夏空へ跳べ
『恵の物語』
第55話 夏空へ跳べ
夏のジャンプ台は、冬とは違う顔をしていた。
白い雪はない。
代わりに、緑の山肌と、青い空と、強い日差しがある。
サマージャンプ国際大会。
世界のトップ選手たちが、冬の本番へ向けて新しいフォームを試す場。
その大会で、恵は一人だけ抜きんでていた。
助走。
踏切。
空中姿勢。
すべてが静かだった。
無理に飛距離を取りにいかない。
けれど、誰よりも遠くへ伸びる。
実況が叫ぶ。
「上川恵、また大ジャンプ!夏の大会とは思えない完成度です!」
解説も唸る。
「体の線を絞りながら、筋力を落としていません。空中での抵抗が減り、姿勢の入りが明らかに速くなっています」
結果は圧勝。
国内のオリンピック代表争いでは、恵が頭一つどころか、二つ三つ抜け出した形になった。
だが、表彰式を終えた恵の顔には、わずかな影があった。
その夜。
ミーティングルーム。
女子ジャンプ代表候補たちが集まっていた。
恵も座っている。
高田空。
早川美澄。
北野紗英。
三枝莉央。
みんな努力している。
真面目に練習している。
でも、結果が伴っていなかった。
海外勢は伸びている。
北欧勢も、カナダ勢も、オーストリア勢も、恵型ジャンプを吸収し、それぞれの形へ進化させている。
一方、日本の同年代の選手たちは、恵との差を縮められていなかった。
コスキネンコーチは、腕を組んだまま、厳しい顔で言った。
「このままでは、恵以外、オリンピック代表なんて無理だべ」
空気が凍った。
恵も顔を上げる。
コスキネンは続けた。
「恵の真似をしろとは言わない。体も、筋力も、感覚も違うから」
一拍。
「でも、吸収すべきところを吸収しないなら、あなたたちのこの先はないよ」
美澄が唇を噛む。
紗英が視線を落とす。
莉央は手を強く握っていた。
コスキネンの言葉はきつい。
けれど、嘘ではなかった。
海斗も静かに言う。
「恵は経験を隠していない。オリンピックで何を見たか、ワールドカップでどう修正したか、全部話している」
寄子が続ける。
「でも、聞くだけでは変わらない。自分の体で試して、自分の言葉にしないと」
恵は、ゆっくり口を開いた。
「うちは、みんなに置いていきたいわけじゃないべ」
その声は静かだった。
「一緒に強くなりたい。団体で戦う時もある。海外勢に囲まれても、日本は恵だけじゃないって言いたい」
空が顔を上げる。
恵は続ける。
「でも、うちの話を聞いて“なるほど”で終わったら、何も変わらないべ。自分の台で、自分の風で、自分の体で試さないと」
しばらく、誰も喋らなかった。
やがて空が小さく言った。
「……悔しい」
恵は頷く。
「悔しいなら、まだ伸びるべ」
コスキネンも静かに言った。
「悔しさを、練習に変えるべ」
一方、ノルディック複合。
光希は、海外勢とのデッドヒートを繰り広げていた。
最大のライバルは、ドイツのフェリックス・アドラー。
高地トレーニング後の光希は、明らかに変わっていた。
後半のスピードが落ちない。
ラスト一キロで、以前なら離されていたところを、今は食らいつける。
だが、フェリックスもまた強かった。
登坂力。
ラストスパート。
そして、勝負どころで迷わない精神力。
国際大会の決勝。
ラスト一キロ。
フェリックスが横に並ぶ。
「ミツキ」
光希は苦しい呼吸の中で横を見る。
フェリックスが笑った。
「次は最後の一キロで勝負しよう」
光希も笑った。
「今もしてるべ」
フェリックス
「なら、ここから本番だ」
二人が同時に加速する。
観客席が沸く。
実況
「アドラーと青柳!完全に一騎打ちです!」
解説
「光希、後半の落ちがなくなりましたね。高地トレーニングの成果が出ています」
最後の坂。
フェリックスがわずかに前へ出る。
光希は離されない。
雪ではない夏のコースでも、彼は“見る”ことを忘れない。
相手の肩。
ストックの角度。
呼吸の乱れ。
地面の反発。
フェリックスの右肩が、ほんの少し上がった。
(ここだべ)
光希は内側を取り、最後の直線へ入る。
二人並んでゴール。
結果は、フェリックスがわずかに先着。
光希は二位。
悔しさに膝をつく。
フェリックスが手を差し出した。
「強くなったな」
光希はその手を握る。
「次は勝つべ」
フェリックスは笑った。
「楽しみにしている」
夜。
恵と光希は、宿舎の外で夏の空を見上げていた。
恵は金メダル。
光希は銀メダル。
結果としては悪くない。
でも、二人の胸にはそれぞれ違う課題が残っていた。
恵
「うち、日本の仲間にも強くなってほしいべ」
光希
「フェリックス、強いべ」
恵
「海外はどんどん吸収してくる」
光希
「こっちが止まったら、一瞬で抜かれるべな」
恵は頷いた。
「んだ。勝ってても、怖いべ」
光希
「負けても、伸びるべ」
二人は少し笑った。
その時、スマホが鳴る。
光子、優子、美香からだった。
光子
「夏空へ跳んだらしかね!」
優子
「光希くんも、ドイツのライバルとバチバチやん!」
美香
「でも顔が二人とも“課題見つけました”って顔しとるな」
恵が苦笑する。
「バレるべか」
美香
「バレるよ。勝った人の顔やなくて、次の宿題見つけた人の顔や」
光希
「宿題多すぎるべ」
優子
「世界で戦う前に、まず宿題と戦え、たい」
光子
「そのうち“フェリックスと光希のラスト一キロ漫才”作れるばい」
光希
「やめてください」
恵は笑った。
でも、その笑いで少し肩の力が抜けた。
強くなることは、苦しい。
でも、笑えるなら続けられる。
夏空の下で、恵と光希はまた次を見た。
次回予告
サマージャンプで圧倒的な強さを見せた恵。
しかし、国内女子ジャンプ陣の停滞に危機感が広がる。
コスキネンは代表候補たちへ、さらに厳しい課題を出す。
「恵の何を見て、何を自分に変えるのか」
一方、光希はフェリックス・アドラーとのライバル関係を深め、国際大会で何度も優勝争いを繰り広げる。
次回、
第26話 吸収する者、止まる者
強くなる選手は、真似で終わらない。




