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恵の物語  作者: リンダ


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光希の初表彰台

『恵の物語』

 第38話 光希の初表彰台


 光希は、焦っていた。


 それを誰にも見せないようにしていたが、恵には分かっていた。


 ノルディック複合。


 ジャンプで上位につけることは増えた。

 クロカンでも記録は伸び始めている。


 それでも、恵に比べれば、結果が出る速度は遅い。


 恵はすでにオリンピックチャンピオンであり、ワールドカップでも勝ちを重ねている。

 世界に研究され、追われる存在になっている。


 一方の光希は、ようやく全国上位に食い込み始めたところだった。


 もちろん、競技が違う。

 歩んでいる道も違う。

 頭では分かっている。


 でも、隣にいる人があまりにも高い場所へ行くと、人はどうしても自分の足元を見てしまう。


 ある日の夕方。


 上川のクロカンコースでの練習後、光希は雪の上に腰を下ろしていた。


 ストックを横に置き、白い息を吐く。


 恵が近づいてきた。


「光希」


「ん?」


「今日、焦ってたべ」


 光希は苦笑した。


「バレるべか」


「バレるべ」


 恵は隣に座った。


 しばらく、二人とも黙っていた。

 風がコース脇の木を揺らす。

 遠くで、ジャンプ台の整備音が小さく聞こえる。


 光希が先に口を開いた。


「恵はさ」


「ん?」


「どうやって、そんなに先に行けるんだべ」


 恵は、すぐには答えなかった。


 光希は続ける。


「俺も、恵と一緒にオリンピックに出たいって思ってる。

 でも、結果が出るまでが遅い。

 伸びてるのは分かるけど、まだ届かない」


 拳を握る。


「クロカンで、まだ迷う。

 今日はこういう雪だって思って入ったら、途中で違う。

 でもその時にはもう、リズムが崩れてる」


 恵は、黙って聞いていた。


 そして、ポケットからスマホを出した。


「光希、これ見るべ」


「何?」


「うちが負けた時のやつ」


 光希は驚いて恵を見る。


「負けた試合?」


「んだ。高二冬、国内戦で二位になったやつ」


 恵は動画を再生した。


 映っているのは、試合後のカフェ雪。

 恵が光子と優子の配信を見ている場面だった。


 画面の中で、光子と優子が話している。


 光子

「相手がこう返してくるやろなって考えとる?」


 優子

「考えてない」


 光子

「考えたら負けたい」


 優子

「相手が予想外の返しした時に止まるやん」


 光子

「うちらは来た球を拾うだけたい」


 優子

「見る。聞く。拾う。その場で返す」


 動画の中の恵が、そこで固まる。


 そして叫ぶ。


「これだべぇぇぇ!!」


 光希は思わず笑った。


「声でかいべ」


 恵は少し照れたように言う。


「その時は本気だったべ」


 光希はもう一度、動画を巻き戻す。


 見る。

 聞く。

 拾う。

 その場で返す。


 光希の顔が、だんだん真剣になっていく。


「……そういうことか」


 恵は頷く。


「うちはその試合で、途中から観察をやめてた。

 最初に見た風で“今日はこういう台だ”って決めつけた」


 光希は小さく息を吐いた。


「俺もだべ」


 恵は光希を見る。


「ん?」


「俺も、予測だけで走ってたわ」


 光希はコースを見た。


「スタート前に“今日は雪が重い”って決める。

 “この登りはこう行く”って決める。

 “このカーブは外ライン”って決める」


 ストックを握る。


「でも途中で変わっても、最初の予測にしがみついてた。

 見てるつもりで、見てなかったんだべ」


 恵は静かに笑った。


「それに気づいたなら、伸びるべ」


 光希も小さく笑う。


「ほんとか?」


「んだ。苦いけど、効くべ」


 それからの光希は、変わった。


 まず、練習中の言葉が変わった。


 以前なら、


「今日は雪が重い」


 で終わっていた。


 今は違う。


「スタート地点は重いけど、林間は軽い」

