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この思い、君に捧ぐ  作者: ことは
第二章:お忍び編
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閑話3:王太子殿下の幸せな休日(仮)

『10:近衛騎士の優雅な休日』のレイヤード視点になります。

重複部分はかなり端折ってあるので、お忘れの方は10話を再読していただけると幸いです。

 レイヤードが女官達の詰問を受けた翌日の朝、彼は城門の傍らに生える木の上にいた。


「キャス、遅いな……」


 警備の兵も側仕えの供も、今はいない。もしここに彼の親友である某秘書官がここにいたら、彼の無頓着さに怒り狂っていただろう。何しろ彼は次代の国王なのだから。

 どこへ行くのも近衛に囲まれ、あらゆる脅威から守られねばならない人物。それが王太子レイヤード・イル・アリアス=ローディアなのである。

 しかし、彼の口から出た言葉は国も何も関係ないものだった。


「いつもの休日なら、もう起き出してる頃なんだけど……」


 あふと、欠伸が一つ漏れた。

 時は初夏。葉の隙間から差す陽光が、彼を眠りの世界へと誘ってくる。

 急ぎの書類を整理していたら、結局徹夜をしてしまった。流石に湯浴みはしたが、それだけで昨日の疲労が消えるわけもない。気を抜けば引きずり込まれそうな睡魔に、彼は必死で抗った。


(寝たら死ぬ、寝たら死ぬ……)


 それが眠気を吹き飛ばす呪文とでも言いそうな面持ちで、彼はその言葉を必死に繰り返した。雪山で遭難した人物も、ここまで必死にはならないかもしれない。まるで戦地に赴く兵の如く、決死の覚悟で彼は城門を見詰めた。

 キャサリンがまだ城内にいることは、ここに上る前に|《探査》(サーチ)で確認済みである。あれからずっと見張っているのだから、彼女が既に外へ出てしまったということはあり得ない。

 中で何かトラブルでもあったのかとやきもきしていると、城門がゆっくりと開いた。そして――


――……え?


 レイヤードは息を飲んだ。

 確かにその人は、彼の待ち人であった。柔らかな胡桃色の髪も強い意志を秘めた臙脂の瞳も、決して変わってなどいない。しかし――


――その格好!可愛過ぎるだろう!


 キャサリンが身に纏うのは、ごくごくシンプルな若草色のワンピース。別段珍しいデザインでも、奇抜なカラーでもない。街を歩けば似た格好の人物が一人や二人簡単に見つけられるだろう。

 だがしかし、キャサリンが着ると猛烈に可愛い。それはもう、殺人的に。普段の姿がパンツルックの騎士服なだけに、見慣れないワンピース姿は強烈だった。


――元が良いから騎士服姿だって可愛いのに、あんな姿で歩いたら、余計馬鹿な男(わるいむし)を引き寄せるじゃないか!


 お前も十分馬鹿男だろう――。

 アルフレッドがこの場にいたらそう言っていたかもしれない。しかし幸か不幸か、今この場にはレイヤードしかいなかった。

 レイヤードは急いで樹上から下りると、朝食を食べにふらふらと歩くキャサリンを追った。ここで取り逃がしては徹夜の苦労が水の泡だ。


「まずはごはんよねー。どこが良いかしら」


 後をつけるレイヤードに全く気付くことなく、独り言を呟く彼女。久々の街に浮足立っているのがありありとわかる。


「最近できたカフェの朝食メニューが美味いらしいぞ」


 その事実を教えてくれた友に感謝しつつ、彼はキャサリンに話し掛けた。朝食もまだとは、常に早起きな彼女にしては珍しい。――自分にとっては非常に好都合だったけれども。


「ほうほう」


 素直に返事をするので、同行の許可は下りたかと思ったが、なんてことはない。単なる空返事だったらしい。おもむろに立ち止まった彼女は、ぐるりと振り向き、レイヤードを睨みつけた。


