卒業前の大ジャンプ
『恵の物語』
第13話 卒業前の大ジャンプ
蔵王の空は、青かった。
冬の空気は澄み切っていて、遠くの山の稜線までくっきり見える。
けれど、ジャンプ台の上では、風が静かに生きていた。
ワールドカップ蔵王大会。
高校最後の国内大会。
恵は、旭川東高校の制服姿で会場入りした。
もちろん、試合ではジャンプスーツに着替える。
けれど、朝だけは制服で来たかった。
教室の仲間たちが作ってくれた応援旗。
最後まで見ろ。風は味方だ。
その文字を、スマホの待ち受けにしていた。
海斗が横で言う。
「制服で会場入りとはな」
恵は少し照れたように笑った。
「高校最後の国内大会だべ。ちょっとくらい、高校生らしいことしたいべさ」
寄子が微笑む。
「似合ってるよ」
コスキネンも頷く。
「世界女王で、女子高生だべ」
恵
「その言い方、なんか変だべ」
コスキネン
「でも事実だべ」
恵は笑った。
会場には、若手選手たちの気配があった。
恵型ジャンプを研究してきた選手たち。
それをさらに、自分の体格や筋力に合わせて進化させている選手たち。
ただの真似ではない。
彼女たちもまた、強くなっていた。
高田空が言う。
「若い子たち、すごいね」
恵は頷く。
「んだ。真似で終わってないべ」
早川美澄が少し不安そうに聞く。
「プレッシャーある?」
恵は空を見上げた。
「あるべ。でも、嬉しい方が大きい」
「嬉しい?」
「みんなが強くなるってことは、うちももっと強くなれるってことだべ」
海斗が静かに聞いていた。
恵の目は、もう追われる者の目だけではなかった。
競う者の目だった。
試技。
恵は、蔵王の台をじっくり見た。
風は穏やかに見える。
しかし、着地斜面の中腹でわずかに浮く。
助走路はよく走る。
空気は冷えていて、板の返りも悪くない。
ただ、怖いほど条件が整っている。
こういう時こそ、決めつけてはいけない。
「飛べる日だ」と思った瞬間、人は雑になる。
コスキネンが言う。
「今日はよく飛ぶべ」
恵は頷く。
「んだ。でも飛べる日ほど、丁寧に見るべ」
海斗が短く言う。
「それでいい」
一本目。
若手選手たちが次々と飛ぶ。
飛距離は伸びる。
会場の空気も熱くなる。
高校一年生の新鋭が、素晴らしいジャンプを見せた。
恵型ジャンプを土台にしながら、彼女自身の柔らかさを生かした飛び。
距離は、これまでのトップ。
観客席が沸いた。
実況
「これはすごい!若手が大きく伸ばしてきました!」
解説
「上川選手の影響を感じますが、完全なコピーではありませんね。自分の体に合わせています」
恵はそれを見て、小さく笑った。
「いいべ」
空が隣で聞く。
「焦らないの?」
「焦るべ。でも、楽しい」
「楽しい?」
「強い相手がいると、風が面白くなるべ」
空は呆れたように笑った。
「恵らしい」
恵の一本目。
スタートバーに座る。
制服ではなく、ジャンプスーツ。
けれど胸の奥には、教室の応援旗があった。
最後まで見ろ。
風は味方だ。
青信号。
助走。
雪の音が滑らかに伸びる。
踏切り。
押さない。
でも、逃がさない。
空中に入った瞬間、風が下から薄く持ち上げる。
(乗れるべ)
だが乗りすぎない。
腕を少しだけ開く。
体の傾きをほんの少し深くする。
背中で空気を受ける。
中腹で、風がさらに優しくなる。
(まだ伸びる)
恵は、空中で無理に距離を取りに行かなかった。
ただ、落ちない姿勢を選ぶ。
観客席がざわめく。
実況の声が大きくなる。
「上川、伸びる!まだ伸びる!」
着地。
スッ。
テレマーク。
距離表示。
会場が爆発した。
蔵王のバッケンレコード更新。
しかも、最長不倒。
実況
「出ました!上川恵、蔵王で大記録!バッケンレコード更新、そして最長不倒です!」
解説
「これは会心のジャンプです。風を取りにいったのではなく、風に乗りながら最後まで崩さなかった。素晴らしいです」
恵は着地地点で、しばらく動かなかった。
そして、ゆっくり右手を上げる。
親指を立てた。
観客席がさらに沸く。
「やったべ」
小さく呟いた。
下で待っていた海斗が、珍しく声を上げた。
「恵!」
寄子は目を潤ませている。
「今の、最高だった!」
コスキネンは走ってきて、両手を広げた。
「やったぞ~!」
恵は思わず笑った。
「コスキネンさん、道北のおばちゃんみたいになってるべ!」
コスキネン
「今日はそれでいいべ!」
三人が駆け寄る。
海斗が恵の肩を叩く。
「よく見た」
寄子が言う。
「最後まで、丁寧だった」
コスキネンが力強く頷く。
「風と喧嘩しなかったべ。風と一緒に飛んだべ」
恵は、少しだけ息を震わせた。
「教室のみんなにも、見せられたべか」
寄子がスマホを見せる。
旭川東高校の教室から、メッセージが届いていた。
最高!