「登りの入口で板が遅れるけど、頂上手前は返る」

「日陰は硬い。日向は湿ってる」

「三周目で風が変わった」


 相田飛竜が驚いた。


「光希、めっちゃ喋るようになったっすね」


 佐々木正嗣も頷く。


「観察が細かくなった」


 光希は笑う。


「恵の動画が効いたべ」


 相田

「何の動画っすか?」


 恵が遠くから言う。


「うちが“これだべぇぇ!”って叫んだ黒歴史動画だべ」


 相田

「めちゃくちゃ見たいっす」


 恵

「見せねぇべ」


 だが、結局見せることになった。


 そしてクロカンチームは腹を抱えて笑った。


 でも、笑ったあと、ちゃんと練習が変わった。


「予測する。でも信じすぎない」

「見続ける」

「変わったら返す」


 この三つが、クロカンチームの新しい合言葉になった。


 数週間後。


 国内強化大会。


 ノルディック複合。


 光希はジャンプで三位につけた。


 トップとの差は十二秒。

 二位との差は四秒。


 十分に勝負圏内だった。


 だが、クロカンは甘くない。


 スタート前、光希は深呼吸した。


(予測する。でも信じすぎない)


 雪面を見る。


 朝は冷えている。

 だが太陽が出ている。

 日向は途中で緩む。

 林間は硬いまま残る。


 いつもなら、ここで作戦を固定する。


 だが今日は違う。


(見続けるべ)


 ピストルが鳴る。


 スタート。


 序盤、光希は無理に前を追わなかった。


 相田の声が飛ぶ。


「光希、落ち着いてる!」


 一キロ地点。


 雪が思ったより軽い。


 光希は予定より少しだけピッチを上げる。


 二キロ地点。


 林間に入ると、板の返りが鈍い。


 予定ではここで詰めるはずだった。

 だが、光希は無理をしない。


(ここじゃない)


 三キロ手前。


 日向のカーブ。


 前を行く二位の選手が、外へ流れる。


 光希はそこで気づく。


(雪が緩んだべ)


 ラインを変える。

 内側へ入りすぎず、少し外を使って板を走らせる。


 差が縮まる。


 実況

「青柳光希、ここで一気に詰めてきました!」


 解説

「雪質の変化を読んでいますね。無理に力で押しているのではなく、滑る場所を選んでいます」


 四キロ地点。


 トップとの差、三秒。


 呼吸は苦しい。

 脚も重い。


 でも、頭は静かだった。


(最後まで見る)


 最後の登り。


 トップの選手が少しだけピッチを乱す。


 光希は迷わなかった。


 ここだ。


 ストックを深く刺す。

 脚を前へ出す。

 呼吸を二回だけ我慢する。


 頂上で並ぶ。


 下り。


 風が右から来る。


 いつもなら体を低くするだけだった。

 今日は肩の向きを少し変える。


 板が走る。


 ラスト直線。


 トップ争い。


 結果――


 光希は二位。


 優勝には届かなかった。


 だが、初めて全国強化大会で表彰台に立った。


 ゴール後、光希は膝に手をついたまま、しばらく動けなかった。


 悔しさもある。


 でも、それ以上に、嬉しかった。


(見続けられたべ)


 恵が駆け寄る。


「光希!」


 光希は顔を上げて笑った。


「初表彰台だべ」


 恵は目を潤ませながら笑う。


「やったな」


 光希

「優勝じゃないけどな」


 恵

「でも、見えたべ?」


 光希は大きく頷いた。


「見えた」


 その一言で、恵は十分だった。


 表彰式の後。


 光希は、興奮が収まらなかった。


 メダルを首にかけたまま、スマホを取り出す。


「恵」


「ん?」


「光子さんと優子さんに繋げるべ」


 恵は一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。


「なんでだべ」


「だって、あの動画がきっかけだべ。報告したい」


「たぶん、本人たち何のことか分かってないべ」


「それでもいいべ」


 通話をつなぐ。


 画面に光子と優子。


 光子

「おっ、光希くん!どうしたと!?」


 優子

「メダル!?え、表彰台乗ったと!?」


 光希は満面の笑顔で言った。


「はい!初表彰台です!

