈だと思う。


銀線細工の仕込みが始まると、工房の景色が変わった。


線引き台の前に一番長く座ったのは、意外にも、ブルーノさんだった。無口な炉番の大きな手は、銀線の焼き鈍しの頃合いを一度で覚えた。サシャさんの磨きは細い線の上でこそ冴えた。マルセルさんの鎖組みの指は、そもそも編み仕事のための指だった。


そしてテオバルトさんは、わたしの隣で、三十年前を思い出すように銀線を撚りながら、ぽつりと言った。


「……昔、この仕事ばかりする女職人が、いた」


手が、止まりそうになった。


「編みの最後に、線の端をな、花の芯に隠すんだ。誰にも真似できん癖だった。あんたの図面の、ここの納め方——同じだ」


「それは……」


「仕込みの手を止めるな。線が冷める」


それきり、テオバルトさんは何も言わなかった。わたしも、それ以上聞けなかった。聞いてしまったら、この静かな仕込みの時間が、どこかへ行ってしまう気がした。


内覧の日。工房の軒先に古い長机を出し、白い布を敷き、髪飾りとブローチを二十点、並べた。


来てくれたのは、十四人。ロズヴェル家の家令が声をかけてくれた商家の奥様たち、エリーゼ様の嫁ぎ先のご親戚、それから、噂を聞きつけたという毛織物商の未亡人。


最初の四半刻は、誰も財布を開かなかった。手に取って、眺めて、置く。わたしは値引きを口にしかけて——アーロン様の視線に止められた。


やがて、毛織物商の未亡人が、スズランの髪飾りを持ったまま、ふと言った。


「これ、軽いのね」


「銀線で編んでありますから、彫り出しの半分の重さです。一日挿していても、頭が痛くなりません」


「……あら。あらあら。ちょっと、挿してみてくださる?」


鏡の前で、彼女の髪に白銀の花が咲いた。窓からの光が透かしの隙間を抜けて、頬に小さな光の模様を落とした。


「まあ」と誰かが言った。「まあ!」と別の誰かが言った。


そこからは、あっという間だった。


二十点、完売。夕方を待たずに。


最後のお客様を見送って、軒先の白い布の上に何も残っていないのを見たとき、サシャさんがへなへなと座り込み、ブルーノさんが無言で拳を突き上げ、マルセルさんが「うおおお」と叫びながらサシャさんを揺さぶった。テオバルトさんは、笑わなかったけれど、空になった長机を、ずいぶん長いこと撫でていた。


その夜。工房の帳場で、わたしとアーロン様は帳簿を挟んで向かい合った。


「本日の売上、銀貨百八枚。原価と手間賃を引いて——」


アーロン様のペンが、数字の下に、一本の線を引いた。


「ヴェルク工房、今月、黒字です」


帳簿の上の小さな数字。たったそれだけのものが、滲んで見えた。


はしたない、と燃やされた線が。お遊びだと笑われた線が。今日、十四人の知らない誰かが、お金を払って、身に着けて帰った。


「……儲かりましたね、アーロン様」


「ええ、儲かりました」


顔を上げると、アーロン様が笑っていた。初めて見る、本当の笑顔だった。わたしも笑っていた。夫婦の会話としては、世界で一番色気がないと思う。でも、この言葉はたぶん、わたしたちの「乾杯」なのだ。


——同じ頃。


アーロン様が手配していた、登録簿の写しの束が工房に届いていた。わたしはその晩、何気なく一番上の一枚をめくった。


意匠登録原本目録。原本——意匠帳、全三十七冊。寄託者、B・グレアム。


そして、写し取られた一冊目の表紙の隅に、古い刻印の写しが残っていた。


小さな、飾り文字がふた文字。


——E.M.


誰かの、頭文字かしら。


そのときのわたしは、気にも留めずに頁を閉じたのだった。


お読みいただきありがとうございます。第5話、初めての完売、初めての黒字、初めての「乾杯」でした。ここまでが、ヴェルク工房の開店のお話です。


ところで最後の頁の「E.M.」——三十七冊の意匠帳の表紙に残る、ふた文字。どこかで聞いた頭文字だと思いませんか。わたしはまだ、気づいていません。


次話、浮かれる工房に、招かれざるお客様。お兄様、お帰りはあちらです。


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