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恵の物語  作者: リンダ


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帰国

第72話 帰国



夕暮れ。


恵と光希は、近所へ挨拶に出かけていた。


家の中には、雪一人。


仏間には、層一の遺影が静かに微笑んでいる。


雪は座布団に正座し、ゆっくりと線香を供えた。


細く立ちのぼる煙を見つめながら、小さく語りかける。


「そうちゃん……。」


「今日ね、めぐが婚約を報告したよ。」


「三冠も取って、本当に立派になった。」


「あなたが生きていたら、どんな顔をして喜んでいただろうね。」


遺影は、あの日のまま優しく笑っている。


雪も、そっと微笑んだ。


「あなたがいなくなってからね。」


「再婚のお話も、何度かあったの。」


「ありがたいことに、皆さん本当に優しい人だった。」


少し間を置く。


「でも、ごめんなさい。」


「私には無理だった。」


「生涯をかけて愛した人は、あなただけ。」


「層一だけだった。」


雪の頬を、一筋の涙が伝う。


「だから、一人でめぐを育てるって決めた。」


「大変だったけど、不思議と後悔はなかった。」


「あなたとの約束を守っているような気がしていたから。」


静かな部屋に、時計の音だけが響く。


雪は遺影を見つめた。


「めぐも、これからは光希くんと二人で歩いていく。」


「もう私は安心して見送れる。」


少し笑ったあと、その笑顔が少しだけ寂しそうに揺れる。


「でもね……。」


「正直に言うと……。」


「あなたに会いたい。」


「もう一度だけでいい。」


「あなたの声を聞きたい。」


「『雪、お疲れさま』って言ってほしい。」


涙が止まらない。


「私、頑張ったでしょう……?」


「ちゃんと、お母さんできたでしょう……?」


しばらく俯いたまま涙を流していた雪だったが、やがて涙を拭き、静かに顔を上げた。


「まだ、そっちへ行くわけにはいかないね。」


「めぐたちの幸せも見届けたいし、その先に生まれてくる子どもたちの笑顔も見たい。」


「だから、もう少しだけ頑張るよ。」


そう言って手を合わせた、その時。


窓の外から、やわらかな風が吹いた。


カーテンがふわりと揺れ、線香の煙が穏やかに天へ昇っていく。


雪はそっと微笑んだ。


「ありがとう、そうちゃん。」


「もう少しだけ待っていてね。」


「いつか会えたら、その時はまた、昔みたいに二人で笑おう。」


仏間には、夕陽のぬくもりと、穏やかな静けさが満ちていた。



閉会式のテレビ中継。


恵の左手薬指に光るリングを、世界中のカメラが捉えた。


日本中で「ひょっとして」と話題になり、二人は予定を早めて婚約を正式発表。


そして翌日――


日本選手団を乗せた飛行機は、日本へ向けて飛び立つ。


成田空港。


到着ロビーには、大勢のファンと報道陣。


「恵選手、おめでとうございます!」


「光希選手、婚約おめでとうございます!」


「メダルラッシュ、おめでとう!」


二人は笑顔で帰国報告を行う。


続く合同記者会見では、


オリンピックの激闘を振り返りながら、


婚約についても正式に報告。


「競技が終わってから、光希さんがプロポーズしてくれました。」


「これからも競技者として、そして人生のパートナーとして支え合っていきます。」


祝福の拍手が会場を包む。


その後、二人は北海道へ。


旭川空港では、


地元の人たちが横断幕を掲げ、


「おかえり!」


「三冠おめでとう!」


「婚約おめでとう!」


熱烈な歓迎が二人を迎える。


笑顔と拍手。


花束。


子どもたちの歓声。


故郷の温かさが、世界一になった二人を優しく包み込む。


そして上川の家へ。


静かな仏間。


恵は母・雪と並んで正座し、


父・層一の遺影へ向かって静かに語りかける。


「お父さん、ただいま。」


「三冠、取れたよ。」


「みんなのおかげで、最後まで飛べた。」


少し涙ぐみながら、


左手の薬指をそっと見せる。


「それからね、お父さん。」


「光希と婚約したよ。」


「この人と、一緒に生きていく。」


雪も遺影へ微笑みかける。


「そうちゃん。」


「めぐ、本当に幸せそうでしょう。」


「あなたが見守ってくれたから、ここまで来られたんだよ。」


その時――


窓の外では、やわらかな雪が静かに降り始める。


恵は微笑みながら空を見上げる。


「お父さん。」


「ちゃんと届いたよね。」


一方、光希も両親とともに上川家を訪れる。


玄関で深く頭を下げる。


「恵さんとの婚約を認めていただき、本当にありがとうございます。」


「必ず幸せになります。」


雪は優しく微笑む。


「幸せにしてあげる、じゃないよ。」


「二人で幸せになるんだよ。」


光希は力強く頷く。


「はい。」


そして層一の遺影の前でも深く一礼する。


「層一さん。」


「これからは、恵と二人で歩いていきます。」


「どうか見守っていてください。」


静かな部屋に、線香の香りが広がる。


姿は見えなくても、


父へ届けたかった言葉は、


きっとあの日の雪とともに届いていた。


次回、


第42話 お父さんへの報告


父へ届ける「ただいま」。


そして、新しい家族として歩き始める第一歩が描かれる。

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