「……何故いる?」


 変装している彼を迷いなく睨む彼女。他人の空似だとか、そういう考えは彼女にはないらしい。見破られた悔しさよりも、どんな姿であれ自分を見分けてくれた事実にレイヤードは泣きたいほど感動した。


「えー、………………暇だから?」

「暇だったら仕事しろ!馬鹿おぅっ」


 いつもの癖で怒鳴りつけようとする彼女を、レイヤードは慌てて止めた。

 自分を見分けてくれたのはありがたいが、大声で宣伝されるのはご遠慮願いたい。折角の変装が無駄になるのは勿論、文字通り自分の身が危ない。

 レイヤードの生命は、常に暗殺者の標的だった。外での公務中に襲撃されるのは当たり前、寝所に忍び込まれそうになったことも一度や二度ではない。それでもまだ生きていられるのは、アイザック率いる近衛達の存在と、名もなき隠密達の活躍によるものだ。裏社会で自分の首に如何ほどの価値が付いているのか、思い出すだけでも溜息が出る。


――王位とは、そんなにも魅力的なものなのだろうか?


 今は遠い存在になってしまった人を思う。権力なんて枷でしかないと、口癖のように言っていたあの人を。


「ふがぐごっ」


 腕の中から出た奇妙な声でレイヤードは我に返った。冷ややかな視線や含み笑い、好奇の眼差しなど、その表情は多種多様だったが、周囲の人間は皆、一様にレイヤード達を見詰めていた。どうやら天下の往来でいちゃつく馬鹿な恋人達、と思われたらしい。

 レイヤードにしてみれば大変光栄な誤解である。このまま彼女を抱き締めていたいところだったが、目立ち過ぎるのはあまり歓迎できない。キャサリンに大声を出さないよう言い含めた後、彼は不本意ながらそっと手を緩めた。

 羞恥心からか、顔を真っ赤に染めた彼女は、ぎろりとレイヤードを潤んだ瞳で睨み詰めつけた。


――そんな怒った顔すらも可愛いなんて、自分はもう末期かもしれないな。


 レイヤードは自嘲した。そんな自分も嫌ではない。むしろ誇らしい。顔を真っ赤にして焦るキャサリンに引き摺られながら、レイヤードはそう思った。



「で。何がしたいのかしら?」


 彼女が引っ張り込んだのは、大通りから少し外れた裏道だった。ほんの少し奥に入っただけで、人通りはめっきりと減る。いくら治安の良い王都とは言え、女性が躊躇いもなく裏道に入るのは如何なものか。

 大体、キャサリンには危機意識というものが足りないと思う。しっかり者で、政に関してはアルフレッドが舌を巻くほどの才覚があるのに、男の浅ましい下心には気付きもしない。

 人の気持ちも知らずひたすら説教してくる彼女に、レイヤードはひっそりと嘆息した。ここで苦言の一つぐらい呈しても問題ないだろう。


「……なんでそんなに短いスカートなんだ」

「はあ?」

「膝が!見えかけてるだろう!」


 純粋な親切心だったのに、何故かエロいと罵倒された。理不尽だとレイヤードは思う。仮にスカートの丈に目がいく自分がエロいなら、キャサリンをヤニ下がった顔で見ていた悪い虫(おとこ)どもはどうなるのか。あいつらは動物か、それとも微生物か。

 キャサリンの手を掴みながら、レイヤードはひっそりと愚痴をこぼした。もう少し男に対する認識を改めてもらいたいものである。レイヤードと他の男との間に差――しかもマイナスの――があるのも、どうにかして欲しい。

 レイヤードが内心膨れていると、不意にキャサリンが繋いだその手に力を籠めた。


「? 早く行かないといけないんじゃなかったの?」


 急に固まった彼を、キャサリンは不思議そうに見上げる。手を握るという行為なんて、彼女には何の変哲もないことなのだろう。そう思うと悲しくなるが、それでも掌から伝わる彼女の温度は、彼の心臓を高鳴らせる。


