表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い結婚ですが、旦那様と工房を共同経営しています ~寝室は別、決算は一緒。封じられた没落令嬢の才能に、初めて値が付きました~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/13

第2話:傾いた工房と、錆びた看板

翌朝、わたしたちは工房へ向かった。夫婦の初めての外出が視察である。


職人街の石畳を進んだ角、川沿いの古い建物に、その看板は掛かっていた。


——ヴェルク工房。


彫りは見事だった。銀の鎚と燭台をあしらった、いい仕事だ。ただし、錆と煤で、通りからはほとんど読めない。


「看板を磨かないのですか」


「磨く理由がありませんでした。客が来ないので」


アーロン様は平然と言って、扉を開けた。


中は、静かだった。工房というものは、もっと火と金槌の音がするものだと思っていた。炉には火が入っておらず、作業台は四つのうち二つに白い布が掛かっている。飴色の道具箱だけが、妙に手入れよく並んでいた。


職人は、四人。


炉番のブルーノさんは、腕組みしたまま挨拶もしない大きな人。磨きのサシャさんは、若くて、おどおどとわたしとアーロン様を見比べている。鎖組みのマルセルさんは、あからさまに欠伸をした。


そして、一番奥の作業台に、その人はいた。


「職人頭のテオバルトです」


アーロン様が紹介しても、老職人は顔も上げなかった。白いものの交じった髪、節くれだった大きな手。その手が、小さな銀の欠片を、祈るような正確さで磨いている。


「頭。今日から共同代表が二人になります。意匠と製作はこちらの」


「聞いてる」


テオバルトさんは、初めて顔を上げた。岩みたいな目だった。


「貴族の奥方サマの、お遊びだろう。旦那が女房に習い事をさせる場所を探した。うちは道具が揃ってるからな。……なあ奥方様、銀ってのは女中に磨かせる食器のことじゃねえんですよ」


「頭」


「いいんです、アーロン様」


遊び。お遊び。慣れた言葉だ。実家で二十二年、聞いて育った。


わたしは工房を見回した。冷えた炉。布を掛けられた作業台。それでも床には削り屑ひとつ落ちていなくて、道具は今日も研がれている。


——この人たちは、諦めた顔で、諦めていない。


「注文は先月ゼロと聞きました。今、仕事は何も?」


「……一件だけ、修理をお預かりしています」


答えてくれたのはサシャさんだった。マルセルさんが「おい」と睨む。サシャさんは首をすくめながらも、奥から小箱を持ってきた。


古いブローチだった。銀の葡萄蔓の意匠。蔓が三箇所で折れ、実の粒も二つ欠けている。


「近所のお婆さんの、旦那さんの形見だそうです。でも、これ、直すには蔓を全部作り直すしかなくて。そうすると別物になっちゃうから、値段も付けられなくて、ずっと」


「見せてください」


手に取ると、蔓の折れ口が黒く古びていた。ずいぶん前に折れたのだ。それでも捨てずに、直してくれる工房を探した人がいる。


わたしは帳面を借りて、ペンを走らせた。


折れた蔓は継がない。折れ口を「節」に見立てて銀線を巻き、そこから新しい蔓をひと筋、伸ばす。欠けた実の位置には、小さな花をひとつ。古い部分は古いまま生かして、折れた場所から先だけが、続きの物語になる。


「——継ぐんじゃなくて、伸ばすんです。形見に、続きを作るんです」


図面を差し出すと、サシャさんが覗き込み、あ、と小さな声を出した。ブルーノさんの腕組みが解けた。マルセルさんが欠伸の口を閉じ損ねたまま固まった。


そして。


テオバルトさんの手から、磨き布が落ちた。


老職人は図面を引ったくるように取り、穴が開くほど見つめた。岩みたいな目が、揺れていた。


「……あんた」


低い声だった。


「この線、どこで習った」


「祖母に。……わたしが十二の年に亡くなりましたけれど、それまで、こっそり」


「名前は」


「え?」


「祖母さんの、名前は」


「エレオノーラ……エレオノーラ・モントレーです」


工房が、しんとなった。


テオバルトさんは何かを言いかけて——やめた。図面をわたしに突き返し、背を向けて、自分の作業台に戻ってしまう。


「頭?」


「……ブローチは、その図面でやる。サシャ、銀線を引け。ブルーノ、炉に火を入れろ」


ぶっきらぼうな声に、けれど職人たちは弾かれたように動き出した。何ヶ月ぶりかも知れない炉の火が、ふいごの音とともに目を覚ましていく。


アーロン様がわたしの隣に立った。


「初日で職人頭を動かしましたね。査定を上方修正します」


「……あの方、祖母を知っているのでしょうか」


「さあ。ですが、覚えておいてください。あの世代の銀細工師が名前だけで手を止める相手は、そう多くありません」


その日の帰り際、道具を仕舞いに工房の奥へ入ったわたしは、見てしまった。


テオバルトさんが、古い木箱の底から、色褪せた図面の束を出して——わたしの帳面の頁と、並べて見比べていたのを。


声はかけられなかった。ただ、その背中が、泣いているように見えた。


お読みいただきありがとうございます。錆びた看板の下で、最初の仕事は「形見に続きを作る」修理でした。


職人頭テオバルトが手を止めた「エレオノーラ」の名前。彼が木箱に仕舞っていた古い図面。——この工房、ただの潰れかけではなさそうです。


次話、横取りされていた大口注文が、納期三日で舞い込みます。工房、初めての勝負です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