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恵の物語  作者: リンダ


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戻った軽さ

 第48話

 第11章 戻った軽さ


 完全休養を取った翌朝、恵はいつものように目覚まし時計が鳴る少し前に目を覚ました。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が部屋をやさしく照らしている。


 布団の中で深呼吸をしてから、恵はゆっくりと右足を床へ下ろした。


 昨日まで感じていた張りがない。


 恐る恐る体重を乗せてみる。


 違和感はない。


 さらに一歩踏み出し、もう一歩歩いてみる。


 思わず立ち止まり、小さく笑みがこぼれた。


「……軽い」


 昨日とはまるで違う。


 痛みはもちろん、重さも感じない。足首だけでなく、体全体から疲れが抜け落ちたような感覚だった。


 昨日は何もしなかった。


 跳ばなかった。


 走らなかった。


 筋力トレーニングも行わなかった。


 それなのに、体は昨日より確実に良くなっている。


「休むって、本当に体が仕事をしてる時間なんだ……」


 恵は独り言のようにつぶやいた。


 階下へ降りると、朝食の準備をしていた雪が振り返った。


「おはよう。足はどう?」


 恵は少し歩いてみせる。


「昨日より全然軽い」


 雪は安心したように微笑んだ。


「良かったね」


「でも、今日も自分では決めない」


「うん?」


「今日は今日の脚で判断する」


 雪は満足そうにうなずいた。


「その言葉が出るようになっただけでも、大きな成長だね」


 恵は朝食を食べながら、自分でも不思議な気持ちになっていた。


 以前なら、少しでも良くなれば無理をして練習していたはずだ。


 しかし今は違う。


 体の声を聞くことも競技の一部だと、少しずつ理解できるようになっていた。


 *


 リハビリ施設へ到着すると、寄子コーチと理学療法士が迎えてくれた。


「おはよう。調子はどう?」


「昨日より軽いです」


「自分では何点くらい?」


「八十点くらいです」


「満点じゃないんだね」


 恵は笑った。


「今日は今日の脚で判断します」


 寄子はその言葉を聞き、静かにうなずいた。


「それでいい」


 可動域の確認が始まる。


 足首をゆっくり曲げる。


 伸ばす。


 左右へ動かす。


 筋肉の張りも前日より明らかに減っていた。


 理学療法士は記録を見ながら言った。


「いい反応ですね」


 寄子も笑顔になる。


「今日は予定どおり、一センチを数回だけやってみよう」


 恵は小さく息を吐いた。


「はい」


 マットの中央へ立つ。


 肩の力を抜く。


 呼吸を整える。


 膝を軽く曲げ、床からほんの一センチだけ体を浮かせた。


 ふわり。


 静かに着地する。


 右足首は安定していた。


 もう一回。


 さらにもう一回。


 無理はしない。


 高さは昨日までと同じ。


 回数も少ない。


 それでも恵は、前日とは明らかに違う感覚を覚えていた。


「軽い……」


 思わず口から漏れる。


「昨日より動きが自然になってる」


 寄子は穏やかに言った。


「休んだから戻ったんだよ」


 恵は何度も右足首を見つめた。


 昨日は何もしていない。


 それなのに、体はちゃんと回復していた。


 休むことは後退ではない。


 前へ進むための準備だった。


 その意味を、ようやく体で理解することができた。


 *


 一方その頃、海外合宿中の光希も朝のメディカルチェックを受けていた。


 右膝の違和感はほとんど消えている。


 ラーシュコーチは動きを確認すると、小さくうなずいた。


『今日は助走確認だけ再開する』


 光希はほっとした表情を浮かべた。


『ただし無理はしない』


「分かっています」


『昨日休んで損したと思うか』


 光希は首を横に振った。


「いいえ」


『なぜだ』


「体が昨日より軽いからです」


 ラーシュは満足そうに笑った。


『休養は失った時間ではない』


『体がお前の知らないところで仕事をしていた時間だ』


 光希は静かにうなずいた。


 見えないところで体は回復している。


 焦って動かなくても、未来へ向けた準備は続いている。


 そのことを、自分の膝が教えてくれていた。


 *


 午後の授業が終わり、恵は教室で荷物をまとめていた。


 その時、スマートフォンが軽快な通知音を鳴らす。


 画面を見ると、見慣れたグループ名が表示されていた。


『M&Y・美香 新作動画』


「また何かやってる」


 恵は思わず笑いながら再生ボタンを押した。


 画面いっぱいに映し出されたのは、真夏の駅の改札口だった。


 光子は汗だくの自動改札機役、優子は残高不足で改札を通れない女子高生役、美香は冷静な駅員役で登場する。


 優子がICカードをタッチすると、改札機役の光子が力なく声を上げた。


「もう無理たい……今日は五百万人も通したばい……」


 その瞬間、恵の肩が震えた。


 優子は慌てる様子もなく胸を張る。


「気持ちは十分チャージしとるんです」


 改札機は沈黙する。


「愛なら満タンです」


 改札機が首を横に振る。


「青春ポイントじゃ通れませんか」


 そこへ駅員役の美香が真顔で近づいてきた。


「青春ポイントは改札では使えません」


 一拍置いて続ける。


「恋愛改札ができましたら、最初にご案内します」


 すると改札機役の光子まで便乗した。


「恋愛改札なら、そげん人ば毎日引っかけるばい」


 そこで優子が真顔で言い返す。


「じゃあ定期券作ります」


 美香が吹き出し、光子まで笑い始める。


 撮影は完全に止まり、三人ともしゃがみ込んで笑い転げていた。


「もう撮り直し無理ー!」


 動画はそこで終了した。


 恵は笑いをこらえようとしたが、どうしても我慢できなかった。


「青春ポイントって何よ……」


 思い出しただけでまた吹き出す。


 腹筋が痛い。


 目には涙が浮かんでいた。


 その様子を見ていたクラスメートまで笑い始める。


「恵、そんなに面白い動画だったの?」


「だめ……見たら分かるから……」


 帰宅後、雪にも動画を見せると、雪も肩を震わせながら笑った。


「この三人、本当に天才だね」


 恵は涙を拭きながら笑顔で答えた。


「今日一番効いたリハビリだったかもしれない」


 体が軽くなり、思いきり笑えるようになった。


 その笑顔こそ、回復が順調に進んでいる何よりの証だった。


 第48話 終

 次章予告


 第12章「二センチへの挑戦」


 一センチの跳躍を安定して行えるようになった恵。


 寄子コーチは、いよいよ次の段階を告げる。


「今日は二センチに挑戦してみよう」


 たった一センチの違い。


 しかし今の恵にとって、その差は大きな壁だった。


 一方、光希も助走距離をわずかに伸ばし、次のステップへ進む。


 焦らず、一歩ずつ。


 積み重ねた小さな成功が、再び空へ向かう力になっていく。

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