「あ……、ああ。行こうか」


 この道が永遠に続けば良いのに。レイヤードは真剣にそう思った。



 その店を見てキャサリンが発した言葉は、感激の悲鳴でも驚嘆の叫びでもなかった。


「…………まさか、ここ?」


――まあ、そうくるよな。


 最近できた話題のカフェ。それはレイヤード達三人が小さい頃にこっそりと通い詰めたお菓子屋――リリィの店であった。


「嘘は吐いていないぞ。カフェを始めたのはごく最近だからな。新しい“カフェ”には違いない」


 屁理屈をこねがら、レイヤードは扉を開ける。扉に吊り下がったドアベルが、からんころんと、涼やかな音を奏でた。


「いらっしゃ――、あら。レイじゃない」

「リリィさん、久しぶり」


 リリィ=ディオンというのが、今の(・・)彼女の名である。名工として名高いジャック=ディオンの妻であり、彼女のもまた、お菓子作りの名人として王都では知られていた。


「あら、可愛い女の子連れ?流石レイね。こんなにレベルの高い子引っかけるなんて、ナンパするのが上手!」


――なんの冗談!


 ナンパどころか、熨斗付きで差し出される令嬢達も撥ね付けているというのに。――まあ、捕まえたという点では、キャサリンをナンパしたとも言えなくはない。但し、キャサリンだから誘ったのであって、他の女だったらこんな馬鹿げた真似などしはしない。

 そのところをきちんとキャサリンに理解してもらいたい。そう思って彼女を見遣ると、冷ややかな双貌がレイヤードを見上げていた。


「へー。レイってナンパ得意なんだ……。ふーん、知らなかったなー」

「な……っ!誤解だ、誤解!ナンパなんてしたこともない!」

「別に否定しなくたって良いじゃない。私には関係ないことだもの」


 突如、繋いでいた手が振り払われた。温められた手は一気に冷え、途方もない喪失感を抱く。このままキャサリンがどこかに行ってしまいそうな、そんな不安に駆られて、レイヤードは思わず彼女の腕を掴んだ。


「違う。本当に違う!リリィさんも、悪い冗談は止めてください!」

「うふふ。だって、あの(・・)レイが慌てるなんて、そう滅多に見られないじゃない。折角のチャンスを見逃したら損でしょう」


 にこにこと害のなさそうな顔でとんでもないことを話す彼女は、レイヤードの片腕である秘書官を彷彿とさせた。


 リリエラ・フィーネ=ウィンバーグ。


 レイヤードが産まれるよりも前、リリィはこう名乗っていた。ウィンバーグ現当主の実妹で、レイヤードの母、アリアス王妃の双子の姉。つまり、レイヤードの血の繋がった伯母である。双子なだけあって、外見だけは彼の母と瓜二つなのだが、その性格は兄である現当主に近い。だからなのか、未だ彼女と王妃が似ていることを指摘した者はおらず、また長年入り浸っているキャサリンですらもレイヤードとリリィの関係に気付いたことはない。


「久しぶりね、キャス。いつ戻ってきたの?」

「ただいま、リリィさん!戻ってきたのは二週間ぐらい前よ」


 キャサリンは満面の笑みを浮かべ、力いっぱいリリィに抱きついた。

 大変微笑ましい再会風景であるが、レイヤードは内心複雑であった。彼らのもう一人の母とも言うべき存在、リリィ。同性であるキャサリンならば、感激のあまり抱きつくのも頷ける。頷けるのだが――


――俺との時より感激してないか?


 レイヤードの胡乱な眼差しに気づいたのか、視線を上げて彼を見遣ると、リリィはにやと勝ち誇った笑みを浮かべた。両手が塞がっていなければ、Vサインでもしそうな顔だ。


「もう、立派なレディになっちゃって。うちの娘に欲しいくらいだわー。ねぇ、予約させて貰えないかしら?」


 ぷちり。


 何かの切れる音とレイヤードの手が伸びるのは、ほぼ同時だった。

リリィさんは、3話にちょこっとでてきている人物です。

旧姓で気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、アルの叔母にもあたります。

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