レポート地獄と母の荷物
『恵の物語』
第19話 レポート地獄と母の荷物
世界選手権の代表選考会を終えてから、恵と光希の日々は一気に慌ただしくなった。
大学の講義。
真駒内での練習。
強化合宿の予定調整。
栄養学の課題。
バイオメカニクスのレポート。
実技試験。
恵は机に突っ伏した。
「……ジャンプ台よりレポートの方が怖いべ」
光希も隣でノートパソコンを開いたまま、目が死んでいた。
「クロカン十キロの方がまだ分かりやすいべ」
世界で戦う前に、提出期限が立ちはだかっていた。
⸻
そんなある日。
久しぶりの休みを使って、二人は上川へ帰った。
一ヶ月ぶりのカフェ雪。
ドアベルが鳴る。
ちりん。
「母ちゃん、ただいまだべ」
雪がカウンターから顔を上げる。
「おかえり、めぐ。光希くんも、よく来たね」
光希は深く頭を下げる。
「お邪魔します」
「お腹空いてるでしょ?」
二人は同時に答えた。
「空いてるべ」
雪は笑った。
「はいはい、すぐ出すから座ってなさい」
テーブルに並んだのは、雪の手料理だった。
豚汁。
鮭のちゃんちゃん焼き。
ザンギ。
ポテトサラダ。
炊きたてのご飯。
そして、食後のコーヒー。
恵は一口食べて、目を細めた。
「……これだべ」
光希も黙々と食べている。
雪が呆れたように笑う。
「二人とも、よく食べるねぇ」
恵は口いっぱいにご飯を入れながら言う。
「いやいや、アスリートはお腹すくべ」
光希も頷く。
「練習とレポートで消費が激しいべ」
雪
「レポートでカロリー消費するの?」
恵
「精神的にはフルマラソンだべ」
雪
「はいはい、言い訳しない」
⸻
食事の後。
二人はカフェ雪のテーブルにノートパソコンを広げた。
恵
「帰ってきたのにレポートだべ……」
光希
「上川まで提出期限が追いかけてきたべ……」
雪はコーヒーを置く。
「しっかり書きなさいよ」
恵
「母ちゃん、少しは甘やかしてほしいべ」
雪
「ご飯で甘やかしたでしょ」
光希
「正論だべ」
恵
「光希、敵に回るな」
雪は笑いながら、奥から小さな包みを持ってきた。
中には、冷凍できる惣菜と、手書きのメモ。
忙しい時に食べなさい。
ちゃんと寝ること。
最後まで見ること。
母より。
その横には、層一の小さな写真が添えられていた。
恵は、しばらく黙ってそれを見つめた。
「……母ちゃん」
「ん?」
「ありがとうだべ」
雪は少し照れたように言う。
「札幌で倒れられたら困るからね」
恵は写真の層一を見た。
「お父さんも、提出期限と戦えって言ってるべか」
雪が笑う。
「そうちゃんはたぶん、“まず寝れ”って言うね」
光希
「それ、一番大事だべ」
恵
「レポートが終わったら寝るべ」
雪
「終わらせてから言いなさい」
⸻
夜遅く。
カフェ雪の灯りはまだついていた。
恵は何度も文章を直しながら、ようやくレポートを保存した。
「終わったべぇ……」
光希も椅子にもたれかかる。
「俺も終わった……たぶん」
雪が奥から顔を出す。
「たぶんじゃなくて、確認しなさい」
二人は同時にうなだれる。
「はい……」
カフェ雪に笑いが広がる。
世界で戦う二人でも、母の前ではまだまだ学生だった。
恵はコーヒーを飲みながら、窓の外の上川の夜を見た。
札幌へ行った。
大学生になった。
世界を目指している。
でも、ここに帰れば、ちゃんと自分に戻れる。
帰る場所があるから、また遠くへ行ける。
胸元の鈴が、ちりんと鳴った。
⸻
次回予告
札幌へ戻った恵と光希。
母の荷物に励まされながら、二人は世界選手権へ向けた最終合宿に入る。
恵はジャンプで、光希は複合で、それぞれ代表入りをかけた最後の評価期間へ。
だが、海外勢も進化している。
恵型ジャンプの先へ進む者。
クロカンで驚異的な追い上げを見せる者。
次回、
第20話 世界選手権へ
札幌で積み上げた日々が、いよいよ世界へ向かう。




