5 清めと慰め
夜の城に戻っても、緊張から解放されることはない。結婚の準備をしてくれた三人が、大風呂桶に私を入れ、体をこれでもかと擦ってくる。
「まったく、これからが大事だっていうのに、領主様は帰っちまうんだからね。あんた一人で、旦那を相手にできるのかい?」
小言を言うパウラに、マーヤが睨みを効かせる。
「ご令嬢たるもの、夫の手綱を握れてこそ一人前ですよ」
「それでも、香油を塗って“はい、頑張って”なんて言えないよ。クロリスだって、あの男を相手にできると思う?」
「それは無理です。あんなに大きい男の人、家にもあげられませんよ」
誰も私の代わりは願い下げという感じだ。せめて彼が、宴の席で酒をたくさん飲んでくれていたら、まだ希望はあった。しかし、私はオルグレイドが水ばかり飲んでいたのを見ている。
「パウラさんでも、マーヤでも。意見があったら言って欲しいのだけれど」
「何を聞きたいんだい?」
気恥ずかしいのを承知で、母親のように耳を傾けてくれるパウラに尋ねた。
「一通り知識はつけているのですが。男の人を満足させるには……どうしたら良いんでしょうか」
できるだけいやらしい言い方を避けるが、パウラは声を上げて笑い出す。主賓がいない席で続く宴の声にも勝り、パウラの笑いがお風呂場に反響した。あまりにも豪快すぎたためか、彼女の足をマーヤが踏みつけることで、ようやく静けさが戻る。
「ネリネちゃんは、昔っから馬鹿みたいに真面目だねえ」
「真剣に悩んでなさるのを、笑うんじゃありません」
「そう言うあんたはどうなんだい、マーヤ。男を満足させるっていうのに、何が必要だと思う?」
「……お答えしかねます」
はぐらかしたマーヤをそっちのけで、今度はクロリスへ視線が泳いだ。彼女はまだ結婚もしてないが、村の恋愛沙汰には詳しいはずだ。クロリスは少し耳を赤くしながら答える。
「キス、するんでしょう?そうしたら子供が宿るって」
「こりゃあいけないね。クロリス、あんたは今日、家に帰って家族とぐっすり寝とくんだよ」
パウラがクロリスの手から、薄衣を取り上げ、風呂場から出ていくまで見届けた。ほとんど強制ではあったが、純粋な乙女の考えを崩すわけにはいかないのだ。風呂桶の白い天蓋を閉じ、大人の女性が二人がかりで、準備を続けながら答えの続きを教えてくれる。
「いいかい、ネリネちゃん。夜のことに目を瞑っても、避けられないんだから、相手を受け入れるしかない。ただね、これだけは試すといい。あの男の背中を思いっきり引っ掻いてやるのさ」
「そんなことしては……痛いじゃないですか」
「でもね、あんたの心はそれ以上に傷つくもんだよ。誰も望んでない結婚を、あんたは真摯に覚悟してる。顔にこそ出さないけど、あんたはかなり……サフィラス様のこと好きだったろう?」
「そ、そんなわけ!だいたい、サフィラスは……」
「そうさ。死んじまったんだ。ロクでもない奴に剣を渡して、今までの功績なんか、全部ドブに捨てちまったようなもんさ。それをあんたは、あの男に自分を捧げて、サフィラス様の尻ぬぐいを、代わってあげようとしてるんじゃないのかい?」
彼女は心を見透かすのが得意だ。ことの事態は、パウラの言う通り、騎士の功績をドブに投げ捨てるほど愚かなことだった。
それでも私は、サフィラスの判断を信じたかった。彼がどれほど、国に背くような愚かな真似をしたのだと、裏では思われていても。
「私には、何が正しいのかわかりません」
そのとき、パウラが湯船を手で弾いてきた。私が目も開けられなくなっているうちに、体が胸の中に包まれる。葡萄畑の土の香りが昔の色をふっと濃くしていく。
