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恵の物語  作者: リンダ


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32/71

観察力の代表合宿

『恵の物語』


第32話 観察力の代表合宿


春休みの後半。


女子ジャンプ代表の強化合宿が、北海道で行われることになった。


場所は、上川からそう遠くないジャンプ台。

朝の空気はまだ冷たく、助走路の脇には薄い霜が残っている。

旗は、ほとんど動かない。

けれど、海斗コーチは何度もその旗を見ていた。


代表合宿に集まったのは、恵を含む女子ジャンプの中心メンバー。


上川恵。

高田空。

早川美澄。

北野紗英。

三枝莉央。


全員、全国レベルの選手であり、世界を目指す選手たちだった。


いつもなら、ウォームアップをして、助走確認をして、ジャンプ練習へ入る。


しかし、この日の海斗は、違うことを言った。


「今日の最初のメニューは、ジャンプじゃない」


高田空が首を傾げる。


「筋トレですか?」


「違う」


早川美澄が少し緊張した顔で聞く。


「メンタルトレーニングですか?」


「近いが違う」


海斗は、練習場の脇に置いてあったコンビニ袋を指さした。


そこには、二つのおにぎりが入っていた。


パッケージはよく似ている。

どちらも白い三角形。

のりが巻かれ、透明なフィルムに包まれている。


ラベルを隠せば、外から中身は分からない。


海斗が言う。


「この二つのおにぎり。中身は、おかかと梅干しだ」


莉央が不思議そうに言う。


「それが……今日のメニューですか?」


寄子コーチが微笑む。


「今日のテーマは、観察力」


恵は、嫌な予感がしていた。


「……まさか」


その時、寄子がスマホを取り出した。


画面がつながる。


そこに映ったのは、博多の双子姉妹。

光子と優子。


光子

「女子代表のみなさーん!博多から来たばーい!」


優子

「いや、画面越しやけん“来た”とは言わん!」


恵は額に手を当てた。


「また始まったべ……」


コスキネンコーチは、なぜか腕を組んで真剣な顔をしている。


「今日は勉強になる予感だべ」


空が小声で聞く。


「恵、これ何?」


恵は諦めたように答えた。


「たぶん、すごく変なことになるべ」



おにぎり観察


寄子が、二つのおにぎりをテーブルに並べる。


「この二つ。ラベルを隠した状態で、中身は見えない。片方がおかか、片方が梅干し」


美澄が言う。


「開けないと分からないですよね」


海斗が頷く。


「そうだ。普通はそう思う」


光子が画面の向こうで手を挙げる。


「でもね、ここで“分からん”で終わったら、ネタにもならんし、競技にもならんとよ!」


優子が続ける。


「見た目が同じに見えても、ほんの小さな違いがあるかもしれん。

重さ、形、のりの張り方、パッケージの水滴、持った時の感じ」


空が驚いたように言う。


「そんなところまで見るんですか?」


光子

「見るたい!」


優子

「というか、見た方が面白い!」


恵がぼそっと言う。


「おにぎりで世界が広がるべか……」


コスキネンが静かに言う。


「広がるべ。小さい違い、競技でも大事」


海斗は二つのおにぎりを選手たちに渡した。


「開けるな。持って観察しろ」


五人は、真剣におにぎりを見始めた。


「……こっちの方が少し重い気がする」


美澄

「形が微妙に違う。こっちは角が少し丸い」


紗英

「のりの張り方、こっちの方が少し浮いてる」


莉央

「パッケージの内側に、水滴が少ない方がある」


恵は、おにぎりを手のひらに乗せて、少しだけ目を細めた。


「こっちは、中心が少し沈んでるべ。

梅干しなら、真ん中に具が強く入ってて沈むことあるべか?」


優子が画面の向こうで頷く。


「そうそう!それ!

“あり得るかもしれない”を拾うのが大事!」


光子

「確定じゃなくてよかと。

“もしかして”を増やすのが観察たい!」



即興コント


『おかかと梅干し、正体を隠して喧嘩する』


光子が急に言った。


「じゃあ、ここで実演たい!」


恵が嫌な予感で顔をしかめる。


「またコントだべか」


優子

「もちろん!」


光子

「私、おかか役!」


優子

「私、梅干し役!」


コスキネン

「私はパッケージ役やるべ」


全員が一瞬止まった。


「なんでそこに入るべ!?」


コスキネンは真顔。


「中身を隠す重要な役だべ」


寄子が吹き出す。


「コスキネンさん、完全に分かってる」


光子は、おかか役として少し渋い声を出す。


「ふふふ……私は地味に見えるかもしれんが、だしの香りで勝負するタイプたい」


優子が梅干し役で返す。


「こっちは一口で目が覚める酸味やけんね。朝の代表合宿には私の方が必要たい」


光子

「でも梅干しさん、自己主張強すぎん?