親指見た!
数学より飛んだ!
応援旗、効いたべ!
恵は吹き出した。
「数学より飛んだって何だべ」
二本目。
恵は、守りに入らなかった。
一本目で大きな差をつけた。
普通なら、まとめれば勝てる。
だが、恵は勝つためだけに飛んでいるわけではなかった。
高校最後の国内大会。
卒業前の一本。
旭川東高校の仲間たちへ見せる一本。
そして、未来の自分へ残す一本。
スタートバーに座る。
風は一本目より少し難しい。
正面ではなく、斜め。
中腹で少し抜ける。
(決めつけないべ)
青信号。
助走。
踏切り。
空中へ。
一本目ほどの浮きはない。
だが、恵は焦らない。
腕を開きすぎない。
腰を残す。
抜ける風を追わない。
着地前、少しだけ風が戻る。
(ありがとうだべ)
膝を待つ。
テレマーク。
着地。
大きな歓声。
二本目もトップクラスの飛距離。
合計点で、文句なしの優勝。
高校最後の国内タイトル。
そして、表彰台の真ん中。
恵は、最高の笑みを浮かべていた。
表彰式。
金メダルを首にかけられた恵は、観客席へ向かって深く頭を下げた。
その視線の先には、教室の応援旗を模した小さな旗を振る旭川東高校の仲間たち。
現地に来られなかった友達も、学校で中継を見ていた。
担任の先生。
クラスメイト。
雪。
光希。
海斗。
寄子。
コスキネン。
みんなの時間が、そこに重なっていた。
インタビュアーが聞く。
「高校最後の国内大会で、バッケンレコード更新、そして優勝です。今のお気持ちは?」
恵は少し笑った。
「最高だべ」
会場が笑う。
「今日は、教室のみんなが作ってくれた応援旗を胸に飛びました。最後まで見ろ、風は味方だって書いてあって」
一拍置く。
「ほんとに、風が味方してくれたべさ」
インタビュアーが続ける。
「卒業前の大ジャンプになりましたね」
恵は頷いた。
「んだ。でも、うち一人で飛んだんじゃないべ。上川も、旭川東も、母ちゃんも、コーチたちも、光希も、みんな背中を押してくれた」
少し照れたように笑う。
「だから、親指立てました」
観客席から拍手が起きる。
恵はもう一度、親指を立てた。
その夜。
カフェ雪。
テレビでは、恵のジャンプが何度も流れていた。
雪は層一の遺影の前に、そっとお茶を置いた。
「そうちゃん、めぐ、また飛んだよ」
画面の中で、恵は親指を立てて笑っている。
雪は目を細めた。
「卒業前に、すごい一本だったね」
恵はカウンターでコーヒーを飲みながら、少し照れくさそうに言った。
「母ちゃん、何回見るべか」
雪
「何回でも見るよ」
コスキネンが横で頷く。
「私も見るべ」
海斗
「分析用に見る」
寄子
「感動用に見る」
恵
「用途がバラバラだべ」
光希はスマホを見せた。
旭川東高校のクラスメイトから、またメッセージ。
卒業式でも親指立ててね。
恵は笑った。
「それは目立ちすぎるべ」
でも、胸の中は温かかった。
高校最後の国内大会。
最高の一本。
卒業前の大ジャンプ。
その記憶は、これから先、どれだけ世界を飛んでも、きっと消えない。
胸元の鈴が、ちりんと鳴った。
次回予告
蔵王で大記録を打ち立てた恵。
高校最後の国内大会を最高の形で終えた彼女は、いよいよ卒業へ向かう。
旭川東高校の教室。
最後のホームルーム。
友達との写真。
応援旗への寄せ書き。
そして、雪が見守る卒業式。
一方、光希もノルディック複合で代表候補として名前を上げ、二人の未来は札幌へと向かい始める。
次回、
第14話 卒業
制服の時間が終わる。
けれど、恵の物語はまだ終わらない。