「ごめんよ。あたしらが……あんたを捧げちまうんだ。恨むなら、あたしを恨んでおくれ。サフィラス様にも、あんたを守るって約束したのは……あたしなんだから」
小さい頃を思い出す。私は母親がいないから、ジルトハインでは使用人たちに構ってもらった。でも、甘えが許されたのは父のいない時だけ。父の隣で身の回りのことを学ぶようになってからは、遊ぶこともままならなくなっていた。だからこそ、テルメア村にきた時はいろんな人に遊んでもらったものだ。パウラはよく、気にかけてくれた一人で。私は彼女の抱擁を、薄っすらとだが、まだ思い出すことができた。
「恨むなんて、できませんよ。これが私なりの……サフィラスから教えてもらった、生き方なんです」
全ての人に、恨みも憎しみも持たずに、分け隔てなく民を愛す。その優しさを習うと同時に、サフィラスのように清くはなれないと、思い知らされてもきた。私は火かき棒を手に握ってしまったから。
「旦那様が寝室でお待ちですよ。早く奥様を放しなさい、パウラ」
「わかってるさ。この準備が終わったら、あんたがネリネちゃんを無事に送り届けてくれるかい。あたしに任せたら、きっと旦那の顔を殴っちまう……」
「マーヤは暇じゃないんです。ロライト様のお世話をしないと」
彼女たちは風呂場の片隅で大人しく眠る赤子を見つめた。編みかごに入れられた幼な子は、この夜の理不尽さも知らずに、寝息を続けている。
「部屋に行くのは、私一人で大丈夫です。明日はまだ、宴の余興が続くと思いますが、それで終わりになるでしょう。お二人とも、この時を楽しめるのは、今だけですよ」
「ジルトハインほど大きな家だったら、一週間は宴が持つだろうにね。これだけことを急がせて、宴をお開きにしちまうのは、寂しいったらありゃしないよ。どうせなら、晩酌をあんたに頼もうかねえ、マーヤ」
面倒見のいいマーヤは黙々と、私の体に香油を垂らした。それを薄く、全身に伸ばしていく。
「ねえ、そういえばあんた。魔物に襲われた時、まだサフィラス様は息があったって話、聞いたかい?」
「お聞かせ願いますか、パウラさん」
「いや、ね。酒場の常連が言ってたことだけど。サフィラス様は魔物と相打ちになったんじゃないかって。あんなに強いんだから、ぽっくりいっちまうのは、どうにもしっくり来ないんだよ。あの火の男が従者ってのも、最近知られたことなんだ。だから、サフィラス様が倒れたとき、きっと手すら貸さなかったんじゃないかって……。もちろん、噂だけどさ」
彼女の険しい口調に、民が囁く不安が、再び胸に湧き上がる。
もしそれが本当なら。
私は今晩、サフィラスを見殺しにした相手と夜を共にするのだ。
これから羽織る肌着を、引き裂きたくなった。結婚式の前夜にも、肌が滑らかになるよう、カミソリと奮闘した時間すら馬鹿らしく思える。
「初夜も直前だというのに。大事なことを、ここまで黙ってるなんて」
マーヤの咎めに、パウラは両手を返した。
「これを聞かせちゃあ、ネリネちゃんを怖がらせちまうと思ったからね。村の酒飲みも、頭が固い奴が多いから。あんまり噂を当てにされても困るんだい」
「とりあえず、仕上げますよ」
香油をさらに垂らしたマーヤによって、さらに磨きがかかった肌になる。
これ以上、自分の魅力は引き出せない。もしこの初夜でも、オルグレイドが私を気に入ってくれなければ。パウラのいう通り、他の女性を巻き込むことになる。
「堂々としていれば……何も怖くないはずよ」
夫婦の寝室の前で、私は立ち尽くした。燭台を片手にノックしようとした時。向こうから扉が引かれる。




