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恵の物語  作者: リンダ


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旭川東の仲間たち

『恵の物語』

第11話 旭川東の仲間たち


ノルウェーから帰ってきた恵を待っていたのは、拍手でも記者でもなかった。


教室のドアを開けた瞬間、友達の声が飛んできた。


「おかえり、世界の上川さん」


恵は鞄を肩から下ろしながら、すぐに顔をしかめた。


「その呼び方やめるべ」


教室が笑いに包まれる。


窓の外には、春の旭川。

まだ空気は少し冷たいけれど、日差しは柔らかい。


恵は制服姿で席に座った。


世界で勝っても。

ワールドカップ最終戦で圧勝しても。

教室に戻れば、ただの高校三年生だった。


「ノルウェーどうだった?」


「寒かったべ」


「それ北海道民が言うって相当じゃん」


「んだ。しかも風が意地悪だったべ」


「意地悪な風って何」


恵は机に肘をつき、少し考える。


「こっち向いて笑ってると思ったら、急に横から肩叩いてくる感じだべ」


友達が吹き出す。


「風を人間扱いしてる」


「ジャンパーあるある?」


「恵あるあるだべ」


恵が自分で言って、また笑いが起きた。


昼休み。


恵の机の周りには、友達が集まっていた。


話題は、遠征の話。


試合のこと。

ノルウェーの景色。

食べたもの。

そして、なぜかギャグコントの話。


「で、例の博多の双子のギャグが役に立ったって本当?」


恵は弁当の卵焼きを箸でつまみながら頷く。


「本当だべ」


「どういうこと?」


「アドリブで相手が予想外のこと言った時、決めつけたら止まるべ?」


「まあ、確かに」


「ジャンプも同じだべ。風が予想外の返ししてきた時に、こっちが固まったら終わる」


友達の一人が真顔になる。


「ギャグコント、奥深い……」


別の友達が言う。


「でもさ、それを世界大会で使ってるの、なんかすごいというか、意味分からん」


恵は笑った。


「うちも最初は意味分からんかったべ」


「ノルウェーで何食べたの?」


急に話題が変わる。


恵は少し目を輝かせた。


「魚のスープ。あと、茶色いチーズ」


「茶色いチーズ?」


「んだ。甘じょっぱい感じで、最初びっくりしたべ」


「おいしいの?」


「一口目は、ん?ってなる。二口目で、あれ?ってなる。三口目で、もう一回食べたくなる」


友達が笑う。


「それ、フォームと一緒じゃん」


恵は箸を止めた。


「……確かにだべ」


教室の普通の会話が、いつの間にか競技の感覚につながる。

それが今の恵だった。


放課後。


三者面談の日。


恵は進路希望調査の紙を持って、面談室に入った。


担任の先生。

恵。

そして母の雪。


先生は進路希望の欄を見て、静かに頷いた。


「札幌の国公立大学、スポーツ科学部ですね」


恵は背筋を伸ばす。


「はい」


先生が聞く。


「競技を続けながら、大学で学ぶ形を考えているんですね」


「んだ……あ、はい」


先生が少し笑う。


「方言のままで大丈夫ですよ」


恵は照れくさそうに頭をかく。


「んだ。競技を続けるだけじゃなくて、体のこととか、トレーニングのこととか、ちゃんと学びたいと思ってるべ」


雪は隣で静かに聞いていた。


先生が雪に視線を向ける。


「お母さんは、どうお考えですか?」


雪は少しだけ間を置いた。


「正直、寂しくないと言えば嘘になります」


恵は母を見る。


雪は穏やかに続けた。


「上川を離れて、札幌で暮らすことになると思うので。でも、めぐが自分で選んだ道ですから。応援したいです」


恵は、少し胸がきゅっとなった。


雪は笑う。


「それに、卒業までまだ時間があります。だから、その時間をちゃんと楽しもうと思っています」


先生は頷いた。


「素敵ですね」


恵は小さく呟いた。


「母ちゃん……」


雪が恵を見る。


「何?」


「いや……頑張るべ」


雪は微笑んだ。


「それでよし」


先生がもう一枚の資料を確認する。


「ちなみに、青柳光希くんも同じ大学を希望しているそうですね」


恵は一瞬で顔を赤くした。


「……先生、そこ言うべか」


先生はさらっと言う。


「同じスポーツ科学部志望とのことです」


雪が少し楽しそうに恵を見る。