おにぎりの中でセンター取りたがりすぎたい」


優子

「おかかこそ、ご飯に混ざって存在感ぼやけとるやん!」


恵が吹き出す。


「おにぎりの具がマウント取り合ってるべさ!」


そこでコスキネンが、パッケージ役として低い声で入る。


「静かにするべ。

外からは、どっちがどっちか分からないべ」


光子

「出た、パッケージ!」


優子

「中身を隠す女!」


コスキネン

「私は平等。

おかかも梅も、同じ三角に包むべ」


美澄が笑いながら言う。


「パッケージがめっちゃ公平」


光子

「でも、見てる人がよく観察したらバレるかもしれん!」


優子

「重さ!形!水滴!角の丸さ!」


コスキネン

「そこまで見られたら、パッケージも緊張するべ」


空が腹を抱える。


「パッケージが緊張するって何!」


光子が締める。


「つまり、おにぎりも人生も、外側だけでは分からん!」


優子

「でも、外側をちゃんと見たら、中身のヒントはある!」


コスキネン

「観察は、開ける前に始まっているべ」


その瞬間、海斗が小さく頷いた。


「それだ」


笑いが、少しだけ真面目な空気に変わる。



観察量の意味


海斗は、おにぎりを持ったまま選手たちを見た。


「試合でも同じだ」


五人の顔が引き締まる。


「風は見えない。

だが、旗の揺れ、雪煙、木の枝、観客席の紙、助走路の音、全部がヒントになる」


寄子が続ける。


「おにぎりの中身は開けるまで確定できない。

でも、外側をよく見れば、仮説は立てられる」


コスキネンが言う。


「ジャンプも同じだべ。

飛ぶまで、風の本当の感じは分からない。

でも、飛ぶ前に拾えるヒントはたくさんある」


光子が画面の向こうで手を叩く。


「つまり、観察量たい!」


優子

「一個見て終わりじゃなく、十個見る。

十個見て終わりじゃなく、百個見る」


空が、おにぎりを見つめながら呟いた。


「観察量……」


海斗が言う。


「お前たちは技術がある。

だが、技術だけでは世界で勝ち続けられない。

その場で変化を拾う目が必要だ」


恵は、おにぎりを見つめる。


白い三角形。

のり。

フィルム。

少しの重さ。

わずかな丸み。


さっきまで、ただのおにぎりだったものが、もう違って見える。


(見えるものが増えると、選べることも増えるべ)


そう思った。



答え合わせ


寄子が言う。


「じゃあ、開けてみようか」


空が持っていた方を開ける。


中身は――梅干し。


「当たった!」


恵が持っていた方は、おかか。


光子が画面の向こうで拍手する。


「観察成功たい!」


優子

「でも外れてもよかと。大事なのは、何を見て、どう考えたか」


海斗が頷く。


「結果だけ見るな。観察の過程を残せ」


コスキネンが言う。


「外れても、次の観察が増えるべ」


恵は、小さく笑った。


「おにぎりで代表合宿が深くなるとは思わなかったべ」


空が言う。


「でも、すごく分かりやすかった」


美澄も頷く。


「見た目が同じでも、違いはあるんですね」


紗英

「小さい違いを見逃さない練習、必要かも」


莉央

「次からコンビニでおにぎり見る目が変わりそう」


恵が笑う。


「それ、日常に副作用出てるべ」



その日のジャンプ


午後のジャンプ練習。


恵は、いつもより多くのものを見ていた。


旗。

助走路の霜。

観客席の空っぽのベンチ。

雪煙。

空の色。

コスキネンの表情。

海斗の腕の組み方。


小さな違いが、前より多く入ってくる。


白風の礼。


無音の一秒。


(開ける前に、観察は始まっているべ)


助走。


踏切り。


空中で、わずかに右から風が触れる。

でも、恵は慌てない。


午前中のおにぎりを思い出す。


外から中身は見えない。

でも、ヒントはある。


着地。


スッ。


海斗が頷く。


「今のは、風を拾った」


寄子が笑う。


「観察量、増えたね」


コスキネンも言う。


「おにぎり効果だべ」


恵は着地地点で振り返り、苦笑した。


「競技理論の名前がどんどん変になっていくべ……」



次回予告


代表合宿で観察力の重要性を学んだ恵。


一方その頃、光希はクロスカントリーで壁にぶつかっていた。

雪質の変化、呼吸の乱れ、板の返り。

わずかな違いに気づけないまま、タイムは伸び悩む。


そんな光希の前に持ち込まれる、女子ジャンプ代表発の謎メニュー。


「今見えるものを使って、ギャグコントを完成させよ」


クロカンチーム、困惑。

相田、撃沈。

佐々木、沈黙。

光希、まさかの才能開花?


次回、

第3話 光希、クロカンで伸びる


雪を見る目が変わるとき、

記録もまた、静かに動き出す。

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