 お二人のおかげで、予測を信じすぎずに、最後まで観察できました!」


 沈黙。


 光子

「……はい?」


 優子

「え、うちら何した?」


 光希

「相手が予想外の返しをした時にどうするか、って話です!」


 光子と優子は顔を見合わせる。


 光子

「……そげな話したっけ?」


 優子

「多分した。多分。でもどの配信?」


 光希

「見る、聞く、拾う、その場で返すって!」


 光子

「ああ!それね!」


 優子

「いや、あれ普通にコントの話やん!」


 光希

「それがクロカンに効いたんです!」


 光子

「クロカンに!?」


 優子

「ギャグが雪上競技に転用されとる!」


 恵は横で腹を抱えて笑っている。


「ほら、ちんぷんかんぷんだべ」


 光希は真剣だ。


「でも本当に効いたんです。

 最初に決めた作戦に縛られずに、途中の雪の変化を拾えました」


 光子はしばらくぽかんとしていたが、やがて嬉しそうに笑った。


「……なら、よかったたい」


 優子も照れたように言う。


「うちら、何の役に立っとるか分からんけど、役に立ったなら嬉しか」


 光希

「めちゃくちゃ役に立ちました」


 光子

「よし、じゃあ次のお題は“クロカンのストックが恋愛相談してきたら”たい!」


 優子

「なんでそうなる!」


 恵

「また変な方向に行ったべ」


 光希は笑った。


 でも、その笑いは軽かった。


 焦りはまだある。

 優勝したわけではない。

 世界は遠い。


 それでも、初めて表彰台に立てた。


 その事実は、光希の中に確かな足場を作った。


 夜。


 カフェ雪。


 光希、恵、雪、海斗、寄子、コスキネンが集まっていた。


 光希のメダルが、テーブルの上で小さく光っている。


 雪がコーヒーを置く。


「おめでとう、光希くん」


 光希は照れくさそうに頭を下げる。


「ありがとうございます」


 コスキネンが言う。


「今日は、二杯目の走りだったべ」


 恵が笑う。


「フォームだけじゃなくて走りにも使うべか」


 海斗が短く言う。


「使えるなら使え」


 寄子が微笑む。


「光希くん、今日の一番良かったところは、最後まで見続けたこと」


 光希はメダルを見つめた。


「はい。途中で雪が変わった時、前なら焦ってました。でも今日は、変わったなら変わったで、返せばいいって思えた」


 恵が頷く。


「それだべ」


 光希は、少しだけ真剣な顔で言った。


「恵」


「ん?」


「俺、まだまだだけど」


「ん」


「一緒にオリンピック行くべ」


 恵は少しだけ目を細めて、笑った。


「んだ。行くべ」


 胸元の鈴が、ちりんと鳴った。


 雪の外は静かだった。


 でも、その静けさの中で、二人の夢は確かに大きくなっていた。


 次回予告


 光希が初表彰台を掴み、恵もまた刺激を受ける。


 しかし、勝負の世界に休みはない。


 恵は次のワールドカップで、さらに強くなった海外勢と対峙する。


 若い風。


 新しい飛型。


 分析された自分のフォーム。


 その中で、恵は問われる。


「完成しないまま、勝ち続けられるか」


 一方、光希は初表彰台の喜びから一転、次戦で壁にぶつかる。


 見続ける力は、本物になったのか。

 それとも、一度きりの感覚だったのか。


 次回、

 第8話 高3、最後の制服


 高校生活最後の一年が始まる。

 制服の時間と、世界の時間が、少しずつ重なっていく。

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