「光希くんも札幌なんだ」


「んだ……たまたまだべ」


「たまたま?」


「たまたま寄りの必然だべ」


先生が笑いをこらえる。


「面白い表現ですね」


恵はさらに赤くなった。


面談室の空気は、少しだけ柔らかかった。


その夜。


カフェ雪。


雪は閉店後、カウンターを拭いていた。


恵は奥のテーブルで、進路資料を見ている。


スポーツ科学部。

トレーニング理論。

運動生理学。

競技心理学。

コーチング。


知らない言葉が並んでいる。

でも、不思議とわくわくした。


「母ちゃん」


「ん?」


「札幌行ったら、寂しいべか」


雪は手を止めた。


少しだけ、店の中が静かになる。


「寂しいよ」


雪は正直に言った。


「でも、それより楽しみ」


「楽しみ?」


「めぐがどんな大人になっていくのか。どんな選手になっていくのか。それを見られるのが楽しみ」


恵は黙っていた。


雪は続ける。


「それに、上川は帰ってくる場所だから」


その言葉に、恵の胸が温かくなった。


「んだな」


「卒業まで、ちゃんと高校生しようね」


恵は笑った。


「ちゃんと高校生って何だべ」


「友達と喋って、昼休みに笑って、学校祭でわちゃわちゃして、たまに勉強に追われること」


「最後のは嫌だべ」


「進学するんだから勉強しなさい」


恵は肩を落とした。


「世界の風より数学の方が怖いべ」


雪は吹き出した。


翌日。


学校では、恵のノルウェー土産が配られた。


お菓子。

小さなキーホルダー。

そして、謎の魚味スナック。


友達が一口食べて固まる。


「……これは?」


恵が真顔で言う。


「ノルウェーの風味だべ」


「風味が強すぎる!」


「これ、光子さんと優子さんに渡したら絶対コントになるやつ」


「たぶん“魚味スナックと茶色いチーズの仁義なき戦い”になるべ」


教室が爆笑する。


世界の話をしているはずなのに、結局いつもの調子になる。


その普通さが、恵には嬉しかった。


遠征先では、恵は世界と戦う選手だった。

記者に囲まれ、ライバルに研究され、風のわずかな変化と向き合う。


でも教室では、友達と笑う高校生。


「恵、学校祭どうする?」


「うち、遠征入らなかったら手伝うべ」


「入ったら?」


「リモートで口出すべ」


「一番面倒なやつ!」


恵は笑った。


その笑いの中に、制服の時間があった。


もう二度と戻らない、高校三年の春。


数日後。


光希から連絡が来た。


「進路、正式に出したべ」


恵はカフェ雪の二階で電話を受けていた。


「札幌?」


「んだ。同じ大学、スポーツ科学部」


恵は少し黙った。


光希が聞く。


「嫌だったべか?」


「嫌なわけないべ」


「ならよかった」


恵は窓の外を見る。


上川駅前の灯り。

カフェ雪の看板。

春の夜の冷たい空気。


「光希」


「ん?」


「うちら、上川出るんだな」


電話の向こうで、少し沈黙。


「んだな」


「寂しいべ」


「俺もだべ」


でも、光希は続けた。


「でも、帰る場所があるから出られるんだべ」


恵は小さく笑った。


「母ちゃんと同じこと言うべな」


「雪さん、正しいべ」


恵は胸ポケットの鈴に触れた。


ちりん。


「札幌でも、ちゃんと見るべ」


「何を?」


「自分を。風を。勉強を。あと、光希がサボってないか」


「最後の観察いらんべ」


二人で笑った。


春は、進む。


世界の女王としての日々も。

高校三年生としての日々も。


どちらも恵の時間だった。


旭川東高校の教室で笑う恵も。

ノルウェーの荒れた空で飛ぶ恵も。

札幌の大学を目指して進路を考える恵も。


全部、上川恵だった。


そしてその全部が、これからの彼女を作っていく。


次回予告


高校最後の一年が始まった恵。


クラスメイトたちは、恵の応援企画を立ち上げる。

遠征で不在になる日も、教室に居場所を残しておきたい。


黒板のメッセージ。

寄せ書き。

学校祭の企画。

そして、旭川東高校から世界へ飛ぶ少女への、ささやかなエール。


一方、光希は複合でさらに成績を上げ、オリンピック代表争いの名前に挙がり始める。


次回、

第12話 クラスメイトの応援旗


世界で戦う背中を、教室の仲間たちがそっと押す。

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