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恵の物語  作者: リンダ


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追われる者の覚悟

『恵の物語』

 第27話 追われる者の覚悟


 インスブルックオリンピックまで、残り一年半。


 世界は、明らかに変わり始めていた。


 女子ジャンプでは、上川恵が標的になっていた。


 各国のコーチ陣は、恵の映像を何度も止め、拡大し、分析していた。


 踏切りの角度。

 空中姿勢への入り。

 腕の開き方。

 腰の残し方。

 着地前の膝の準備。


 だが、恵は焦らなかった。


 真似されることは、もう怖くなかった。


「見られてるってことは、強い証拠だべ」


 そう笑えるようになっていた。


 けれど、それは余裕ではない。


 覚悟だった。


 追われる者は、止まった瞬間に抜かれる。


 だから恵は、勝った翌朝も走る。

 表彰台の翌日もフォームを見直す。

 世界一と呼ばれても、体の線を研ぎ続ける。


 コスキネンが言う。


「世界一になるより、世界一であり続ける方が難しいべ」


 恵は静かに頷いた。


「んだ。だから今日も見るべ」


 一方、日本代表候補たちにも変化が出始めていた。


 高田空は、踏切りでの力の逃がし方をつかみ始めた。


 早川美澄は、風の変化を読むのが早くなった。


 北野紗英は、着地前の膝の準備が安定した。


 三枝莉央は、飛距離よりも飛型点を落とさない強さを身につけた。


 以前なら、恵との差に沈んでいた選手たちが、少しずつ自分の武器を見つけていた。


 国際大会。


 高田空、三位。


 早川美澄、二位。


 北野紗英、初表彰台。


 そしてある大会では、三枝莉央が強風の中で粘り、ついにワールドカップ初優勝を飾った。


 恵は、その表彰台を下から見ていた。


 悔しさもあった。


 でも、それ以上に嬉しかった。


「やったべ、莉央」


 莉央は泣きながら言った。


「恵の真似じゃなくて、自分の飛びで勝てた」


 恵は笑った。


「それが一番強いべ」


 コスキネンも目を細める。


「吸収した者が、変わり始めたべ」


 ノルディック複合では、光希とフェリックス・アドラーの戦いが熱を帯びていた。


 ジャンプで光希が先行する日もあれば、フェリックスがクロカンで追いつく日もある。


 ラスト一キロ。


 何度も並んだ。


 何度も抜き合った。


 ある大会では光希が勝った。


 別の大会ではフェリックスが勝った。


 二人は、互いを最大のライバルとして認めていた。


 フェリックスが言う。


「ミツキ。君は最後まで落ちなくなった」


 光希は息を整えながら笑う。


「まだ落ちるべ。落ちる前にごまかしてるだけだべ」


 フェリックスは笑った。


「それが強いんだ」


 光希も言い返す。


「お前のラスト一キロ、ほんと嫌になるべ」


「褒め言葉として受け取る」


「褒めてないべ」


 二人は握手した。


 その様子を見た海外メディアは、二人をこう呼び始めた。


 ラスト一キロの宿敵。


 ラーシュは満足そうに頷いた。


「いいライバルは、コーチ一人分の価値がある」


 光希は笑った。


「フェリックスに聞かせたら調子乗るべ」


 日本代表全体にも、笑いと観察の文化は根付いていた。


 遠征先のミーティング。


 コスキネンが一枚の写真を出す。


「今日のお題。凍った湖と、春を待つ白鳥」


 代表候補たちが一斉にうなる。


「また来た……」


 でも、以前とは違う。


 もう誰も、ただ固まるだけではなかった。


「湖は動けないけど、白鳥は飛べる」

「でも湖は空を映せる」

「春を待つ者同士の会話にできる」

「そこから風の待ち方に繋げられるかも」


 選手たちの目が、変わっていた。


 写真を説明するだけではない。


 関係を作る。

 違いを見る。

 自分の競技に置き換える。


 恵はその様子を見て、静かに笑った。


「みんな、変わってきたべ」


 光希も頷く。


「うちらだけの武器じゃなくなってきたな」


 それは、少し怖いことでもあった。


 チーム全体が強くなれば、代表争いも激しくなる。


 味方であり、ライバル。


 でも、それでいい。


 オリンピック代表は、仲良しだけでは掴めない。


 高め合う者だけが、最後に残る。


 ある夜。


 恵は札幌の部屋で、ノートを開いていた。


 ページには、びっしりと文字が並んでいる。


 追われる者の覚悟


 一、真似されることを恐れない。

 二、自分の変化を止めない。

 三、仲間の成長を喜ぶ。

 四、でも勝負では譲らない。

 五、最後まで見る。


 恵は、最後にもう一行書いた。


 世界一であり続けるとは、毎日少しずつ昨日の自分を捨てること。


 胸元の鈴が、ちりんと鳴った。


 その時、光希からメッセージが届く。


 フェリックスにまた負けた。でも最後の坂、前より詰めたべ。


 恵は返信する。


 次は勝つべ。


 すぐに返事が来た。


 んだ。インスブルックで勝つべ。


 恵は笑った。


 インスブルック。


 その言葉が、少しずつ現実味を帯びてきていた。


 カフェ雪では、雪がテレビのスポーツニュースを見ていた。


 恵だけでなく、空、美澄、紗英、莉央の名前も流れる。


 光希とフェリックスの接戦も映る。


 雪は層一の遺影に話しかけた。


「そうちゃん、めぐだけじゃなくて、日本のみんなも強くなってきたよ」


 少し笑う。


「追われるのは大変だけど、めぐは楽しそうだね」


 画面の中の恵は、表彰台の横で仲間に拍手を送っていた。


 その姿に、雪は目を細めた。


「いい顔してる」


 追われる者の覚悟。


 それは、孤独に頂点を守ることではなかった。


 追ってくる者を認めること。

 仲間の成長を喜ぶこと。

 それでも勝負では譲らないこと。


 世界一であり続けるために、恵は今日も変わる。


 光希もまた、フェリックスという巨大な壁に挑み続ける。


 そして日本代表は、少しずつ、チームとして強くなっていく。


 インスブルックまで、あと一年半。


 物語は、さらに熱を帯びていく。


 次回予告


 代表争いが激しさを増す中、恵は自分の身体の変化に新たな違和感を覚える。


 体を研いだことで飛びは鋭くなった。


 しかし、疲労の抜け方が以前と違う。


 一方、光希はフェリックスとの連戦で消耗が蓄積し、初めて「休む勇気」を問われる。


 勝ち続けるために必要なのは、練習だけではない。


 次回、

 第28話 休む勇気


 立ち止まることも、前へ進むための技術だ。

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