第4話:ギルド議長は微笑まない
王都金銀細工ギルド連合の会館は、職人の建物というより、小さな宮殿だった。
磨き上げられた大理石の廊下を、わたしとアーロン様は並んで歩いた。正式照会への出頭。呼び出し状には、議長室へ、とあった。
「クラリス様。ひとつだけ」
扉の前で、アーロン様が言った。
「今日の相手は、怒らせても、泣き落としても動きません。動くのは損得だけです。……ですから、何を言われても、値切られている、と思ってください」
「値切り、ですか」
「ええ。あなたの値段は私が知っています。相場より、はるかに上です」
この人は、こういうことを、励ましのつもりでもなく言う。だから効く。ずるいと思う。
議長室の主は、暖炉の前の大きな椅子で、わたしたちを待っていた。
「ようこそ、ヴェルク工房のお二人。議長のボードワン・グレアムです」
銀髪を綺麗に撫でつけた、恰幅のいい老紳士だった。声は柔らかく、握手は丁寧で、勧められた茶は上等だった。そして、目だけが、最初から最後まで笑っていなかった。
「早速ですが」アーロン様が書面を広げた。「照会のあった意匠登録第百十七号。条文を確認しました。『花草文様の器物への彫刻的応用』——この定義は、あまりに広い。これでは王都で花を彫れる工房が、登録保持者以外になくなります」
「ええ、ええ。よくご存じで」
ボードワン議長は、悪びれもせずに頷いた。
「実際、そうなっております。花草文様は当ギルド連合の預かり。百十七号だけではありませんぞ。鳥獣文様が百二十一号、幾何文様が百二十四号、透かし彫りの器物応用が百三十号……登録は全部で三十七帳簿。王都の銀細工の『かたち』は、あらかた登録済みです」
「では新規の工房は、何を彫れば?」
「登録保持工房から、型の使用許可を買えばよろしい」
議長は、初めて笑った。目は笑わないままで。
「使用料は売上の四割。ああ、それと、許可には推薦工房の口添えが要ります。たとえば、ギヨーム工房などは面倒見がよろしいですよ」
つまり、こういうことだ。彫れば抵触。彫りたければ、上前を四割納めて、横取りの常習犯に頭を下げろ。
「規則は、皆様をお守りするためにございます」
ボードワン議長は、茶を一口飲んで、静かに続けた。
「ええ、『皆様』を」
守られている「皆様」の中に、わたしたちは入っていない。
「一週間差し上げましょう。使用許可を申請なさるか、金物でも打って穏やかに暮らされるか。……ときに、奥方は旧モントレー侯爵家のお嬢様とか。貴族の奥方が鏨を握るなど、世が世なら醜聞だ。ご実家のためにも、悪いことは申しません」
帰りの馬車で、わたしはずっと、膝の上の拳を見ていた。
悔しい、より先に、怖かった。あの部屋には、実家の応接間と同じ匂いがした。おまえの線には価値がない、と当たり前の顔で言う場所の匂い。
「……わたしの線は、また、閉じ込められるのですね」
口に出すつもりはなかったのに、こぼれた。
「条文で、届かないところに」
「クラリス様」
アーロン様は、窓の外を見たまま言った。
「本日の面談の収穫を報告します。第一に、敵の顔と手口がわかりました。第二に——」
彼は懐から、書き写した登録一覧を出した。
「この登録簿、古すぎます」
「……古い?」
「三十七帳簿、ほぼすべての登録年が同じでした。今から三十年前。以後、大きな追加がない。つまりあの網は、三十年前のある時期に、誰かが一度にまとめて張ったものです。三十七冊分の意匠を、一人の議長が? 妙でしょう」
灰色の目が、こちらを向いた。
「網が古いなら、目が粗い。三十年前にまだ無かったもの、条文の書き手が知らなかったものは、網にかかりようがない。……探しましょう。それまで工房は開店休業。結構。休業中の帳簿は軽くて助かります」
強がりなのか本気なのか、わからない言い方だった。たぶん両方なのだと思う。
その晩、わたしたちは食卓で契約書を広げた。アーロン様が新しい条項を書き足す。
第七条。工房の存続に関わる危機においては、両代表は互いに一切の隠し事をしない。
「……第七条、追加の理由を伺っても?」
「本日、馬車の中のあなたは、何かを一人で抱える顔をしていました。共同経営において、代表の抱え込みは、経営上の最大の危険です」
「まあ。では、アーロン様も隠し事はなしですよ」
「私は元々、隠すほどの中身がありません」
——後に、この言葉が盛大な虚偽申告だったと知るのだけれど、それはまだ先の話。
わたしはペンを取り、第七条の下に署名した。契約書の条項がひとつ増えるたび、なぜだろう、この白い結婚は、少しだけ白くなくなっていく。
お読みいただきありがとうございます。微笑まない議長、ボードワン・グレアム登場です。彫れば抵触、彫りたければ四割——これが王都の銀細工の「規則」。
でも旦那様は見つけました。「この登録簿、古すぎる」。三十年前に一度に張られた網には、かかりようのないものがある。——次話、祖母直伝の「あの技法」の出番です。開店休業、上等です。




